第88話 鍛錬の成果

 地に倒れ伏した男のかたわらで、俺は拳を握って、鍛錬の成果を実感していた。

 この幼い身体で、成人男性と――それも相当な手練れを相手に斬り結ぶ事ができた。

 しかも体重まかせのタックルはともかく、剣撃の威力で引けを取ることなく、だ。

 つまり糸を使った身体強化ならば、充分な戦力向上を図れるという証明である。


「とは言え三分間フルに使うと、身体の方が保たないな……」


 今もなお身体の各所、特に肩と膝にズキズキとした痛みが走っている。

 この調子では、戦闘中に魔法を掛け直して効果を延長すれば、数日は動けなくなってしまうだろう。


「まぁ、そこは追々修正していくとして、今はとにかく、この場を離れないとな……」


 明らかに怪しい風体をした子供が、明らかに怪しい風体をした男を、明らかに刺殺した状況。

 こんなところを人に見られたら、いくら俺が子供の姿をしているといっても、間違いなく牢屋で数日を過ごす事になってしまう。

 いくらマチスちゃんが証言してくれるだろうといっても、夜に出歩いている事がバレるのは今後にとってもあまりよろしくない。


 マフラーを使って顔を拭い、汚れを落としてから誘拐犯のアジトへ戻ってみた。

 不自然な顔の汚れを落として、人一倍目立つ艶やかな髪を隠しておけば、そこらの浮浪児に見えてもおかしくないはずだ。


 すでにアジト周辺は人集ひとだかりができており、マチスちゃんの周りには衛士が集まって応急処置が施されていた。

 それを見て俺は安堵の息を漏らし、こっそりとその場を離れる。

 これで彼女の身の安全は確保されたはず。

 あとは衛士経由で、マクスウェルかコルティナの元に女王華の種が手渡されるだろう。


 俺は隠密のギフトを活用しつつ、コルティナの家まで戻り、自室に潜り込んだ。

 そこで水差しの水を利用してタオルを濡らし、身体の汚れを丹念に落としていく。

 さすがに初夏にすらならないこの時期に、服を脱いで全身を拭うのはかなり寒いが、こうでもしないと汗臭くなってしまう。

 ただでさえ子供の身体で夜更かししているので、身体の負担は結構大きい。質の高い睡眠は確保しておきたい。


 汚れたタオルとマフラー、血まみれの服は翌日に洗濯するとして……いや、その作業もフィニアの目を盗みながらなので、面倒なのだが……


「……もういいや。週明けに学院で洗濯しよう」


 他生徒に注目される身なので、あまり怪しい真似は出来ないのだが、それくらいは構うまい。

 俺は汚れたタオルを体操着を入れる巾着に隠し、パジャマに着替えて寝床に潜り込んだのだった。




 翌朝、俺が目を覚まして食堂に向かうと、すでにコルティナの姿は見えなかった。

 というか、時間的に既に昼前に近いため、かなり寝坊をしてしまったようだ。

 俺に食事の用意を整えてくれるフィニアに俺は挨拶をした。


「おはよう、フィニア」

「おはようございます、ニコル様。今日はすごくゆっくりでしたね?」

「うん。ちょっと夜更かししちゃった」


 俺はそうフィニアに告げると、彼女は俺の発言を何か勘違いしたようだった。

 口元に手を当て、何か意味深な、少しばかりイヤらしい笑みを浮かべてくる。『うぷぷ』という笑い声まで聞こえてきそうな顔だ。

 そんな仕草をしながらも、彼女の給仕の手は止まらない。手早くサラダとトーストをテーブルの上に運び、ハムエッグも用意してくれた。


「そう言えば昨日、ライエル様の活躍を目の当たりにしたのでしたか。興奮して寝付けなくなるのも無理はないですね」

「ぜったい違うし」


 フィニアのトンデモナイ勘違いに、俺はぷいっと顔を背けて異論を示した。

 だがそれが彼女に別の勘違いを生ませてしまったようだ。


「ライエル様はカッコいいですからね。ニコル様もお父様の活躍を目にして、見直したでしょう?」

「む、レイドの方がカッコいいし」

「それは同意しますけどね!」


 フィニアは俺の反論に、間髪入れず同意してくれた。

 彼女の一番は、面映ゆいながらも、未だ俺のままだった。おそらく過去を盛大に美化した結果なのだろうが、評価してくれるのはありがたい。


「コルティナは?」

「何でも昨夜火事があったそうで。それが実は人攫いのアジトで、誘拐されていたマチス様が発見されたそうです」

「そっか、よかった」

「しかも森から奪われた女王華の種も一緒に見つかったとかで、マクスウェル様とコルティナ様が朝から大忙しなんです」

「へー、じゃあ蜜を分けてもらえるね」

「はい、これでニコル様も元気になれますね!」

「わたしはいつも元気だけど……」


 むしろ他の子供に比べれば、過剰なくらい身体を鍛えていると言っていい。

 問題はその成果がついて来ないないだけだ。

 だがそれもこれまで。俺の体力を大きく削ぎ落としていた元凶である魔力蓄過症さえ完治すれば、鍛錬の成果が正常にフィードバックされるはず。


「むふ」

「嬉しそうですね、ニコル様」

「病気が治るんだし、多少はね」


 朝食兼用の昼食ブランチをたいらげ、食後のホットミルクのカップを両手で抱え込み、口元に運ぶ。

 極僅かに砂糖の甘みがあるところが気が利いている。ほのかな甘みが身体に染み込むように感じられて、心地いい。


 そんな昼前の穏やかな時間もここまでだった。

 ドヤドヤと騒がしく玄関が開いたと思ったら、コルティナとマクスウェルが闖入してきたのだ。


「たっだいまぁ。あー、疲れた。フィニアちゃんお茶くれる?」

「ワシは豆茶でな。濃い目に頼むぞ」

「はい、ただいま用意します」


 コルティナはともかく、マクスウェル、テメェは少し遠慮しろ。

 笑顔で茶を用意するフィニアの人の良さにあきれながらも、俺は心中で毒づいた。

 そんな俺の気も知らず、マクスウェルは空気を読まずに話を続ける。


「それで、ニコルや。話は聞いておるかな?」

「フィニアから、だいたいは」

「そりゃよかった。説明し直すのは面倒だからのぅ。そういう訳で昼から女王華の元に訪れるから、準備しておくんじゃぞ」

「わかった。ミシェルちゃんとレティーナは?」

「ああ、連絡しておかんと後で恨まれそうじゃな。そちらはニコルに任せるとしようか」

「ん、連絡しておく」


 正直言うと、穏健とは言えモンスターの元に訪れるのだから、彼女達は連れて行きたくない。

 しかし、俺はマクスウェルと違って彼女達と四六時中一緒にいるクラスメイトだ。顔を合わせる度に恨み言を言われるのは勘弁願いたい。


「じゃあ、わたしはミシェルちゃんとレティーナに連絡してくるね」

「はい、お気をつけて」


 ぴょんと椅子から飛び降り――足がつかないのだ――服を着替えてから玄関を飛び出していく。

 背後から微笑ましそうな視線を三つほど感じた気がするが、この際気にしない事にした。

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