第458話 マリアたちの帰還

 昼食を済まし、ライエルたちが戻る時間がやってきた。

 あまり人目に付かないように裏庭に集まり、見送りをする。そのメンツの中に教皇がいるのが、普通じゃない。いや、マリアの立場を考えれば普通なのか?


「それじゃニコル。もう無茶はするんじゃないぞ?」

「うん、油断しない」

「いや、そういう意味じゃなく……」


 ライエルにしつこいほど念を押されている俺とは別に、マリアは教皇と挨拶を交わしていた。

 マリアの立場が強くなりすぎたせいでベリトを離れることになったのだが、もともと二人の仲は悪くなかったらしい。

 アシェラ教皇も、マリアになら跡を継がせてもいいと考えていたらしいのだが、枢機卿を始めとした様々な思惑が絡み、その望みは絶たれたと話していた。


「マリアも身体には気を付けてね?」

「ええ、ありがとう。アシェラもお元気で」

「私はいい加減身体を壊さないと、元気すぎて鬱陶しがられると思うわ」

「冗談でもそんなことは言わないで」


 本来ならばマリアの方が格下のため、敬称をつけて呼ばねばならないところらしいが、これはアシェラ本人が拒否しているらしい。

 娘のような姿の彼女だが、実年齢では遥かにマリアを上回る。そんな彼女の命令となれば、マリアとて無碍にはできないようだった。


「転移魔法が使えるのなら、頻繁に顔を出せるわよね?」

「いや、それは……」

「出せるわよね? フィーナの洗礼は私にさせてよね」

「……はい」


 あのマリアですら歯向かえないのだから、やはり年の功というべきなのだろうか。

 直接的な関係の薄い俺ですら、彼女の言動にはあまり歯向かえない。

 よく見るとフィニアとミシェルちゃんが、何か面白いものを見たような顔でこちらを見ていた。


「なに、二人とも?」

「いえ、その……」

「ニコルちゃんとマリア様がお説教されてるのを見てると、まるで姉妹みたいだなぁって!」

「あら、ミシェルちゃんは嬉しいことをいってくれるのね」


 俺と姉妹のように見えると言われて、マリアは頬に手を当てて喜んで見せる。


「マリア、お世辞くらい理解しなさい」

「なに言ってるんですか、私まだ若いですよ?」

「それよね。あなたもう四十越えているのに不思議なくらい」

「うっ!?」

「何か理由があるのかしら? アンチエイジングな手法を入手したのだったら、私にも教えて欲しいのだけど?」

「アシェラにそんなの必要ないでしょ……」


 マリアもあの破戒神の薬を口にしているため、その身体は若返りといっても差し支えないくらい、活力に満ちている。

 それを知らないものからみれば、不自然に思えても仕方ない。


 だがそれを教皇に伝えるわけにはいかなかった。

 若返りの薬というだけでもかなり取り扱いがデリケートな話題なのに、それを与えたのがあの『破戒神』である。

 世界樹をへし折った神と、世界樹を崇める教皇。まさに水と油の関係だ。

 知られた場合、どんな事態が巻き起こるか、俺でも想像できない。無意識とはいえ、マリアの弱点を突いてくるのは、さすがというべきか?


