第365話 深夜の密談

 ◇◆◇◆◇



 冒険者の宿も兼ねた酒場の看板娘――リジスがその物音に気付いたのは、本当に偶然の出来事だった。

 二階の自室で夜中に咳が止まらなくなり、水差しから水をカップに注いだ時、一階から物音が聞こえてきたのだ。

 冒険者の宿を営む以上、夜間に戻ってくる冒険者も多少はいる。そういった冒険者のために合い鍵を渡す必要がある。

 通常なら父親がその役目を果たすのだが、今回は物音の主が気配を消そうとしているのか、それに気付いた様子はなかった。


 一瞬父を起こすべきか逡巡したが、なんとなく、本当に気まぐれのように自分でその役目を果たそうと思い立ってしまう。

 ここは冒険者の宿だ。万が一押し込み強盗のような不遜な輩だったとしても、一声悲鳴を上げれば、瞬く間に侵入者は取り押さえられてしまうだろう。

 そんな、どこか気楽な思考が、脳裏の隅にあったことは否定できなかった。


 ランタンを持ち一階への階段を下りていくと、入り口付近でうずくまる人影を発見した。

 それは少年の姿をしており、そしてリジスにとっても見知った顔をしていた。


「クファル君!?」

「ああ、リジスさんか……起こしちゃったかな」

「そんなのはどうでもいいよ! どうしたの、怪我でもしてる?」

「いや、これはつかれてるだけだから心配しなくてもいいよ。それより、イーガンとウーノはいるかな? 緊急の報告があるんだ」

「二人とも二階の部屋に泊まってるけど」

「呼んできてくれる? いや、僕の方から行くよ。仕事の話だから」

「そんな体調でお仕事なんて――」

「よせ、くるな!」


 慌てて手に持ったランプをテーブルに置き、そばに駆け寄って肩を貸そうとしたリジスだったが、それはクファルの声によって制止させられた。

 これは彼の体調が言葉通り万全だったからではない。むしろ不調だからこそ、人の姿を保持しきれないか不安だったからである。

 今他者の手によって触れられれば、『クファル』という形を維持できず崩れてしまう危険性がある。その程度には、彼は疲弊していた。


「な、なんで……」

「いや……汚れているから。それに少し……わかるだろ?」

「わかんない。けど、わかった。冒険者だもんね」


 冒険者である以上、人に話せない代物を持っていることもある。

 今のクファルはそういった物を持っているのではないか? そうリジスは察していた。

 無論、それはクファルがそう思うように誘導した勘違いではあるのだが、それが彼女の身を救ったともいえる。

 もし正体がバレたなら、クファルは容赦なくリジスを抹殺しただろうから。


「じゃあ、先に連絡してくるね。あ、お水は好きに飲んでいいから、少し休んでいったら?」

「うん、そうさせてもらう。気を使ってもらって悪いね」

「なにいってるのよ。クファル君はお客さんじゃない。それくらいはサービスするわ」


 一階部分は食堂兼酒場になっているため、各所のテーブルの上には水差しが常備してある。

 これは毎朝中身を交換するのだが、深夜の今でも残っている水差しはある。

 本来なら食堂の客以外には飲ませないのだが、今はクファルの体調の方が心配なので、そう薦めてみたのだ。


 こうしてクファルはいったん休憩を取ってから、仲間の男たちの部屋へと移動した。

 リジスは気になったような素振りを見せていたが、そこは冒険者の集う酒場の娘。余計な詮索はせず、何も聞かずに立ち去って行った。


「やあ、夜分に悪いね」

「いや……それよりどうした。なんだか動きがぎこちないぞ?」

「少し失敗してね。体調があまり良くないんだ」

「怪我でもしたのか? クファルが失敗するなんて珍しいな」


 軽口を叩いては見たが、それは彼らにとって予想外の言葉だった。

 クファルは基本的に慎重に行動する。

 できるだけ表舞台に立たず、暗躍して事態を進行させようとする傾向があった。

