第366話 食餌

 北部の極限。邪竜コルキスの巣のさらに北。

 この地こそが邪竜降臨の地であり、クファルの再誕した地でもある。


「あの、こんなところで何するんですか、クファルさん」


 そこに三つの人影が存在した。

 一つはクファル。一つは同じ組織の痩せた半魔人の男。そしてもう一人は身長二メートルはあるマントを頭からかぶった人影。

 背の高い人影はいうまでもなく、召喚した魔神の変装である。

 こうして姿を隠さないと、どこで人に見られ、敵として見做されるかわからない。


「こんなところ?」

「え、ええ……その、なにもないですし」


 半魔人の男の言葉に、わずかに不快気なニュアンスを含ませた声を返すクファル。だが男はそれに気付かない。

 そんな空気の読めない男に対し、クファルは軽く息を吐いて説明を始めた。


「ここは地脈の通った地でね。ここで召喚を行えば、おそらくは今まで以上に強力な魔神を呼び出せるだろう」

「マジっすか! なら早速生贄を連れてきて――」

「だがそれほど強力な魔神だと、僕たちの手に負えない可能性がある。僕たちだけが滅ぼされ、今の人の治世が続くのでは意味がない。次世代の支配者は、虐げられた半魔人が掴まねばならないのだから」

「あ、それもそうですね」


 ここで召喚を行えば、クファルたちの制御を越えた、それこそ邪竜のような存在を呼び出してしまう可能性もある。

 そうなれば真っ先に滅ぼされるのは、召喚を行ったクファルたちだ。

 今の人主導による世界支配を崩すために自分が先に滅んでしまっては、本末転倒といっていい。

 だからこそ、この地で召喚を行ったことは、今までに一度もない。少なくとも、クファルたちは行っていない。


 そしてそれほど『力』溢れた地だからこそ、クファルは知性を得ることができた。

 ここで多くの生物を捕食し、討伐に来た冒険者を返り討ちにしてきた経験が、彼を普通のスライムから外れた存在へと進化させたと思われる。


 だからこそ今、彼はこの地に戻ってきた。

 レイドに手痛い敗北を喫し、さらなる力を得るために。 


「ここなら周囲に民家もいない。それに僕の感知能力にも反応はない。魔神の変装を解いても大丈夫だよ」

「そりゃいいですね。コイツもいつもこんなボロキレかぶってたんじゃ、気も滅入るでしょうし」


 男の指示で、魔神にかぶり物を取らせる。

 その下から現れたのは単眼禿頭の巨漢だった。

 そのいかつい肩からは二本ずつ、左右で合計四本の腕が生えている。


「単独戦闘に特化した戦士級の魔神か」

「ええ、戦士級のシャルヴィスって魔神です。力が強くて腕が多いですから、そこらの冒険者じゃ相手になりませんよ」

「いいね。腕の数はともかく力が強いのはいい」

「え? うん、そうっすね?」

「僕が喰らうには、実にいい」

「え――」


 クファルはそう言い放つと同時に、姿を溶かし、魔神に襲い掛かった。

 人の姿をかなぐり捨て、まるで陸に現れた津波のように魔神に覆いかぶさる。

 召喚者の命令を受けていない魔神は、身を守る行動を取ることもできず、まともにその攻撃を受けてしまっていた。


「す、スライム!? いつの間にすり替わった!」

「グアァァァァァッァァアアアアァァァァ!」


 防御も攻撃もできなかった魔神は、ただ闇雲に腕を振りスライムを引き剥がそうとする。

 だがその引き剥がそうとする動きのたびに、魔神の首に取り付けられた首輪が締まり、彼を苛んでいた。

 その首輪は、命令に無い行動を取った場合、制裁を与える魔道具だった。


 召喚者の男も、それまで一緒にいたクファルがスライムに変化したことについていけず、ただ狼狽した声を上げるだけ。

 そうこうしているうちに魔神の外皮が次第に溶け崩れていく。

 ここでようやく男はスライム――クファルを引き剥がす命令を下した。


「シャルヴィス、そのスライムを引き剥がせ、踏み潰して地面の染みにしてしまえ!」


 正式な命令を受け、ようやく魔神の拘束が解かれる。

 苦痛という呪縛から解き放たれた魔神は、猛然とその四本の腕を振り回し始めた。

 しかしすでにその身体はスライムによって覆いつくされている。しかも外皮は浸食され、さらに毒を受けたのか皮膚の下の肉も、紫色に変色し始めていた。

 男も魔法は使えたが、すでに取り付いているスライムに攻撃を仕掛けては、魔神に当たってしまう可能性が高い。

 下手な手出しもできず、ただ見ているだけしかできなかった。


 そしてやがて、魔神は力尽きて、その場に倒れ込んだ。

 その身体は光の粒になって消えていくが、スライムはその場に残された。

 地面に残った粘液溜まりの上に、半透明の人の顔が浮き上がる。


「ああ、そういえば君も魔法が使えたんだっけ。なら僕の糧になれるかな?」

「お、お前はいったい……クファルさんをどこに」

「まだわからない? 僕がクファルさ。君たちはスライムをリーダーとして崇めていたってことだよ」

「そんな、ばかな!? スライムごときが!」

「それじゃ……イッタダキマアァァァァァス♪」


 クファルの狂気に満ちた声が、男にとって最期に聞いた言葉となった。

 その日、北の荒野に向かった三人は、たった一人になって戻ってきた。

 しかしそれを目にしたものは誰もいなかったのだ。



  ◇◆◇◆◇

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