番外編

番外01話 その後の後始末

 世界樹倒壊の危機。これに際し、アシェラはベリト外縁部にある小さな教会で指揮を執っていた。

 世界樹からできるだけ距離を取ってはいるが、あの巨木が倒壊した日には、どこにいようと死を免れられない。

 それでも、落下する樹皮や小枝からは身を護ることはできる。


 世界樹が軋みを上げ、崩落の危険を知らされた直後、蛇のようなドラゴンが世界樹に巻き付きそれを支えている。

 更に天頂部付近では暴風が世界樹を囲むように吹き荒れ、斜めに傾ぐのを防いでいた。

 つまり、人知の及ばぬ何者かが、力を合わせて世界樹を護ろうとしていることが理解できた。


「とはいえ……何もできないことには、変わりないのよね」


 緊急避難の混乱に大勢の人間が怪我をしている。

 下手をすれば死者すら出かねないほどのパニック。

 そんな中、一般人の治療に世界樹教の者たちは、総出で治療に当たっていた。


「やっほぅ、アシェラちゃんお元気ィですかぁ?」

「ひょえっ!?」


 陣頭指揮を執り、自らも治癒魔法を掛けて回るアシェラに、突如背後から声を掛けてきた者がいる。

 今の自分にそんな声をかける者の心当たりは、一人しかいない。

 しかし『その存在』が、まさかこの場所に顔を出すとは思えなかった。

 なぜなら彼女は、世界樹教にとっては、不倶戴天の敵なのだから。


「ゆ、ユーリ様?」

「そですよー」


 できるだけこっそりと言葉を返したアシェラに、破戒神ユーリは気安く手を上げて答えた。

 彼女の背後には、気絶した三人の女性の姿があった。

 その中の二人は、アシェラにも見慣れた者たちだ。


「ニコルちゃん! それにコルティナ様も?」

「いやー、大変だったのですよ。事情聞きたい? 聞きたいですよねぇ!」


 半ば強引に、近況報告をしてくる破戒神ユーリ。

 彼女はアシェラにとっては遠い親戚であり、実は魔法の師匠でもあった。

 しかし世界樹教は、世界樹の天辺を折られたという恨みがある。

 その教皇である彼女は、立場上おいそれと仲良くしていい存在ではなかった。

 だが、破戒神はそんなことを欠片も頓着しない。


「クファルが? それをニコルちゃんとコルティナ様が……」

「フィニアちゃんもですね。ちゃんと英雄として称えてあげてくださいよ?」

「それはもちろん。ですが困ったことになりましたね」


 それはクファルのことだ。

 ようやく半魔人への風当たりは弱くなってきたところへ来て、この騒動。

 クファル自体はデッドリーディジーズスライムという変異種に生まれ変わったとはいえ、前世にまで遡った事情が世に出るのは、いささかマズい。

 せっかく緩和してきた半魔人への憎悪が、また再燃しかねないからだ。


「まー、無理に前世の話まで流さなくていいんじゃないです? 変異種スライムが世界樹を侵食した。それをニコルちゃんが救った。それだけでいいじゃないですか」

「それもそうですけど……痛くない腹を探られそうで」

「誰もが、アシェラちゃんほど腹黒くないですから」

「ひどい!?」


 神話時代から千年を生きる神に対して、せいぜい数百年しか生きていないアシェラでは、まるで相手にならない。

 いつまでたっても子供扱いで、彼女としても調子が狂う。いつもの自分の立場が、逆転してしまった感覚に陥る。

 それでも、破戒神の言葉は重要で的確だ。


「わかりました、その流れで話を広げておきます」

「お願いしますね。これほどの騒動、犯人とそれを収めた英雄の存在は必須でしょ」

「ええ。それでニコルちゃんは平気なんですか?」

「こっちの二人は魔力の枯渇、ニコルちゃんは制御を超える魔力をひねり出したことによるショック症状かな。命に別状はないですよ」


 破戒神がそう言うと、三人はふよふよと宙を動き、ベッドの上に横たえられる。


「一応親元へ返しに行きますけど、それまでは、ここで横にさせてください」

「ええ、もちろん」

「問題はもう一つ。世界樹の集魂機構ヴィゾフニール・システムのことです」

「私が生まれる前に破壊され、蘇生魔法が使えるようになったというあれですか?」

「そう、それです。それをどうやったのか、クファルが修復したみたいなんですよ。おかげで蘇生魔法は現在使用不可になってます」

