第457話 出発の準備

 とりあえずその日は、勝手に抜け出した罰としてフィニアに抱き枕の刑に処された。

 一晩中彼女に抱きしめられて夜を明かしたのだから、むしろご褒美といっていい。

 ただし眼帯を外すことができなかったので、その点だけは少々煩わしかった。

 しかしこれを外すと、フィニアが『自制できなくなりそうなので』と視線を逸らせていたので、結果がどうなるか少しばかり恐ろしい。


「ん、ふあぁぁぁ……」


 そして翌日。もう明日にはベリトを出発する日になっている。

 なんだかクファルのせいで、ほとんど観光もできなかった。

 しかし、教皇アシェラという、知己を得られたことは大きい。彼女からは『面会を望む時のために』と、世界樹を模した聖印をもらっていた。

 彼女の知人であることを示す特別なデザインらしいので、これを大教会の門番に示せば、ダイレクトで彼女の元に連絡が行き、面会してもらえるようになるらしい。


「ん……おはようござい、ます、ニコル様?」

「うん、おはよう、フィニア」


 フィニアの腕の中から抜け出し、ベッドの脇で大きく伸びをする。

 そこでベッドに視線を向け、何か理不尽なものを目にした。

 つまり、俺がネグリジェタイプのパジャマなのに、フィニアは大きな筒袖のモノを着ているということだ。


「普通、逆じゃない?」

「自分が着たら、見て楽しめないじゃないですか?」


 眩しそうな視線を俺に向けてくる。しかしそれは俺も同じである。

 どうせならこういうキワドイ寝間着は、彼女に着て貰って楽しみたい。


「どうせならフィニアも着れば――」

「それより今日は明日の出発に備えて買い物しないといけないですね」

「――うん、そうだね」


 こちらの言葉をぶった切って、彼女がスケジュールを確認する。なんかもう、正体を知られてからは、会話の主導権を握られっ放しだ。

 しかし、彼女のいうことももっともな話で、明日の朝にはこの街を離れるのは事実だ。

 結局フィニアの槍を新調することはできなかったが、その他にも食料や水の用意はしておかねばならない。

 ラウムまで、途中に宿場町などが設置されているとはいえ、最低限の食料は確保しておく必要がある。


「ミシェルちゃんとクラウドを起こして、用意しに行かないとね」

「はい。それにライエル様とマリア様も、今日の昼過ぎには北部に戻るらしいので」

「そっか。向こうもフィーナを任せっぱなしだから」


 猛者揃いの北部の衛士に任せているとはいえ、やはり長く目を離しておくのは、俺も心配だ。

 ライエルとマリアがそばにいてくれるからこそ、俺もふらふらと冒険者を続けられている。

 俺が回復し、バーさんによってクファルが世界樹に封じ込められた現在、奴の別動隊が悪さをしてこないかの方を心配するのは当然である。


 俺は寝間着を脱ぎ捨て、身支度を整えていく。それを見てフィニアはまた意味深に口元に手を当てた。


「ニコル様、また少し大きくなりました?」

「ん? 身長はあまり変わってないと思うけど」

「はい、身長じゃなくて胸」

「……む?」


 いわれてみると、胸を支えるための下着が少しキツイ。

 本当に日々育ってるようで……微妙な気分だ。


「あのレイド様が、こんなに美しく……」

「やめて、お願いだから」


 少し子供っぽいパジャマ姿のまま、胸の前で手を組んで目を輝かせるフィニア。

 その無邪気な視線が、今の俺には心に刺さる。

 話を早々に切り上げるため、さっさと着替えて部屋から出ていったのだった。





 俺たちは起きてきたミシェルちゃんとクラウドを連れて、馬車を宿の裏の井戸まで移動させていた。

 ライエルたちは昼過ぎには北部に戻るといっていたので、それまでに水の用意だけでも済ましておこうと思ったからだ。

 フィニアは水属性の魔法も使いこなせるし、浄化ピューリファイの込められた魔道具もあるので、水さえ用意しておけば、腐敗は気にせずに済む。

 この浄化ピューリファイという魔法は便利なもので、雨水だろうが泥水だろうが、容赦なく飲用可能な水に浄化してくれる。

 最悪、小便だろうが飲用可能にしてくれるのだから、砂漠や荒野などではありがたい限りだろう。

 もっとも、そういう水を進んで飲みたいとは、さすがに思わないので、新鮮な水はあった方がいい。


「クラウド、こっちの樽はもう一杯だから荷台に乗せといて」

「あぃよー」


 水用の樽は三つほど積み込むようにしている。

 ミシェルちゃんとフィニアが寄ってたかって水を汲み上げ、樽に流し込んでいく。

 俺はその樽に蓋を打ち付けてからクラウドに押し付けていた。

 水を扱うだけあって、俺もミシェルちゃんも、フィニアもびしょ濡れになっての作業だ。

 わりと眼福である。あるがゆえにクラウドの視線を別方向に向ける必要があった。馬車への積み込みを任せたのは、このためである。


「面白そうなことしてるわね」

「うわ!?」


 そこに不意に飛び込んできた少女の声。いつもなら白い神を疑うところだが、今は南方に出張っているらしい。

 代わりに現れたのは、マリアの旧友でもある教皇アシェラだった。


「昨日の今日なのに、また抜け出してきたの?」

「じっとしているのは性に合わなくって。知ってる? 私のお婆さんは冒険者だったらしいわよ」

「知らないし」

「マリアってば、私のことは全然話してくれなかったのね」


 プゥッと頬を膨らませる仕草は、まるでそこらの少女と変わらない。少し仕立てのいい服を着た、裕福な家の娘にすら見える。

 一通り怒りを表明した後、教皇はおもむろにフィニアのそばに近寄り、桶を手に取った。


「これで樽に水を移せばいいのよね?」

「そうだけど……手伝うの?」

「最近暑くなってきたから、水遊びも悪くないわ」

「水遊びじゃないんだけど」

「よいではないか、よいではないか~」


 気楽な口調で水を汲み上げ始める教皇。こんな姿を見られたら、保守的らしい枢機卿たちに何をいわれるかわかったものじゃない。

 俺は周囲を気にしつつ、最後の樽を移動させ、二つ目の樽を受け取る。

 内心怯えまくっている俺を差し置いて、教皇は存分に『水遊び』を堪能していたのだった。

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