第363話 クファルの正体

 最初俺は、その姿を目にして、翡翠が人の形を取ったゴーレムかと思った。


 だが違う。

 その身体は奴の身悶えに反応してプルプルと弾み、揺れている。

 それが奴の身体が柔らかい……粘液が人の姿を取った存在だと理解させた。


「スライム――か?」

「き、貴様は……貴様、なんてことを……」

「……知性のあるスライムってのは初めて見たよ」

「うるさい……うるさいうるさいうるさい! 俺は人間だ、半魔人であっても、スライムなんてものじゃない!」

「なにを言って――」


 崩れ落ちそうになる身体を支え直し、人型を保とうとするクファル。

 剣や糸が奴の身体を素通りしたのは、奴が肉の身体を持っていなかったからか。

 それに奴の色合い。それはラウムの街を病禍に陥れた、あの毒に似ている。


「ディジーズスライム。希少種だと聞いていたが、知性まであるとはな」


 だが考えてみれば、デンのような例もある。

 地脈の影響を受けることで異常進化した場合、知性や他の能力が急激に伸びる可能性はあった。

 奴もその、極小数例なのだろう。


「貴様はどうなんだ、貴様はぁ!」

「なに?」

「俺は死んで、生まれ変わったらこの醜い体にされた。なら俺を殺した貴様はどうだ?」

「教えると思うか?」

「ならば力尽くで……朱の四――」

「させるかよ!」


 俺に向けて妨害ジャミングの詠唱を開始しようとしたクファルに、俺は糸を撃ち放つ。

 スライムには物理的な攻撃は効きにくいが、強化付与エンチャントした装備でなら有効なダメージを与えられる。

 前回街中であった時、こいつに有効なダメージを与えられなかったのは、そのせいだったのだろう。


 それに今の俺の正体をこいつに知られるのはまずい。

 俺はコルティナの家に居候している身で、そのまま雲隠れとはいかない状況だ。

 つまり、俺の正体を知られた場合、こちらが身動き取れないのに相手はいつでも襲撃を掛けれるということになってしまう。

 そしてそれは、コルティナ、ひいては他の仲間たちに俺の正体が知られることにも繋がりかねない。


 詠唱状態に入っていたクファルは、袈裟懸けに斬りつけた俺の糸を避け切れずまともに喰らう。

 ピアノ線ではなくミスリル糸を使用した今回の攻撃は、どうやら有効なダメージを与えられたようで、奴はぐらりと体勢を崩した。


「おのれ、貴様――」

「悲鳴すら上げないで、何が人間だ」

「まだ言うか!」

「ネタがばれては、お前に勝ち目なんてないぞ。スライムと知っていたなら、対処は変わってくるからな」

「くっ」


 ましてや俺の手甲は、瞬時に強化付与エンチャントを行える機能がついている。

 こいつにとって、天敵と言っていい装備だ

 正体不明だった攻撃無効化のネタが割れては、こいつに勝ち目などない。


「コルティナに近付こうとしたのが、運の尽きだったな」

「殺してやる、絶対に――」

「それは断固として断りたいな」


 右手にカタナ、左手に糸を持ち、中距離から近距離での攻撃に備える。

 前回奴が酸を放ったのは、腕の装備に仕込んでいたからじゃない。奴の身体の一部を飛ばしていたからだ。

 ならばこの距離だって奴の間合いの中と言える。油断はできない。


 案の定、クファルは一歩も動かず、その場で腕を振る。

 酸を飛ばす攻撃だ。だがこれは俺も予想していた。

 同じように腕を振って糸を飛ばし、飛来する酸を叩き落していく。

 すべて叩き落した後、俺は一息に踏み込んでカタナを突き刺した。


「ぐあぁ!」

「しらじらしい悲鳴を上げるな。スライムに痛覚はないだろう」


 一声かけてから再び革鎧を蹴り飛ばす。

 鎧を蹴ったのは、他の部位だったら足を取り込まれて溶かされる可能性があるからである。

 身体を守る鎧は、そのまま奴を収める容器にもなっていた。

 ゴロゴロと地面を転がり、再び俺たちの間合いは離れる。

 クファルは起き上がりながら、悲痛な叫びを上げた。


