第342話 追跡者
俺と破戒神は公園内を散々駆け回った後、二人して芝生の上でぶっ倒れることになった。
おかしい、体力的には俺の方が勝ってたはずなのに……と思ったら、あの野郎、ちゃっかり
ヘロヘロになりながらぺちぺち殴り合っていると、周囲からの視線が痛くなってきたので、とりあえずその場は解散することになった。
この後はクラウドの元に話を聞きに行く予定だったのだが、白いのから真相を聞き出したため、その意味は無くなった。
見舞いと言うならレティーナの方にも行きたいのだが、彼女は仮にも侯爵令嬢。
そして俺は英雄の娘である。あまり入り浸るとあらぬ疑いをかける連中も出てきかねないので、彼女の屋敷には必要最低限の用事がある時しか訪れないようにしていた。
薄情に思われるかもしれないが、これは彼女のためでもある。
クラウドの元を訪れる必要もなくなり、レティーナを訪ねるわけにもいかない。
そんな手持ち無沙汰な状態で、俺は仕方なく帰路についていた。
そして人通りの少ない路地に入って、俺は足を止める。
「誰かな? つけているのはわかってるよ」
公園を出た頃合いから、俺は背後に人の気配を感じていた。
窓ガラスなどで背後を何度か背後を確認し、その姿を捕らえることもできている。
一見したところでは中肉中背の、どこにでも居そうな男の姿。
目立たないようにだろうか、黒い衣装を身に纏っていた。
俺に気付かれていたことを察したのか、背後の角から一人の男が姿を現した。
痩せ細っているわけではないが、どこかひょろりとした体格。黒ずくめのコートに、ボサボサの髪とごつい手甲。
それは俺が散々目にした男の姿――前世の俺だった。
「やあ、君がニコルちゃんかな?」
「そういうあんたは、レイド……ってわけじゃないよな?」
「なぜそう思うんだい?」
「少なくとも本人じゃないことだけはわかるんだよ」
何せ、ここに俺がいるからな。つまり目の前のこいつは、俺に変装した誰かってことになる。
おそらくは奴が、おばさんの言っていた怪しい男なのだろう。
近所の人から話を聞き、出入りする俺に姿を変えて、住人――すなわち俺かコルティナに接触する。それが目的か。
「なぜわかるんだい?」
「姿を隠している人に答える必要、ある?」
「もっと人を信用して欲しいなぁ。噂じゃ元気で素直な子だって評判だったのに」
まるで無防備を証明するかのように、両手を広げて俺に近付いてくる男。
距離にして二メートルまで近付いた時、俺は腰に下げていたカタナをおもむろに引き抜き、斬りつけた。
ゴブリンが市内に侵入し、その分治安が乱れていたため、街中でも武装するようにしていたのが功を奏していた。
そして目の前に立つ男は、俺がレイドであることを知らず、同時にレイドの姿を知り、コルティナに正体を隠して接触する意思がある相手だ。
そんな相手に遠慮してやる義理なんて、俺にはない。
カタナ特有の、納刀状態からの斬撃。いわゆる抜刀術を男に仕掛ける。
これは鞘を刃筋のガイドラインにできるため、身体能力のすべてを剣速に回すことができる利点がある。
更に鯉口部分で切っ先を弾くことで、限界以上の速度で斬りつけることができる。
踏み込みつつ斬りつけたことで、男が近づいた二メートルという距離は完全に俺の間合いの内となった。
完全に不意を突いた一撃、それは男の首をめがけて放たれていた。
しかし男は仰け反るようにしてその攻撃を躱す。
身体強化する前の斬撃だったとはいえ、一般人ならば避けられるような攻撃ではなかったはずだ。
つまり、この男はそれなりに心得がある敵と言うことだ。
「うわっ、いきなり斬りつけてくるかな、物騒な」
「うるさい。その姿を取っていること自体、腹立たしいんだよ」
「おや、保護者を取られて嫉妬しちゃったかな?」
「お前は偽物だろう!」
図々しいことを放言する男に、俺はポケットに手を突っ込んで、持ち歩くようにしていたピアノ線を引っ張り出す。
抜き出す動作から攻撃に直結させる。しなりながら首元に伸びた糸を、今度こそ倒れ込みながら避ける男。
俺はその男に覆いかぶさるようにカタナを突き立てていく。
だが俺の刺突は男を捕らえることなく地面に突き立った。
奴がどう避けたのか、直接目の前にいた俺ですら理解できなかった。
だが俺のすぐそばに奴がいる。それだけはわかったので、反射的に首に向けて糸を飛ばし、絡める。
糸は男の首に絡みつき、俺は引き裂くように糸を引き――そして糸が解けた。
「なっんだとぉ!?」
まただ。目の前にいたというのに、どう解かれたのか理解できなかった。
相手の得体のしれない回避に俺はとっさに距離を取る。
正直言って、これは屈辱だ。正面から一方的に攻撃を仕掛けたのに、一切ダメージを与えることができなかった。
「驚いたな。糸も使うのか」
「何者だ、お前」
「レイド、って言っても君たちくらいの歳ならわからないかなぁ?」
「いい加減、そのヘタな芝居をやめろ」
本気の殺意を込めて、男を睨む。こんなやつを野放しにしておいては、コルティナが俺と勘違いして罠に嵌められかねない。
「おお、怖い怖い。まあいいか? 僕の名前はクファルって言うんだ。以後よろしく」
「なるほど、覚えておくよ!」
「うん、僕も覚えたよ。糸使い……イヤな記憶を刺激してくれる!」
互いに叫んで敵意の視線を飛ばし合う。もう一度斬り込もうと踏み込んでい行くが、しかし男は俺より一瞬早く距離を取り直した。
男は飛び退って腕を振り、同時に俺も糸を飛ばす。
斬りつけるように操作した糸は、確かに男の身体を捉えたが反応が鈍かった。
致命傷には至っていない。そして男の腕からは何か液体のようなものが飛来し、俺はそれを転がって躱す。その液体は壁や地面に飛び散り、白い煙を上げて石を溶かす。
「――酸!?」
どこにそれを仕込んでいたのか。いやあの手甲はそう言う代物を隠し持つには最適な武装だ。酸を飛ばす仕掛けを仕込んでいてもおかしくはない。
一回転して起き上がり、追撃を警戒して視線を男の方に向ける。
しかしその時には、男は再び路地の角へと姿を消していた。
「なんだってんだ、あいつ……」
だが、この一件は俺一人で抱えておくのは無理がある。放っておけばコルティナが危険に晒されかねない。
特にレイドの姿となれば、彼女の警戒心は全く働かないだろう。
だが本人に直接言うわけにはいくまい。下手をすれば俺と本物のレイドが殺し合ったという認識をされかねない。
「そうなると……やはりマクスウェルに話を持っていくしかないか」
どうやら最優先で向かう場所ができたようだった。
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