第210話 クラウドの容態

 クラウドが奴隷商と戦ってから、数日が経過した。

 幸い後遺症はあまり残っておらず、冒険者生活に支障は無さそうで一安心だ。いかにマリアと言えど、精神に傷を負った場合は癒すことができない。深手が原因で心に深い傷を負い、元通りの動きができなくなって引退する冒険者も多い。

 コルティナの家には彼女が留守にする代わりに、マリアが取り仕切っていた。

 これは重傷を負ったクラウドの様子を見る意味でもある。


 俺がマリアに心配そうに容態を尋ねると、さも心外そうに『私が後遺症を残すはずがないじゃない。ボーイフレンドが心配だからって、ママを疑うのはやめなさい』と叱られた。

 いろいろと間違っているので、強く抗議しておいたのだが、なぜか意味ありげな笑顔で『はいはい』と流されてしまった。

 どうも俺とクラウドの関係を勘違いしている節がある。


 マクスウェルとライエル、コルティナの三人は……いや、おそらくはガドルスもだろうが、今は街を離れている。

 おそらくはストラ領のサルワ辺境伯の調査に向かっているのだろう。

 マクスウェルの転移魔法があるとは言え、事はご当地貴族の暗部。数日で事を収めるのはさすがに無理だ。

 俺が現役だったら、マクスウェルに転送してもらい、その日のうちに関係者全員暗殺して見せたのだが、ライエルたちではそうはいかない。

 良くも悪くも正攻法しかできない連中だ。コルティナの悪巧みに期待しておくとしよう。


 その日も俺はクラウドの元に訪れ、彼の様子を見に行っていた。

 この世界で最大派閥の世界樹教の教会の一角が孤児院として利用されていて、そこに十人少々の子供たちが暮らしている。

 管理しているのは教会のシスターなのだが、この光景は俺が死んだ時を思い出さざるを得ない。

 負傷後は毎日訪れているが、教会の姿を目にするたびにフルリと背筋が震える感覚が走る。

 これは。転生前の死の経験がトラウマのように俺を蝕んでいるのかもしれなかった。


「もう、そんなに心配しなくても大丈夫よ。私の魔法をもっと信用しなさい」


 そんな俺を、マリアはやはり勘違いしている。俺がクラウドの怪我を心配して震えたとでも思っているのだろう。

 もう何度も言い合いをしているので、これを訂正するのが面倒くさい。


「そうじゃないし」

「はいはい。そうだったわね」

「うゎ、イラっと来た」

「はいはい。ほら、急ぎましょ」


 これも何度もやり取りしてきた会話だ。誤解を解くのはすでに諦めているので、そのまま流して敷地の中に足を踏み入れていく。

 まだ朝だというのに、前庭には子供たちが出てきて遊んでいる姿があった。彼等は俺たちの姿を見て、その遊びの手を止める。

 孤児院に似つかわしくない、清楚な容姿の俺と、若々しいマリア。

 俺たち二人に、呆けたような視線を送る孤児院の子供たち。これも毎度の光景だった。


 そんな子供たちを掻き分け、一人の女性がこちらにやってくる。

 彼女が、この教会を取り仕切っているシスターだ。

 まるでそこらの主婦のように柔らかく、親しみやすい雰囲気。だがこのラウムで教会を任されると言う事は、それなりの立場と言う事になる。


「いらっしゃいませ、マリア様。今日もクラウドのお見舞いですか?」

「はい。彼は元気にしていますか?」

「まだ多少右腕がしびれると言っていましたが、動きに問題はないようですよ」

「痺れが残っていますか……少し注意して診ないといけませんね」

「よろしくお願いします。あの子も色々ありますが、本当にいい子ですから……私も心配で」

「わかります。特に彼は――」

「ええ」


 半魔人。それが故に彼は不当にいじめられていた。

 腕に障害が残れば、冒険者としての大成も危うくなる。そうなれば彼の将来に大きな影が差すことくらいは、俺でもわかる。


「クラウド、落ち込んでる?」

「いいえ、早く元に戻そうと躍起になって剣を振ってますよ。そこはご安心ください」


 シスターと言っても、すでに六十に手が届こうかと言う年齢の女性だ。

 そんな彼女が十になったばかりの俺に、優しく微笑んでくれる。マリアとは違うホッとさせる笑顔。

 そんな年嵩の彼女が、年下のマリアや俺に丁寧に接してくれるのだから、こちらの方が恐縮してしまう。


「無理はいけないから、止めてくる」

「そうですね。確かに少し張り切りすぎかもしれません」

「じゃあ、私はいつもの部屋――でいいですよね?」

「ええ、かまいません。あそこは怪我をした子供の治療に使っていた部屋ですので」

「わかりました。ニコル、そこにクラウドくんを連れてきてくれる」

「ん、わかった」


 俺はマリアの元から駆け出し、教会の裏庭へと向かう。

 そこは菜園などが作られていて、あまり子供たちが近寄らない場所だ。

 だが危険な刃物を振る以上、小さな子供たちが寄り付かない場所はむしろ好都合。おそらくクラウドはそこにいるだろう。

 宿舎を回り込んで、裏庭を目指す。そこには上半身裸で剣を振るクラウドの姿があった。


「クラウド、おつかれ」

「師匠、今日も来てくれたの?」


 ミシェルちゃんたちとパーティを組む時は、俺の事を名前で呼ぶクラウドだが、二人の時などは師匠と呼んでくる。

 これは昔からの癖なのだそうだ。それと、パーティを組む時は名前を呼ばないと、連携が取れない場合があるからだ。

 クラウドは肉付きの薄い、細い――良くも悪くも少年っぽい身体から汗を大量に吹き出させながら、剣を振っていた。だがその身体には確実に、うっすらとだが筋肉が乗り始めている。前世の俺より力は上になるかもしれない。

 夏場だというのに、湯気が出そうな熱気だ。


「うん、ママも来てる。後で治療室に来るようにって」

「師匠、なんだかマリア様と一緒だと、口調が変」

「うっさい」


 マリアと一緒にいると、俺は否応なく娘である事を意識しないといけない。それを演じる上で、子供っぽい口調と言うのは必要になってくる。

 クラウドと出会ったときから『俺』で通していたので、それが違和感のように感じているのだろう。


「でも元気そうで何より」

「ちょっと痺れが残ってるんだけどね。これ、治るかな?」

「ママが治せない怪我はないよ」


 腕が千切れるほどの大怪我。それがこうして普通に動いているだけでも、マリアの魔法の素晴らしさがわかる。

 先ほどの素振りの様子を見ても、心配するほどの後遺症ではなさそうだった。

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