第443話 教皇の思惑

 教皇に連れられてきた教会は、七区の表通りに近い場所にあった。

 ただし、表通りに直接面してはいないため、周辺の道は少し汚れた感じがしている。

 教会の前は広めの庭のような広場になっていて、そこで炊き出しなどを行っているらしい。


「炊き出しには半魔人の方もよく来るんですよ」

「へぇ、そうなんだ。でも教皇様自らそれを作るのは、やっぱり変」

「同じことを私もマリアによく言っていたわ。今になってあの時のマリアの気分が味わえるなんて、変な感じね」


 朗らかに笑って答える教皇。彼女がこっそり本神殿を抜け出してきたのは、ここで炊き出しを手伝うためだったらしい。


「そういうマリア本人も、当時は次期教皇なんて噂されていたのに、こういう仕事を率先してやっていたのよ」

「村でも孤児院の子供たちに差し入れとかしてますよ」

「変わってないみたいで安心したわ。えっと、あなたの名前、まだ聞いてなかったのだけど?」

「あ、ニコルです」

「そう、私はアシェラっていうの。よろしくね」


 笑みを絶やさず、右手を差し出してくる。

 その手は意外に傷が多く、労働の痕跡が見て取れた。どうやら頻繁にこのようなことをしているらしい。

 握手を交わしてそのまま手を引っ張られ、教会の一室に案内される。

 そこは説法を行う際の控室らしく、小さなイスとテーブル、それに水差しなども用意されていた。


「お茶菓子はないけど我慢してね」


 そういいつつ水差しからカップに水を注ぎ、俺の前にずいと差し出してくる。

 まるで今すぐ飲めと言わんばかりの勢いだ。この押しの強さも、どこかマリアに似ていた。


「そうそう、あなたの瞳のことを話さないといけないんだったわね」

「ええ、この目のこと、何か知っているんですか?」

「詳しいことはわからないわ。でも強い魅了の力が宿っていることは確かね」


 アシェラの言葉に、俺は少し疑問を覚えた。

 破戒神は確か、弱い魅了といっていたはずだ。彼女のいうこととは、少し違う。


「強い、ですか。そんなに?」

「ええ、私が襲われたとき、あなたは『やめろ』と叫びましたね。その時に男が動きを止めたでしょう? それは、あなたの力に取り込まれ、行動を制限されてしまったからです」

「制限するつもりなんて――」

「あなたになくても、あなたの望みを叶えようと勝手に動いてしまう。そうさせてしまうほどの力を、弱いとはとてもいえません」


 だとすると、間違っているのは破戒神の方か。まあ、あの神様ならうっかりとかポカとかいろいろとやらかしてもおかしくないだろう。変なところで人間臭さを残している。

 それより、俺の目にそんな力が宿っていたとは……ハスタール神が力を封じる眼帯をよこすはずだ。


「あ、そういえば、あなたにはお礼を言ってませんでしたね」

「お礼、ですか?」

「そうよ! 私の命を守ってくれたことと、半魔人たちの暴走を止めてくれたこと。彼らもれっきとした人間ですから」

「半魔人を認めてくれるんですね?」


 この世界樹教において、半魔人は世界の異物である。その世界樹教の最高権力者が、このスタンスというのも奇妙な感じだ。

 だが彼女は、俺の言葉にきょとんと首を傾げた。


「当り前じゃない。世界を救った六英雄にすら半魔人はいたわ。差別する謂れなんてないもの」

「マリ……母さんも昔はそうだったんですか?」


 俺と出会ったとき、マリアは冷酷、とは行かないが、かなり冷淡な視線を俺に向けていた。

 俺としては、そんな視線は慣れっこだったので、最初は無視していたのだが……その対応が功を奏したのか、マリアは次第に態度を軟化させていった。

 そんな経緯があるため、世界樹教イコール半魔人排外主義者という認識が俺にはできていた。


 しかし、あの頃のマリアにこんな知人がいたというのが、意外だった。

 これではまるで、マリアが差別的な人間だったように見えてしまう。


「そうね、そういった気質がなかったとは言えないわ。でもそれは、彼女の周囲の教育に流された結果だもの。私のように長く生きていない彼女が、周囲の思惑に流されてしまったとしても仕方ない。恥ずかしながら、枢機卿にはそういう思想を持つ人が多くて……」

「ふぅん」

「今も彼らの方が力が強くてね。上手く行かないものだわ。それよりむしろ、あなたの方が驚きよ? あのマリアの娘が、率先して半魔人を護ろうと身を張って立ちふさがるなんて」

「それは……えっと……六英雄の中に半魔人もいましたから」

「ああ、レイド様ね!」


 パン、と手を打ち喜色満面の笑みを浮かべる。

 どうやら前世の俺は教皇アシェラすら虜にしていたようだ。微妙に鼻が高い。


「マリアから話を聞いていたわ。すっごいヘタレな子がいるって」

「……おぃ」

「仲間の子が好きなのに、自分でもそれに気付かないくらい鈍感で、それでいてカッコつけたがりで、世話ばっかり焼かせるドジっ子がいるっていってたわ」

「マリアの野郎……」

「かなりモテていたのに気付いてないから、『きっと一生独身よ』なんてこともいっていたかしら?」

「あとで絶対泣かしちゃる」


 部外者になんて情報漏らしやがるのか。いや、否定できかねるところがないわけでもないが、それでも仲間を悪くいうなんて許せないぞ。

 そもそもお前だって、その腹黒さはなんだ。聖女なんて程遠いじゃないか。


「でも手のかかる弟ができたみたいだって喜んでいたわ。私もマリアがあんなに楽しそうな顔したのは、初めて見たもの」

「そ、そうかな」

「そうよ。だから彼が生きているうちに一度会ってみたかったわ」


 それからしんみりと、視線を落とすアシェラ。彼女としては妹分だったマリアが気にかけた存在というのは、どこか特別なものがあったのだろう。

 そこまで考え、ふとマリアの現在が脳裏に浮かんだ。

 確か助けを求めるためにコルティナがメモを書いていた。もし、それを受け取っていたのなら、俺がいないことを心配するはずだ。


「そうだ。その、あまりここに長居していたら、心配かけちゃうから……」

「あ、確かにそうね。マリアってば心配症だから」

「ごめんなさい。できればまたお話を聞かせてください」

「もちろんよ。あなたならいつだって大歓迎」

「あ、でも三日後にはこの街を出るので……」

「じゃ、それは却下で」

「無茶苦茶だ!」


 冗談とわかっていても、それができる権力を持っているだけに背筋が凍る。

 だが彼女と知り合えただけで、今回の騒動は価値があった。

 彼女ならいつかきっと、半魔人の差別を覆す……とまでは行かないだろうが、緩和させてくれる。

 そう確信できたからだ。

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