 俺としてもこれは追及されたくない話題なので、話を逸らしておく。

 それに村で待っているであろうフィーナのことも心配だ。


「母さん、そろそろ出発しないと、フィーナのことが――」

「あ、そ、そうね! 早く帰らないと。その前に……コルティナ」

「な、なに?」

「今回の失態の罰、まだ受けていないわよね?」

「あ、あう」


 マリアがいつになく真剣な表情をしてみせた。

 確かに俺の保護者としての役目は果たせなかったといえなくもない。

 しかしそれは、俺が勝手な行動をしたから発生した事態であって、彼女にはその責任なんてないはずだ。


「マリア母さん、さすがにそれは……」

「ニコルは黙ってて。いい? あなたは知らないかもしれないけど、コルティナが本気出したら、こんなものじゃないんだから。それなのに今回は裏をかかれ過ぎている」

「そうね、確かに気の緩みがあったことは反省しないと」

「だから、コルティナに罰を与えます。三か月間、レイドとの接近禁止」

「ええ!?」

「それはヒドイ!」


 俺とコルティナの声が綺麗に重なる。

 俺だってコルティナとの逢瀬は楽しみにしているのに、それを止められるなんて。


「あなた、レイドの復活からこっち、少し緩み過ぎ。だから頭を冷やす時間が必要だと思うの」

「で、でもでも、それとレイドとは関係――」

「結果を思い出しなさい。今回は望外の幸運で事なきを得たけど、下手をしていたらニコルは死んでいたかもしれないのよ」

「そ、それは……うん」

「だから……コルティナ。あなたにも特訓を受けてもらうわ」

「特訓って……私には実際に戦う才能なんてないわよ?」

「それでも、鍛えればどうにかできた状況は多いはず。これから先、そういう事態にも備えないと。あなた自身のために」

「うぅ~」


 コルティナは抵抗の様子を見せていたが、陥落は目前というところか。

 俺としても、マリアの主張はよくわかる。肝心な時に力がない。その結果がどうなるか、俺もコルティナも、身をもって知っている。

 だからこそ、彼女も強固に反対できないでいた。

 実際、俺たちの中でコルティナが一番最初に狙われるという事態は、数えきれないほどあった。

 それを抑制する意味でも、マリアによる特訓はありがたい話かもしれない。


 結果としてコルティナはしぶしぶと同意し、マリアと一緒に北部へ向かうこととなった。その間は後でマクスウェルに連絡を入れ、休職扱いとしてもらうことになった。


「それじゃトリシア。この子たちのこと、お願いね?」

「任せておいて……っていっても、もうこの子たちの方が腕利きなんだけど」

「そうね。じゃあニコルちゃん、トリシアのことお願いね? お酒飲み過ぎたらシバキ倒してもいいから」

「ひどい!?」


 俺とコルティナが別れの挨拶をしている間、マリアは転移魔法の準備を始めていた。

 いそいそと魔法陣を描き出す。その速度はかなり手馴れてきたとはいえ、やはりマクスウェルには見劣りする。


「それじゃ、マリア。フィーナの洗礼、楽しみにしているからね」

「あなたが楽しみにしてどうするのよ」

「いいでしょ、可愛い親友の娘二号を楽しみにしても」

「はいはい。それじゃまた後でね」


 教皇は最後までマイペースだった。だがフィーナのためを考えたなら、これは悪い話ではない。

 後ろ盾として教皇がいるというのは、フィーナにとっても損はないはずだから。

 その隙にマリアは転移門ポータルゲートの魔法を発動させ、北の村に戻っていった。

 コルティナの、その時のひきつったような笑顔は、なかなか見れるものではない。珍しいものを見た気分だった。


「マリア様、帰っちゃったね」

「ええ。寂しくなりますね」


 そんな声が背後からかかる。見るとミシェルちゃんとフィニアが、しょんぼりとした顔をして手を振っていた。

 幼い時より世話になったマリアたちは、彼女たちにとっても特別な存在だ。

 そして俺のように頻繁に顔を合わせることができない彼女たちは、さらに特別な別れに思えているのだろう。


「大丈夫、すぐわたしが転移門ポータルゲートを覚えて、会いに行けるようにしてあげるから」

「ニコル様、実はそれって、かなり凄いことなんですよ?」


 干渉系魔法の中でも変化ポリモルフと並んで最高難易度の転移門ポータルゲート。それを使いこなせることができれば、様々な面で役に立つことができる。

 今回のように商人に雇われれば、一生食うに困らないだけの稼ぎを得ることもできるだろう。

 貿易だけではない。ギルドのメッセンジャーにでもなれば、かなりの報酬を期待できる。国に雇われるのも、有効だろう。

 それだけに難易度が高く、そこまで至ることが難しい魔法。それが転移門ポータルゲートだ。


 これをあっさり覚えたマリアが異常なだけで、本来なら老齢になるまで研鑽を続けないと習得が難しい魔法である。

 そしてそれを、若干十五歳にして習得を視野に入れることができる俺も、また異常だった。


「まあ、それはそうなんだけど……ん?」


 フィニアの言葉に答えを返したところで、奇妙な喧騒を聞きつけた。

 喧騒といっても、ケンカや暴動の続きという剣呑なものではなく、戸惑いや歓声といった類のものである。


「なんか、玄関の方が賑やかだね」

「ええ、まるでマリア様たちが来た時みたいな?」

「その時はわたし気を失ってたし」


 マリアたちが来た時の様子はわからないが、それに近い雰囲気があるという。

 ならば、それに近い人材が来たということか?

 俺がそう考え、口にしようとしたところで、裏庭に背の高い男が乱入してきた。

 案の定、遅れて連絡を受け取ったマクスウェルである。


「ニコルが大怪我をしたじゃと!?」

「いや、それはすでに終わった話」


 裏庭に駆け込んでくるなりそう叫んだマクスウェルに、俺は冷静にツッコミを入れる。

 だがマクスウェルは俺の顔を見て、いぶかし気な表情を浮かべた。


「その眼帯はなんじゃ? まさか傷跡が残ったのか?」

「いや、これは――」


 後遺症と言えば後遺症と言えるだろう。無駄に強力な魅了の力を得てしまったのだから。

 どうやら目を見るだけなら、視線が釘付けになる程度のようだが、ここに俺が『願望を口にする』という要素が加わると、その魅了の力に指向性を与えることになるらしかった。

 つまり、眼帯を取ったら迂闊なことは口にできない。


「まあ、あの神様の力で、ちょっとばかり強すぎる『力』が残ったみたいで。これはそれを抑えるための魔道具」

「そ、そうじゃったのか。いや、目を離した隙に大怪我を負ったと聞いて心配したぞ」

「それは悪かったと思ってる。でも心配してくれたんだ?」

「当り前じゃ。仲間……いやその、たった一人の内弟子じゃぞ」


 危うく『仲間だから』と言いかけて、マクスウェルは言葉を変えた。ここには俺たち以外にも人目がある。

 それにしても、ライエルと入れ替わりにやってくるとは、この爺さんもタイミングが悪い。

 ましてや今は、教皇までいる。

 その当の教皇は、澄ました顔で深々と一礼し、華麗な挨拶を決めていた。


「初めまして、マクスウェル翁。私はアシェラと申します」

「これはご丁寧に。アシェラ……世界樹教の?」

「ええ、教皇を勤めさせていただいてますわ。もっとも枢機卿たちの方が、声は大きいようですけど」

「それは難儀なことですな」


 ニヤリと悪巧みをするときの笑顔を浮かべるマクスウェル。同じような表情をしている教皇。

 どうやらラウムとベリト、双方の権力者の偶然の顔合わせは、面倒なことになりそうだった。

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