第211話 ターゲット

 マクスウェルは転移魔法を使える。つまり、辺境であろうがどこであろうが、好きな時に首都まで戻ってこれるということでもある。なので、寝る時になると屋敷に戻ってくることが多い。

 その時間になるとコルティナも戻ってくるので、おそらく全員を頻繁に送迎しているのだろう。

 俺は暇を見ては、クラウドを見舞い、そしてマクスウェルにも会いに行っていた。

 これは、事件の展開を爺さんから聞き出すためだ。


 マリアやライエル、コルティナが相手では、事件の詳細を知らせてくれない。

 だから俺は人目を忍んでマクスウェルに会いに行かねばならなかった。


 その日の夜も、俺はマリアやコルティナの目を盗んでマクスウェルの屋敷に向かった。

 夜間に忍び込んできた俺に、マクスウェルは相好を崩して出迎えてくれる。


「爺さんもいい加減結構な歳なのに、宵っ張りだな」

「なに、仲間が訪ねて来てくれるんじゃから、歓迎するのが筋じゃろう?」

「ライエルやガドルスも送り迎えしているんだろう? 疲れないのか?」

「この程度なら問題ないわい」


 ストラ領の調査に出向いているマクスウェルたちだが、そこはいわば敵地のど真ん中だ。

 いつどのような罠が仕掛けられるかわからない。

 そこで夜になると、安心して休息が取れるようにと、それぞれを家まで送り届けている。

 普通ならば魔力の無駄遣いと言われても仕方ない行為だが、マクスウェルにとっては誤差の範疇らしい。


「で、向こうの様子はどうなんだ?」

「それがかんばしくないんじゃよ。ストラ領はサルワ辺境伯によって管理されておるが、その辺境伯がどうやら雲隠れしたようでな」

「雲隠れ? 姿を消したのか?」

「その通り。しかも私財をごっそり持ち出しておるそうじゃ」

「それって……にげた?」

「その可能性が高くなってきておる」


 俺たちが奴隷商と戦い、その手下を確保したことは、サルワ辺境伯には伝わっていないはず。

 なのに、私財を回収して逃げ出している。これは戦う前から逃げ出す準備をしていたことを意味している。

 だがなぜ? どうやって俺たちが辿り着くと判断できた……?