 その彼が失敗した挙句、手傷を負って戻ってくるというのは、驚愕に値する出来事だった。


「相手が相手だったからね」

「確かラウムへの牽制だったよな? ということは六英雄が出張ってきたか」

「うん。それもまさかの人物がね」

「まさかの、ということはマクスウェルやコルティナにやられたんじゃないな? ライエルかガドルスでも出てきたのか?」

「いや、もっと意外だよ。レイドが生きていた」

「なに!?」


 暗殺者レイド。ある意味彼らにとって、最も警戒しなければならない存在。

 しかしレイドは、二十二年前に死亡しているはずである。

 それは世界各地に知られた事実であり、また実際にその死体を目にしたものも多数存在している。事実、姿を目にした者は、この二十二年間存在しなかった。

 それがこのタイミングで現れたというのは、驚愕に値する出来事だった。


「いや、そんなはずはない。レイドの死は世界中で知られている。今さら『実は生きてました』なんてことはありえない!」

「ああ、その意見は実に正しいね」

「だったら――」

「多分……転生リーインカーネーションだよ。妨害ジャミングの魔法を受けるのを異様に嫌がっていたから」

幻覚イリュージョンの魔法でも使用して、元の姿をしていたって言うのか?」

「それも多分違う。動きに違和感がなさ過ぎたことから、おそらくは変化ポリモルフだと思う」

「なるほどな。自分ならよく知っているというわけか。それにしても、変化ポリモルフの魔法まで使える暗殺者が相手とか、少しばかりシャレになっていないんだが?」


 実際に手合わせしたらしいクファルの言葉に、男の一人――イーガンが眉をひそめる。

 あのレイドの殺人技術に魔法まで加わっては、太刀打ちできる予想が立たない。

 その存在は下手をすればライエルよりも脅威といえる。


「そうだね。あれは放置してはいけない存在だ。なによりも……最優先で排除しなければならない」

「ああ、それには同感だ。だが姿を変えているのなら、元の姿は誰なんだ?」

「それがわかれば苦労しないね。今でも不明。だが、ラウムに住んでいるのは、それも最近住み着いたのは確定じゃないかな」

「なぜそうわかる?」

「あの街で事が上手く運ばなくなったのはここ数年だからさ。それまでは上手く行っていたのに」

「だがラウムだけというわけでもないぞ。南部のジーズ連邦でも協力者を一人潰されている」

「あの奴隷商か。だけど彼は少しばかり保身がヘタだったからね。どこかで情報が漏れたのかもしれない。ジェンド派なんて連中を呼び込むんだから」

「『有名な』暗殺集団ね。レイドもそうだが、名を知られた暗殺者ってのは暗殺者として三流なんじゃねぇか?」


 優れた暗殺者とは、殺人が人の手によるものだとすら知られない。

 そういう意味ではレイドが暗殺者としては三流だという主張も、間違ってはいない。

 だが彼には、それを覆す実績と実力があった。


「そうだけどね。それでもレイドの殺傷能力が侮れないことに変わりはない」

「それがラウムに居座っているっていうのか」

「敵の正体が割れるまでは、ラウムには手を出さない方がいいかもね。代わりにこちらの戦力を充実させよう。召喚の具合はどうだい?」

「尖兵級が一体。戦士級が一体。後は雑魚が四体ってところだ。召喚者の方は二人増員に成功している」

「ふん……なら尖兵級を一体、僕の元に回してくれ」

「どうするんだ?」

「もったいないけど、糧にするのさ……」

「魔神を魔神の贄にするのか? そんな話は聞いたことが無いが」

「そこはそれ。極秘事項ってやつさ」


 ニタリと笑うクファル。その笑顔に背筋を凍らせる二人。

 余計なことは言うまいと身体を震わせ、その夜の密談は終了したのだった。

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