第421話 ベリトの街
ひと悶着あったが、ようやく俺たちはベリトに入ることができた。
すでに日は沈みかけており、早々に宿をとらねばなるまい。
そこで依頼主であるテムルさんが、声をあげる。
「お疲れさまでした。私はそこの門前宿に泊まる予定です。逗留期間は五日間。それからストラールに戻ることになります。皆さんは五日後に再びここに集合してください」
「わかりました。その間の行動の制限などはありますか?」
「行動の制限とは?」
「つまり、短期の依頼を受けることができるかということですが」
五日も滞在するのなら、何か仕事を受けることもあるかもしれない。
なのでそれだけを確認しておく。
「そうですね。そこまで行動を縛る気はありませんので、期限に遅れない範囲でご自由になさってくださって結構です」
「はい、ありがとうございます」
一応往復が俺たちの護衛期間なので、合間にこういう期間ができるのは、ありがたかった。
そこでテムルさんは一礼して、門前宿の方に向かっていった。
マークたちも俺たちに手を上げた後、テムルさんの後についていった。
これは彼らがあまり資金に余裕が無いため、安い門前宿に泊まるため、同じ方向に向かっているに過ぎない。
「さて、わたしたちはどうしよっか?」
俺は努めて明るい声を上げて、仲間たちに振り返る。
そこには口を尖らせたまま不機嫌を隠そうとしないミシェルちゃんと、珍しくこめかみに青筋を浮かべたフィニアがいた。
フィニアも特に口を挟むようなことはしなかったが、あの門番がかなり不快だったようだ。
そして拳を固く握ったまま身を震わせているクラウドの姿もあった。
ラウムでは冒険者として認められていた。
ストラールでも、彼はそれほど疎外されてはいなかった。
だがここでは違う。いや、ラウムやストラールが異常だっただけだ。
この世界は、半魔人に厳しい。
「はぁ。もう、しかたないなぁ」
言葉もなくその場に立ち尽くすクラウドの腕を、身体全体で取って通りへ誘う。
俺たちの宿泊予定は、少し高めの宿にする予定だ。
これはクラウドが半魔人だから、安宿では余計なトラブルに巻き込まれる可能性が高いからである。
「ちょ、なんだよ! くっつくな、当たってるって!」
身体全体で腕を取る、いうなれば腕に抱き着いている状況と言ってもいい。
もちろん俺の胸部などは、クラウドの肘辺りに当たっている状態である。今回ばかりは、これは意図してやったことだ。
「たまにはいいよ、サービスしてやる」
「よくねーよ!」
「よく我慢したね」
俺に腕を引っ張られ、頭を下げたクラウドを、俺は優しく撫でてやる。
あの場面、俺はクラウドが暴れ出し、取り押さえる場面まで想定していた。
だがこいつは最後まで耐えきった。それは称賛されてもいいはずだ。
クラウドはそこで暴れるのを止め、何も言わず震えていた。
「泣いてもいいとは言わないけどね」
「…………おぅ」
ただ黙って身体を震わせるクラウドに、ミシェルちゃんも抱き着いてきた。
「もう、ニコルちゃんだけずるーい」
「わたしはむしろ、ミシェルちゃんがあれほど怒るとは思わなかったよ」
「だって、ひどいんだもん、あの人!」
ぷぅっと頬を膨らませるミシェルちゃんだが、彼女があれほど怒ったところを、俺は初めて見た。
その冷たい殺意は俺ですら背筋が寒くなったほどだ。今後は彼女にも忠告が必要になるだろう。
それよりも、背が伸びたクラウドの腕を挟み込むミシェルちゃんの谷間に、俺は胸囲の格差を感じていた。
また増えてないだろうな? そうなったらまたハスタール神を呼び出してサイズ合わせしてもらう必要がある。
彼女の胸甲は魔竜ファブニールの皮を使用した特別製のため、そこらの鍛冶屋に調整に出せなくなってしまっている。
それはまあ、彼女の安全のためなので、目を瞑るしかない。
両腕を俺とミシェルちゃんに抱き着かれたクラウドは、言葉もなく硬直していた。
その純情さは子供の頃を思い出し、少し可愛らしく見える。
美少女二人を両手に侍らせた半魔人の少年に、通りを行き交う街の人が物珍し気な視線を飛ばしていた。
俺もミシェルちゃんも目立つ風貌な上、クラウドが半魔人なので余計に目立つ。
ここらでご褒美を切り上げようと思ったところで、ぽたりと何かが地面に落ちた。
「ん、もう……泣くなっていったの――あれ?」
最初、俺はクラウドがこらえきれず涙を流して、それが地面に落ちたのかと思っていた。
しかし、地面に落ちた水滴は赤かった。しかも水滴は鼻から流れ出ていた。
「うわ、クラウド、鼻血!?」
「し、しかちゃないひゃろぅ!」
「顔を振るな、鼻血が飛び散る!」
バッとクラウドから手を放し、距離を取る。反対側を見るとミシェルちゃんはすでに飛び退き、フィニアの背後に隠れていた。
おのれ、素早い。
「ニコル、なおひてくれよ」
「やだ。なにが悲しくて野郎の鼻血を癒さねばならんのだ」
自分が切っ掛けとはいえ、興奮した男の鼻血を治すために使われる治癒魔法とか、かつてないほど情けない使い方である。
キャイキャイとフィニアを軸にクルクル逃げ回って騒いでいると、フィニアもくすくすと笑いだしていた。
どうやらクラウドは、根っからのお笑い体質らしい。
「ほら、早く行かないと宿が閉まってしまいますよ。逗留先は決めているんですか?」
「うん、コルティナとテムルさんに聞いておいた。そこだと半魔人でも差別せずに泊めてくれるって」
「なんか悪いな。俺のせいで」
「むしろこういう経験をするために来たんだから、気にしない」
「ニコルちゃんはよく我慢できたよね。わたしは知っていても我慢できなかったもん」
「むしろわたしは、ミシェルちゃんがそこまで怒るのを初めて見たよ。すっごい怖かった。今度から怒らせないようにしないと」
「えー、ひどいよぉ!」
まだまだ仕草に子供っぽさの残るミシェルちゃん。それを俺がからかうことで、空気は変わっていた。
それを見て、コルティナがパンと手を打ち、行動を切り替えさせる。
「ほらほら、早く行くわよ。部屋だけじゃなくてご飯も無くなるかもしれないかも」
「えっ、それはやだ!」
コルティナの言葉にミシェルちゃんは血相を変えた。
彼女はやはり、怒っているよりこうしてご飯一つにコロコロ表情を変える姿の方がいい。
つくづく、そう思ったのである。
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