「奴はどうやって、こっちの捜査を知ったんだろうな?」

「それはわからんが……ひょっとしたら前々からその準備をしておった可能性が高い。と言う事はどこかで疑われるミスを犯していたのかもしれん」

「どこで……いや、ひょっとして……」


 そこで俺は一人の男を思い出していた。タルカシール伯爵を捕らえた時にいた、仮面の男だ。

 もしあれがサルワ辺境伯ならば、その時点で逃亡を企てるのも納得がいく。

 あの時、マクスウェルが事件に絡んでいたし、その場を俺とマクスウェルの使い魔に見られている。

 顔は隠していたが、それでも英雄と呼ばれる者の使い魔に見られたのだから、正体がバレたと思い込み、逃げ出す算段をしてもおかしくはない。


「そう言えばタルカシールは、魔術学院にサルワ辺境伯の息子がいるとか言っておったの」

「ああ、知ってる、ドノバンだ。あの選民意識の塊みたいな奴」


 三年前、校内見学の時に俺に絡んできた辺境伯の息子。それが確か、ドノバン・ストラ=サルワと名乗っていた。

 この名を名乗る限り、無関係なはずがない。


「性格はともかくとして、成績は悪くないのじゃがな。確か今、最高学年だったかの」

「まだあのままなのかよ? きっちり矯正しとけ」

「他者の性格にまで干渉するのは、さすがにやり過ぎじゃからのぅ。悪い事は悪い事と教えるに留まっておる」

「それじゃ、学院の思想は建前になっちまうだろ」

「洗脳と教育は際どい問題なのじゃよ……」


 溜め息を吐いて、マクスウェルは肩をすくめた。

 よく考えてみれば、理事長であるマクスウェルの耳に入るまで、奴の傲慢さは轟いていたという事だろうか? それはそれで大きな問題のような気がする。

 だがそれを打ち消すほど優秀な成績を持っているのかもしれない。


「それはともかくとして、息子がいるのに姿を消したのか」

「サルワ伯は元々酷薄な性格をしておったらしい。そういう事もあるかもしれん」

「そういうものか?」


 親子の情すら捨てて逃げたのだとしたら、ドノバンの奴が少し可哀想になって来るな。

 しかし、貴族ともなると親子関係ですら政略に使用するのだから、こういうことが起きる可能性もある。

 なんにせよ、標的の名前は把握できた。


「もし見つけて……俺の力が必要になったら、遠慮なく言ってくれ。俺だって仲間の腕を斬られた恨みはある」

「自分の拳のことは思考の埒外か? お主は少し、自分をいたわわった方がよいぞ」

「それはそれ、これはこれだよ」


 クラウドだけじゃない。ミシェルちゃんやフィニアを死ぬほど心配させた借りは、きっちり返さないといけない。

 敵が見定められただけでも、今日の成果はあったというモノだ。





 翌日、俺は学院で大人しく授業を受けていた。

 もちろんあの戦い以降も、きっちりと登校している。怪我をマリアが治した以上、俺は生徒としての役割を果たさねばならなかった。

 それにコルティナは、俺がこの件に関わるのを嫌っていた。

 奴隷商との戦いに、隠刀流と言う暗殺流派が関わっていたことを、重く見ているのだ。


 マクスウェルを経由して情報を得ているとは言え、表立って動けない以上、こうして学院で授業を受けるしかない。

 だがそれも、妙に手持ち無沙汰になってしまう事は否めない。

 そんな日常に思わず物憂げな溜め息を漏らす。それがどうも、周囲の視線を集める効果があったらしいのは、余計な副産物である。


「また溜め息を吐いてますわね」

「レティーナ。そうはいっても……」

「クラウドくんが気になりますの?」

「気にならない方がおかしい」


 俺とレティーナの会話に、クラス全体がざわめいた。

 なぜか皆、驚愕した表情を浮かべている。


「ニコル様に気になる相手だと……!?」

「クラウドってのはどこのどいつだ!」

「ほら、冒険者の仲間の――あの半魔人だよ」

「あいつか! あのハーレム野郎か!」

「支援学院のミシェルって娘とも仲がいいんだろう? 食堂で一緒にデートしてるところを見たって報告が上がっているぞ」

「あの胸の大きい?」

「そう、すでにすっごく大きい。アレはすばらしい」

「オッパイを独占するとは、許せんな」

「ああ、これは断じて許せん事態だ」


 どうも女ばかりの俺たちの仲間になっているクラウドは、妙な方向に恨みを買っているらしい。

 俺に心配してもらっていることが、そこまで大事なんだろうか? むしろミシェルちゃんが意外と人気のようで、少しだけ鼻が高く感じる。

 しかし、想定外の大きな反響に、俺は少しばかり首を傾げていた。だがその騒動も唐突に終わる。

 人を掻き分け、上級生が一人、俺の前にやってきたからだ。


「あ――確か、ドノバンくんだっけ?」


 その顔に俺は見覚えがあった。俺たちの中で話題のドノバン・ストラ=サルワその人だ。

 彼は俺の前までやってくると、しばらく緊張した面持ちで立ち尽くしていた。

 俺はこっそり、懐のピアノ線に手を伸ばす。

 奴は敵の息子だ。ここで不意打ちを仕掛けてくる可能性も……充分に有り得る。

 無論、衆目のど真ん中である以上、それは悪手ではある。


 そしてしばらく逡巡したあと、ドノバンはおもむろに俺の前に這いつくばった。いわゆる土下座だった。

 周囲の視線をものともせず、床に額を擦りつけながら、教室中に轟き渡るほどの大声で俺に嘆願した。


「ニコル――いや、ニコル様、頼みがある! 俺を助けてくれ!」

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