第212話 ドノバンの相談

 ドノバン・ストラ=サルワ。

 ストラ領、クレイン・ストラ=サルワ辺境伯の一粒種。その性格は父親譲りであり、選民思想の塊。本質的に皮肉屋で傲慢極まりない。

 しかし、魔術の腕は一級品で、初等部に所属しているにもかかわらず、すでに中級の火系魔術を使いこなせる。

 現在は初等学院の最上級生。俺より二歳年上の生徒で……校内見学の時に俺に絡んできた生徒だ。


 その選民思想の塊が俺の前に土下座をして、額を床にこすりつけ助けを乞うている。

 俺はこの世界でも有数の有名人の娘ではあるが、貴族位は持っていない。

 つまり、彼から見ればただの平民。その俺に向けて床に這いつくばるなど、彼の思考からすれば本来許しがたい格好のはず。

 それも衆人環視の最中で、だ。

 その行為が彼の中で、どれほど屈辱的な感情を巻き起こすかは、推して知るべしだろう。


「頼む、いや、頼みます、ニコル様! どうか、俺を助けてください!」

「ちょ、ちょっと……」

「もう、頼れる人があなたしかいないのです! どうか、どうか……!」

「待って、とりあえず詳しい事はわからないけど、顔を上げて」

「いえ、良い返事をもらえるまでは、決して。この身を恥辱に晒してでも力をお貸し願いたい。それが今の俺に示せる唯一の誠意!」

「わかった! もうわかったから、とりあえず場所を変えよう!?」


 このままでは注目を集めすぎる。

 俺の学園生活は非常に目立っている。力無い幼少時は地味に堅実に修行の日々を送るという俺の目的から、大きく外れてきているのだ。

 それなのにこんな真似をされたら、あらぬ噂が立ってしまう。

 とにかく早急に人目のない場所に移動して、それから詳しい話を聞く事にしよう。

 俺のその言葉を聞き、ようやくドノバンは顔を上げたのだった。





 場所を変える……と言ってもここは公的な魔術学院。

 俺個人が他者の目を遮れる場所など、持っているはずがない。

 しかも大抵の教室には窓が設置されていて、廊下や中庭から中を覗く事ができる。

 食堂なども論外。人のいない事で有名な音楽室ですら、窓は設置されている。

 しかも音楽室は、俺が中に入るとなぜか見物人が集まってくるようになったので、密談には全く向いていない。

 結果として、俺はドノバンを連れ、生徒指導室と言う名の、別名お説教部屋へシケ込むことになった。


 生徒と対話するための椅子と机。無論それだけではなく、保護者と面談するためのソファとテーブルも完備されている。

 話が長くなった時に備えて、最低限の持て成しができるようにお茶を淹れる設備まである。

 とりあえず俺はコルティナに話を通し、そこを借りる事にした。


 コルティナも、相手がサルワ家の関係者と知って最初は同行を要求していたが、ドノバンが強硬に反対していたため、ここは断念してくれた。

 やはり『言うこと聞いてくれないと、マクスウェルの住み込み弟子になっちゃうんだから!』という一言が効いたらしい。

 そんなわけでコルティナはドアの外で待機中。生徒達も廊下や窓の外に押しかけてはいたが、これはカーテンを引いて視線を遮る事で対処した。

 コルティナが扉の前に陣取っているため、生徒の聞き耳は心配しなくていい。

コルティナには盗み聞きされてしまうだろうが、彼女がいるのに他の生徒まで盗み聞きする事はできないからだ。


 応接用のソファに腰掛け、悄然とうなだれるドノバン。

 その彼の前にとりあえずお茶を淹れて差し出し、向かいのソファに座る。話をするならば、舌を湿らせる水分は必須だろう。

 ここはいつもの俺の態度では問題があるので、淑女モードのスイッチを入れる。

 足を揃えて斜めに流し、ピシリと背筋を伸ばして、超然と茶を口元に運ぶ。ちょっと澄ました態度は、日頃のレティーナの真似も入っている。


「んく。それで、一体これは何の騒ぎなんです、先輩?」

「あ、ああ……その、入学前の時は申し訳ない事をした」

「それはもう三年も前のことですので、特に気にしてません」

「そうか……その……」

「聞き耳ならば心配しなくていいですよ? コルティナ先生が扉に張り付いてますけど、話を漏らすような人じゃないですし」

「それは人目を避けた意味がないのではないか!?」

「あそこに先生がいてくれるおかげで、他の生徒が寄り付かないんです」

「そうなのか……?」


 それで納得してくれたのか、ドノバンも一口茶をすする。これは何かを話し出すもの特有の動作かもしれない。

 尋問を受けた対象は、何かを打ち明ける時、人は必ず一度水分を口にすると言う話を聞いた事がある。


「最近ストラ領に六英雄の連中――いや、方々が訪問しているのは知っているか? いや、いますか?」

「無理に敬語を使わなくてもいいですよ? ええ、エリオット陛下の誘拐事件に絡んで、その調査に向かったと聞き及んでいます」

「そうだ。あろうことか父があの事件に関与していると疑われているらしい」

「マクスウェル理事長も、コルティナ先生も、あらぬ疑いで動く方ではないです」


 ドノバンの言葉に、俺は少しばかり反駁してみる。

 機嫌を損ねた風にも見える俺の態度に、ドノバンは慌てた様子で手を振って否定した。


「いや、決してお二人を非難するつもりはないんだ! その、困った事態と言うのはそれに関係するだけの話で……」

「困った事態とは?」


 どうにも要領がつかめないので、俺は小首をかしげて、詳細を求めた。

 その質問に、ドノバンは再び逡巡するように、首を垂れる。

 しかし意を決したように俺に向き合い、強い口調でこう告げた。


「俺――いや、私はこの度、ストラ領の領主になったのです」

「ハァ?」


 ドノバンの宣言に、俺は今度こそ本格的に首を傾げたのだった。

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