第362話 遭遇戦

 首尾よくリッテンバーグを始末した俺は、首都に向かって悠々と歩を進めていた。

 奴が迂闊にも街を出てくれたおかげで、まだまだ時間に余裕はある。

 なんだったらコルティナとフィニアに挨拶してから元に戻っても、問題はないだろう。

 俺がそんなことを考えていると、森の奥から強烈な殺気を叩きつけられた。


「――っ!? 誰だ!」


 殺気、いやこれは憎悪と言っていいほどの憎しみも混じっている。

 俺は糸を引っ張り出し、即座に警戒態勢を取る。

 すると森の闇の一部が溶けるように崩れ、人の形を取り直した。


「人……か?」


 そこから現れたのは、十五、六の少年のように見えた。剣と革鎧で武装しているが、この近辺の冒険者なら、おかしい姿でもない。

 だがその雰囲気は子供の無邪気さなど、欠片も存在しない。


「やれやれ、仕込みの様子を見に来てみればあっさりと殺されていたとはね。しかもやったのは見覚えのある顔と来た」

「……俺はお前に見覚えなんてないんだけどな」


 少年の顔に俺は見覚えはない。だから正直にそう返したのだが、少年の顔はみるみる歪んでいく。


「クファルだよ。だけど……ああ、そうだろうな、お前らはいつもそうだ。自分が手に掛けた存在など、気にもしない!」

「言いがかりだな。殺した奴の顔だってそれなりに覚えているもんだ」

「そう言うお前は全く変わりが無いようじゃないか? いや、魔道具か何かの力で化けているのか?」

「なに――?」


 そこまで言われ、俺もピンときた。

 今の俺が変化ポリモルフの魔法で変身しているように、こいつもそういった魔法を使用している可能性がある。

 本来の姿から違う姿へと変装しているのなら、見覚えが無くても無理はない。


「そうか、お前も誰かに化けていると――」

「だまれぇ!」


 そこまでいった段階で奴は唐突に爆発した。顔面を奇妙にひくつかせたかと思うと、突如足元の草を蹴散らして俺に向かってくる。

 激昂して正気を失っているのか、腰の剣にすら手をかけていない。


「――素手とは、舐められたもんだ!」


 俺の顔めがけて伸びてくる手を左手で払い落とす。

 だがその腕に焼けるような熱さを感じた。


「いっつ、テメェ、また酸を仕込んであるのか!」

「コロス……レイドォ!」

「もう正気ですらないか」


 素手で正面から向かってくるはずだ、奴はその腕に酸……いや、下手をすれば別の毒を仕込んでいる可能性もある。

 そうなると迂闊に素手で触れるのは危険な気がする。

 俺は奴の胸を蹴りつけ、その反動を利用して距離を取った。

 頑丈な革鎧のおかげで大したダメージを与えられないが、距離を取れただけで良しとしよう。


「逃がすかぁ!」

「誰が逃げるか!」


 稼げた距離はほんの一メートル少々。だがその間合いは剣の間合いでもある。

 一般的に剣を持つ相手が多かったので、俺にとってはもっとも警戒を必要とする距離でもある。

 しかし今の俺はカタナも装備している。素手の相手からすれば、むしろ俺が有利。


 引き出した糸をそのままに、腰のカタナに手をかけ抜刀術を仕掛ける。

 俺の強化された身体能力から放たれたそれは、まさに目にも留まらぬ閃光と化して奴の首元を薙ぎ払う。


 躱されるタイミングではなかった。

 完全に奴の首を薙ぎ払ったはずだった。


 しかし奴の首は地に落ちず、水を打つような奇妙な手応えだけを残して刃が通り過ぎる。


「なにっ」

「アハハハ! 効かないんだよぉ!」

「クッソ――」


 とっさに左手から糸を飛ばし、こちらに伸ばしてきた奴の腕を絡めとろうとした。

 だがそれもずるりとした感触のみを残して、すり抜けてしまう。


 そこで俺はマクスウェルの言っていたことを思い出した。

 人間以外の使い魔のような存在に幻覚をかぶせて、ごまかしている可能性だ。


「そうか、貴様、人間以外の――」

「うるさいと言っている!」


 俺はマクスウェルやマリアほど、魔法を使いこなせるわけではない。剣の間合いでは、奴の攻撃の方が俺の魔法より早い。

 距離を取るため、土を蹴り上げ目潰しを仕掛けた。

 しかしクファルはそれをまったく気にせず、突進を仕掛けてくる。


「んなろっ!」


 顔面に土が当たっても、全く気にする素振りを見せないクファル。だが突進してくるということは、急停止もできないということだ。

 俺はむしろ後ろに退がるより、前に出ることを選択した。

 酸を仕込んだ手を持つ相手に、超接近戦を挑むとは奴も考えていなかったのだろう。

 一瞬驚いた顔をしたが、薙ぎ払うような動きでこちらの顔を払いに来た。


 しかし俺の速度には奴はついてこれていない。

 振り抜いた腕は俺を捉えることなく、空を切る。そして俺は奴の脇をすり抜けて、背後へ抜けた。

 そのまま足を止めず、転がるように地面を転がって距離を取った。

 起き上がりざまに魔法陣を描き出し、詠唱を開始する。


「朱の四、山吹の一、翡翠の五――っ!」


 多量の魔力を注ぎ込み、解呪ディスペルの魔法を唱えかけた瞬間、俺はマクスウェルが北の地で受けた妨害工作を思い出した。

 魔法が禁止されている冒険者ギルド内で、魔法にらない変装を行っていた敵の存在。

 もしこの男がそうなら、解呪ディスペルの魔法では効果が無いかもしれない。

 だとすれば、こいつの変装はギフトのようなスキルや能力の可能性が高い。それを無効化する魔法は――


「――妨害ジャミング!」


 とっさに描き出した魔法陣に修正を加え、別の魔法へと変質させる。

 解呪ディスペルの魔法も妨害ジャミングの魔法も、効果の妨害を行うという点では似通っているため、魔法陣も似ていたことが功を奏していた。


 妨害ジャミングの魔法は付与されている様々な効果の維持を妨害し元の状態に戻す、中級の中でも上位の魔法だ。

 しかも俺の込めた魔力は通常の四倍にも及んでいたので、多少の冗長性を持たせることもできた。よほどのことが無い限り、この魔法で解除できない効果はないはず。

 なお、今の俺にこの魔法を掛けられた場合は、もちろんニコルの姿に戻る。


「ぐ、あああぁぁぁぁ!」


 魔法を解かれたクファルはなぜか悲鳴を上げて動きを止めていた。

 この魔法は付与効果を解除するだけのもので、苦痛を与えたりしない。

 だが奴は身悶えし、術に抵抗しようと必死にその身を捩っていた。


 それでも俺の込めた四倍にも及ぶ魔力には、抵抗しようがない。

 そもそも先手を取った時点で、俺の方が有利なのだ。

 奴の姿がぼやけ、薄れ――そして後には翡翠色をした人型の何かが現れたのである。

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