第442話 新英雄
俺に微笑みかける教皇、その見かけはどう見ても十代前半にしか……いや、わずかに耳が尖っている印象がある。
「……ハーフ、エルフ?」
「ええ、よくご存じですね」
エルフは稀にだが、人と混血を
そしてハーフエルフは、エルフの血が混じっているだけあって、人間よりも長命だ。
だとすれば彼女も、見かけ通りの歳というわけではないのだろう。
「……聖女、だ」
「へ?」
その時、俺の耳にかすれた声が届いた。
俺が馬乗りになった男からではない。その声は群衆の中から聞こえ、まるでさざ波のように広がっていっていた。
「教皇様を身を挺して護ったぞ!」
「あの青銀の髪、もしやマリア様のご息女か?」
「なんと美しい瞳だ、まるで吸い込まれるような神秘的な光を放っている……」
称賛の声が止まるところを知らず広がっていき、やがて歓声へと変わっていった。
俺の名までは知られていなかったようだが、代わりにマリアの名が讃えられている。
「聖女の再来だ!」
「猊下の守護聖人だ!」
「新たな英雄が現れたぞ!」
無駄に目立ってしまい、悄然と首を垂れる俺。そんな俺を見て、教皇は口元に手をやって笑っていた。
「かんべんしてくれ……」
「無理もありませんわ。この衆人環視の中でこれほどの大立ち回りですもの。それにその瞳」
「え?」
教皇に指摘されて、先の異常を思い出した。俺の言葉に素直に従った、この男の行動だ。
まるで瞬時に感情を抜き取られ、人形のように変化していた。
「魔力とは質の違う力を感じますわ。詳しくはわかりませんけど」
「あー、これは、その……」
まさか世界樹教の教皇の目の前で、天敵である『破戒神からもらいました』なんて言えようはずもない。
あの白い神は世界樹をへし折った悪行を持っている。もしこの目の出自を知られたら、俺を見る群衆の目は、称賛から敵視に変化するだろう。
いや、敵視で済めば御の字だ。下手をすれば俺の立場すら忘れて、暴行死なんてこともあり得る。
「そうですね、ここで立ち話を続けるのも危険かもしれませんし、場所を変えませんか? 近くに教会があります」
「それはありがたいけど、そもそも人前に出てくるなといいたい」
「それもそうでしたね。申し訳ありません」
俺の愚痴を笑って受け流す教皇。
この余裕ある態度は、どこかマリアに通じている。
「その教会は貧困層向けの炊き出しをやっていまして、私もその手伝いをしてたんです」
「教皇自ら? 料理できたんだ」
「あら、私だって嫁入り修行の一環で勉強したんですから」
「教皇猊下が嫁入り……?」
「それはそれで失礼じゃありません? そういう口の悪いところはマリアそっくり」
今度は少し不満そうな顔をして見せる。その顔はどう見ても成人前の子供のそれだ。
正体を知らずにこんな顔を見せられたら、間違いなく子供と勘違いしてしまう。つくづく女は怖いと思い知らされる。
「どうやら騎士団も駆けつけてきたようですし、皆さんも解散した方がよいですよ?」
「ハ、猊下の御心のままに!」
教皇の言葉に俺は視線を隣接する八区の方面に向ける。
そちらから騎馬の集団が勢いよく駆け寄ってくるところが見えた。
コルティナの姿は見えないが、彼女がうまく騎士団を誘導してきたのだろう。
「さ、行きましょうか、マリアの娘。私も騒動に首を突っ込んだと知られては、枢機卿からお説教を食らってしまいますもの」
「自覚あるのに出てきたのか」
「だって、放っておいたら大変なことになっていたでしょう? それにあなたも、いい加減殿方の上から降りなさい。そういうのはまだ早いです」
そういうと俺の腕を引っ張り、男の上から無理矢理降ろす。
この男を放置するのは危険だが、すでに意識を失っているし、群衆も正気を取り戻していた。
この期に及んで、この男の扇動に乗せられるとは思えない。それに騎士団もやってきたため、身柄はすぐに確保されるだろう。
俺は近くにいた半魔人の男に、手早く警告を飛ばした。
「半魔人の人たちはすぐにここから立ち去って」
「え、いや、しかし……」
「このままこの場に居残ったら、こいつと同罪で牢にぶち込まれても文句は言えないよ? 下手をしたらそれ以上の拷問もあるかもしれない」
「わ、わかった」
代表、というわけではないのだろうが、一人の男がそう答えて立ち去っていくと、半魔人たちもばつが悪そうに顔を見合わせ、三々五々に立ち去って行った。
これでこの場は、もう暴動が起きることはないだろう。
「あなた方も、もう解散しなさい。それと、ここで暴動なんてなかった。いいわね?」
「猊下、それはしかし――!」
「私が『なかった』とこの場で言っているのよ?」
「くっ」
教皇が騒動の場に現れ、何もないと宣言する。それは問題にするなと宗教の最高地位にいる者が宣言するに等しい。
群衆のこの男が誰かはわからないが、それでも教皇の言葉に意見を返せる立場とは思えない。
もともと先頭に立って反論していただけあって、半魔人に強い忌避感を持っているようだが、それでも教皇の言葉を押し切って反対するほどではなかったようだ。
下手をしたら破門なんてこともあるかもしれない。その危険を冒して半魔人を排除することはできなかった。
「わかりました。ですがせめて、御身の護りを私に――」
「結構。マリアの娘以上の適任がいるとも思えません。あなたは騎士団に事情を説明してください――私が言ったように」
「は、御心のままに」
教皇に釘を刺され、男はその場に
いや、本来なら教皇がこの場に現れた直後に、この姿勢を取らねばならなかったのだろう。しかしそれに考えが及ばないほどに、状況は混乱していた。
そして教皇も、それを叱責するほど狭量ではなかった。
群衆の
もちろん、俺の腕をしっかりと確保したままで。
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