「俺は人間だと言っている!」

「どこの誰かは知らんが――待てよ、半魔人と言ったか?」


 そうだ、先ほど奴は自分のことを半魔人だと言っていた。そして、生まれ変わったともいっていた。

 思い返せば、ゴブリン戦でマクスウェルへの連絡を妨害したのも、おそらくはこいつ。

 さらに言うと、その一派は魔神召喚を行っている。

 半魔人を名乗る男と魔神召喚、おまけに生まれ変わり。三つの事実が俺の中で繋がった。


「お前、あの時の神父――か?」


 俺が死ぬきっかけになった魔神召喚の儀式。

 それを行ったのが、あの孤児院の神父だった。


 もし奴が俺と同じように生まれ変わったとしたら?

 そして俺と違って、人間以外の何かに生まれ変わったとしたら?


 その答えは、奴の叫びによってもたらされる。


「ああ、そうだとも! 貴様はまた人間に生まれたようだが、俺はこのありさまだ! つくづく恵まれた奴だよ、貴様はぁ!」

「ハッ、俺も生き汚いと思ったが、お前もかよ」

「地脈の影響を受けねば、今も自分が人間であったことすら思い出せず、ただ本能のままに生きて捕食するだけの存在になっていただろうさ」

「そうしてくれた方が、よっぽど世のためだと思うがな」

「対して貴様は人間に生まれ変わったか。前世では英雄、今世では人間。まったく俺とは大違いだな! その幸運に吐き気がする」

「幸運だけで英雄まで登り詰めたわけじゃないぞ!」


 確かに人間として生まれ変われたのは幸運なのだろう。それ以外の生命に生まれ変わる可能性は、今まで考えたこともなかった。

 だが前世の栄光は、俺が血反吐を吐く思いで勝ち取ったものだ。幸運の一言で済ませてほしくない。


 その苛立ちを込めた一撃を糸に乗せ、奴を斬り飛ばす。

 敏捷さに劣るスライムがその一撃を躱せるはずもない。

 革鎧を切り裂かれ、それだけに留まらず後ろへと大きく跳ね飛ばされた。

 正体は割れた、あとは油断せず息の根を止めれば、この鬱陶しい厄介ごとも収まるはず。


 不意打ちを警戒し慎重に近付く俺。だがそこに割り込む声が聞こえてきた。


「そこのお前、何をしている!」

「怪しい奴、そこを動くな!」

「貴様が御屋形様を害したのか!」


 見るとこちらに迫る騎影が複数。おそらくは先ほど仕留めたリッテンバーグの部下だ。

 犯人を捜すために街道を戻ってきたのだろう。


「チッ、面倒な時に――」


 一瞬視線を外したが、再びクファルに視線を戻す。

 しかしそこには奴の姿はなかった。


「くそ、擬態か!?」


 スライムの上位種、ブロブがそうだったように、奴も擬態能力を持っているのだろう。

 知能の低いブロブならば、そこいらの草むらに擬態する程度の能力しかないのだろうが、人間の知性を併せ持つとなると、厄介な能力と化す。

 俺の幻覚の指輪の活用法を思い返せば、その能力の有効性が理解できる。


 慌てて糸を元いた場所に叩きつけるが、有効な手応えは帰ってこなかった。

 人間の知性を持つ上位スライム。その擬態や捕食能力は、ある意味面倒だ。


 しかし時間をかけて奴を追うことはできない。

 騎馬を使ってこちらに迫る騎士の数は四騎。敵ではないが、無駄な殺生を避けたい俺としては、相手にしたくない数だ。


「――退くべきか」


 上司が外道だったとしても、その部下のすべてが悪とは思いたくない。

 奴隷商の時のように己の悪事を理解して、悪に手を染めている連中ならともかく、彼らは正規の騎士なのだ。フレッドのような屑ばかりのはずがない。

 一般人を巻き込んでしまうのは、俺の本意ではなかった。

 それに姿を隠したスライムの奇襲も侮りがたい。


「ああもう、覚えてろよ、クファル!」


 別に敗北したわけではないが、まるで負け犬のような捨て台詞を残して、俺はその場を後にしたのだった。

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