第456話 フィニアとの口裏合わせ
一瞬の後、俺は宿の近くまで戻ってきていた。
そばにはバーさんを自称する少年の姿もある。周囲に彼以外の人影がいないことを確認してから、俺は幻覚を解除して、元の姿に戻った。
「今夜は世話になったな」
「君は彼女のお気に入りだからね。まあこれくらいは」
そういう意味では、あの白い神に感謝しないといけないな。
「そっか。明日には発つから直接礼を言えないけど、よろしく伝えておいてくれ」
「了解したよ」
今の俺に、彼女に返せるものは言葉しかない。それが少々心苦しくはある。
しかし早く宿に戻らないと、抜け出したことがバレて、マリアやライエルに詰問されてしまう。替え玉を用意していたとはいえ、あまり長くはごまかせないだろう。
このタイミングで抜け出していることがバレたら、俺の正体に辿り着くのは容易いはずだ。
「悪いけど、早く戻らないといけないから」
「それは理解してるよ。彼女もこれで気を悪くするような性格じゃないから、安心するといい。もっとも面倒な感じに拗ねるかもしれないけど」
「そっちの方がなんだか怖そうだよ」
俺は一つ手を振って、宿の二階に糸を飛ばそうとして、気付いた。
致命的で、重大なミスを犯していた。
「あ、カタナ回収してねぇ……」
さいわい場所ははっきりと覚えている。しかし走って取りに戻る時間はない。
戻ってきたライエルが、俺の部屋を確認しに来る可能性もあるからだ。
俺はなんだか悲しい思いで
無駄に魔力を消耗してしまったが、騒ぎになる前に証拠品のカタナを回収できた。
後は部屋に戻ってファブニールと入れ替わり、寝た振りをしておけば、事は収まる。
ライエルは俺を信じていたようだが、それでも疑念は残るはず。しかし部屋でずっと寝ていたという証拠があれば、疑念も霧散するだろう。
窓に糸を飛ばし、こっそりと部屋に入ると、目の前に少し怒った表情のフィニアが立っていた。
俺は思わず仰け反って、窓枠から足を滑らせそうになる。
その横には正座している俺……ではなく、俺の姿を真似た魔竜ファブニールの姿。
「うぉっ!?」
「どこ行っていたんです、レイド様」
「い、いや……」
窓枠にしがみついて落下を防いだ俺に、ずいと近づいて眉を吊り上げる。
なんとか室内に入り込んで、後ろ手に窓を閉めてから、フィニアを手で制する。
「待って待って、これはどうしても外せない用事というか男のプライドというか、そんな感じの――」
「今レイド様は女です」
「そうだけど、そうじゃなくてぇ」
なんとなく俺はフィニアの前で座り込んで説教を聞くことになった。
いや、彼女が座らせたわけではないのに、自然と。怒られた時はこういう姿勢を取ると、マリアに散々仕込まれていたのだ。
「抜け出したのを発見したのが私だったからよかったものの、マリア様かライエル様が見つけていたら大騒ぎになるところだったんですよ」
「そのために身代わりを置いていたし」
「私に見抜かれる程度の
「なぜバレたの?」
「尻尾が出てましたし」
「ハ?」
フィニアに言われて俺は横のファブニールに視線を向けると、一段と頭を下げて縮こまる。
「その、うっかり本気で寝入って尻尾が出ちゃいまして」
「飼い主に似てポンコツか!? でも魔法が勝手に切れたってわけじゃないだろう?」
「その、私らの変化は魔法とはちょっと違うアレなんで」
わたわたと手を振って言い訳する姿は、白いのと瓜二つだ。
そもそも古代竜が本性なのだから、その巨体も相応。魔法が解除されたら、宿が吹っ飛ぶ。
とはいえ、これを強く糾弾する資格は、俺にないだろう。
抜け出したことも、身代わりを頼んだことも、すべて俺の個人的な都合だ。
それに白いのには、大量の借りができている。この程度で目くじら立てるのは、お門違いというものだ。
「いや、いい。元は俺が原因なんだから、原因は俺に帰属する。だから謝る必要なんてないんだ」
「え、いいの?」
「ああ。だからもう帰っていいよ。今日はありがとうな」