「それは……おおごとでは?」

「おおごとです。ですが、これにより世界樹の魂浄化機能が復活し、現在半魔人は生まれなくなっているはずです」


 この世界では、魂は世界樹より生まれ、死後世界樹に還って浄化される。

 その中でも特に浄化が不完全な魂が、半魔人として生まれてしまうという状況にあった。

 集魂機構を破壊した功罪が、蘇生魔法と半魔人の存在である。

 それが再生したため、再び浄化機能は正常に作動し、蘇生魔法は使用不可に、半魔人は生まれなくなるという状況になっている。


「半魔人が生まれなくなるというのは、悪くない話ですよね?」

「ええ。ですが同時に蘇生魔法が使えなくなっています。わたしとしてはどちらでもいいのですけど……集魂機構ヴィゾフニール、どうします?」

「どうします、とは?」

「あなたが望むなら、破壊してきますよ?」

「それは――」


 死者の蘇生。それは一部の人間にとっては、喉から手が出るほどに欲しい魔法だ。

 しかしそれは、世界の摂理に反する。

 その結果、半魔人が生まれ、差別の温床と化してしまっていた。

 これは蘇生魔法を代償に、半魔人を生まれなくするかどうかの問題だ。


「そのままに、してください」

「いいの?」

「ええ。私の知る人たちは皆、蘇生を望まなかった人たちばかりでした」


 冒険者だった祖母も、蘇生魔法を編み出した祖父も、死の間際に際して蘇生を拒否していた。

 老衰が近かったこともあるが、彼らは精一杯生きて、そして満足して死んでいった。

 残される側としてはいろいろと思うところはあるが、それが本来の、人としての在り方なのだ。


「今の人類に、蘇生は過ぎた力なのかもしれません。その力が欲しい者は、きっと自力で世界樹を登り、集魂機構を破壊するでしょう」

「力を欲する者は、自分で何とかしろってことですか」

「そうです」


 その言葉を受けて、破戒神は納得したように頷く。


「わかりました。ではこの件はそれで行きましょう。私は少し別の方とお話があるので、場を外します。ニコルさんのことはお任せしますね」

「了解です」


 そう言って破戒神は、教会を後にしていった。




 教会を出た彼女はどこへともなく語り掛ける。

 それは風にかき消されそうなほど、かすかな声。


「バーさん。そちらは大丈夫です?」

「問題ないよ。それに世界樹は、僕にとっても大事な存在だ」


 破戒神の視線は、世界樹に巻き付いた蛇のようなドラゴン――竜神バハムートへと向けられていた。

 バハムートの皮膚はまるで樹皮のように変化し、世界樹と一体化していくことでそれを支えている。


「一体化するなんて、無茶なことを。戻るまで数百年はかかりますよ?」

「そうするしか手が無かったものでね。それに僕にとって、数百年なんて瞬き一つする間に過ぎていく」

「余裕かましちゃって。でもありがとうございます」

「どういたしまして」


 確かに、破戒神よりも古い原初の神の一柱であるバハムートにとっては、世界樹が修復する間一体化するくらい、大した時間ではないのかもしれない。

 それでも、人にとっては人生を何度もやり直せる時間になる。

 その時間は、決して軽い物ではないはずだ。


「ま、たまには挨拶に寄りますよ。その間世界樹をお願いします」

「ニコルちゃんにもよろしく言っといて」

「わかりました。でもあなたが人間を気に掛けるなんて、珍しいですね?」

「彼女もいずれ、僕たちと同じ高みに至れる素質を持ってるからね。気にもかけるよ」

「その道は選びそうにない気がするんですけどねぇ」

「それは彼女次第さ」


 その言葉を聞き、破戒神は小さく肩を竦める。

 この千年、彼女のそばには夫である風神ハスタールと、悪友である竜神バハムートしかいなかった。

 漂神と呼ばれた旧友のレヴィは北の地域を彷徨っており、ほとんど顔を合わすことはない。

 そこにニコルが加わるのなら、その未来はかなり楽しそうに思えた。


「ま、強制はできませんよね……」


 小さく、そして残念そうに呟き、教会へと取って返す。

 まずは彼女を、親元へと送り届けるのが先決だったからだ。

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