「そっか。うん、じゃあ、またね」
ファブニールはそういうと、窓際で翼を広げて飛び出していった。
これはこの場にとどまっていたら、フィニアの説教が続くと判断したからだろう。
その逃げ足の速さは、白いの譲りといえるほど素早かった。
「で、レイド様?」
「いやゴメン。でもほら、クファルの奴が生き延びてるって聞いたからさ」
「えっ!?」
「それは大丈夫、迷宮の中に閉じ込めてきたから。監視者もいるし、もう二度と出て来れないよ」
「そ、それならいいんですけど……」
フィニアはクファルが無力化されたと聞いて、胸を撫で下ろしたようだった。
それよりも俺には、彼女にいっておかねばならないことがあった。
「ところでフィニア。わたしが抜け出したこと、ライエルにはバレてないんだよね?」
「はい。レイド様が抜け出してしばらくしてから、威圧を伴う咆哮が響きましたので、そちらの調査に。ただマリア様がニコル様の様子を見に来ましたけど」
フィニアの報告を聞いて、俺はギクッと首を竦ませた。
マリアはフィニアとは比べ物にならないくらい鋭い。場合によってはコルティナ以上に敏感だ。
そのマリアに替え玉を目撃されたとなれば、看破された可能性も充分にある。
「その、バレてなかった?」
「はい。その頃はまだ寝入ってなかったようですので。それで、あの子は誰なんです? 尻尾が出てましたけど」
「あはは、まあ白いのの知り合いかな?」
ここで古代竜の一種ですとか言ったら、フィニアが腰を抜かしかねない。
ここは笑ってごまかすに
「それより、咆哮はクファルが呼び出した魔神の仕業なんだ。そっちは俺とライエルで始末付けたから」
「え、ライエル様と?」
「運よく変装が間に合ったから、俺の正体はバレてないけどね。俺がここにいたとマリアが証言してくれれば、疑われることもないだろう」
「そうですか、よかった」
「まさかあの双剣の魔神が出てくるとは思わなかったけどね」
「ええっ!?」
さすがに驚愕するフィニア。あの魔神は彼女にとっても因縁の相手だ。
「で、でもライエル様と二人なら、きっと余裕でしたよね?」
「それが相手も二体いてね。まあわたしとライエルで一体ずつ仕留めたんだけど」
「二体も!?」
「わたしもライエルも、あの頃からかなり腕を上げているからね。苦労はしたけど」
あの魔神と戦って、俺はそれほどダメージを受けていない。
剣の攻撃も余裕をもって見切れていた。問題はそのあと。
これを同時に使用することで、あの魔神を圧倒する運動能力を得ることができた。
もちろん、その代償は大きい。
俺の身体は今も軋みを上げるほどの痛みを感じている。強化された運動能力に、耐久力が付いてこないのだ。
下手をすれば走り出した衝撃で骨や関節が砕けかねない。
「ま、切り札にはなるか」
「切り札?」
「うん。ちょっとね」
身体を壊しかねない切り札。そんな物があると聞くと、フィニアなら絶対に使用を禁止する。
だが今後、追い詰められたら使う機会もあるはずだ。ならこれは内緒にしておいた方がいい。
「まあ、そういうわけで、口裏を合わせてほしいんだ。フィニアはずっとこの部屋にいて、わたしの様子を見ていたって。マリアの証言もあるし、そういってくれれば、疑われる可能性もないだろうし」
「そういうことでしたら、かまいませんけど……」
だがフィニアはなにか引っかかるような表情を浮かべていた。
「気になることがある?」
「いえ! その、クファル師……いえ、クファルは私の育ての親でもありましたし、レイド様の仇でもあるということで、少し微妙な気分に。いまさらですけど」
「そっか。救いようのない男かと思ったけど、フィニアを育ててくれたことは感謝しなくちゃね」
「ええ、微妙ですけど」
「ほんと、微妙だけど」
俺とフィニアは、そういって視線を交わし、小さく笑い合ったのだった。
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