第429話 三度目の対戦

 俺がクラウドのところに戻ると、ミシェルちゃんがクラウドに説教しているところだった。

 クファルが戻ってくるということもなかったようで、とりあえず安全は確保できたと思っていいか?

 奴も怪しい組織を運営してるだけあって、あまり怪しまれるような真似はしたくないのだろう。


「あ、お帰りなさい、ニコル様。早かったですね」

「うん、さっきの人は?」

「え、ニコル様が追い払ったじゃないですか?」

「いや、戻ってこなかったかと思ってね」

「そうですね、少しお待ちください」


 フィニアはそういうと懐から小さな雀の形をした使い魔ファミリアを取り出し、放つ。

 街路の上に舞い上がり、先ほどクファルが消えた方角に飛ばす。


「いました、あちらの方角に歩いてますね。南の地区に向かっているのでしょうか」


 表通りと反対側を指さすフィニア。クファルもさすがに人目の多い表通りは避けたようだ。

 しかし俺も奴を野放しにするつもりはない。


「ありがと、ちょっと行ってくる。フィニアはクラウドたちと宿に戻ってて」

「え、ちょ……」

「使い魔も戻して、はやく!」


 珍しく俺に怒鳴られ、フィニアは目を白黒させながら使い魔を呼び戻す。これが監視していては、俺も全力を出せなくなってしまう。


 奴を見つけ出し、殺害する。それだけなら大した時間はかからない。

 スライムというのは物理的な攻撃に強い耐性を持つが、核となる球体を体内に抱えていて、そこを攻撃すればすぐに倒すことができる。

 マクスウェルの話では、奴は希少種だそうだが、その弱点は他のスライム類と変わらないはず。


 俺を呼び止めようとするフィニアを振り切り、小道の角を曲がっていく。

 滅多にない俺の怒りの声を聴いたせいか、三人とも俺を追ってくるような真似はしなかった。


 しかし角を曲がっても、奴の姿を捉えることはできなかった。奴は元々、隠密性に優れたスライムやブロブの性質も持っている。

 一度目を離してしまうと、再度追跡するのは難しい。


「……チッ」


 短く舌打ちし、諦めてクラウドの元に戻ろうと振り返った。

 そこへクファルの声が降りかかってきた。


「僕に何か用かな?」

「――っ!?」


 とっさに声のした方に振り向きつつ腰を落とし、腰のカタナに手を添える。

 そんな俺を見て、クファルは怪訝な声を上げた。


「おおっと。今は危害を加える気はないよ? むしろ、どうしてそんなに警戒しているのか、聞いていいかな。僕と君は初対面のはずなんだけど?」

「……白々しい。さっき『前に、ちょっと』なんていってたくせに」

「ああ、確かにそうだね。そういった。確かに僕は不審な男だ。なるほど」


 ニコルがかつて出会ったのは、レイドの姿をしたクファル。そしてクファルの姿はレイドの時に確認している。

 クファルからすれば、姿を知られていないはずの相手に異常に警戒されていると思えるだろう。

 だから俺は、クファルのミスに付け込んでおいた。この場で始末する相手なのだから、正体を知られても別に構わないが、それを知られたら相手だって警戒する。不意を付けるなら、その方が楽だ。

 俺の答えに納得したのか、うんうんと頷くクファル。周囲には人の目はない。

 フィニアたちも追ってこなかったため、この路地裏は完全に二人だけしかいない。


「ちなみに何の話をしてたか教えてくれるかな? お互いの誤解を解くために」


 このまま奴を斬り刻み、核を潰してやってもいいのだが、その前にクラウドに何を吹き込もうとしていたのか知りたい。奴は集会とか口にしていた。もし何かの悪巧みなら、放置はできない。

 奴を殺して済まないたぐいの話だったら、何らかの対処が必要になる。

 例えば、奴と同じような思想を植え付けようとしていないか、などだ。


「いや、大きな声じゃ言えないけど、彼も半魔人の同胞だからね。僕の仲間たちと引き合わせたいと思ってさ」

「他に仲間がいるんだ?」


 もちろん奴が組織だって動いていることは、俺も知っている。

 だがそいつらが、どれほどの数がいて、どこにいるのかまでは、俺も知らない。

 その内情を知ることができれば、北部の治安の安定に繋がる。


「まぁね。でも君には教えることはできないかなぁ。英雄ライエルの娘のニコルさん」

「知って……いや、調べないはずがないか」


かつてニコルの姿の時、俺に変装したクファルを見ている。その時はコルティナを狙って俺に近付いたが、その時に俺のことを調べないはずはない。

 奴はどうやら俺の周辺の人物を狙う定めにあるようだ。だとすれば、もはや放置するわけにはいかない。


「青銀の髪に赤碧の瞳を持つ絶世の美少女。そんな取り合わせの人間は他にいない。噂通りの美しさ、見事に育ったものだ」

「お褒めに預かり、光栄だね」


 言いつつ俺はジリッと間合いを詰める。

 足の指を使って移動する、特殊な武術の移動法。相手から目を離さず、足を動かさず、滑るようにいつの間にか相手を間合いに入れる歩法だ。

 このカタナという武器を生み出した地方特有の動きだとか。

 俺ほど武術に興味があるわけではなさそうなクファルは、その移動に気付いた様子もなかった。

 しかし、奴の雰囲気はそれを境に一変する。


「でも、そうだね……ライエルには少しばかり邪魔されているからさ。君に意趣返しするのも、やぶさかではないよね?」


 ニタリと、人間で可能な表情の変化を超えた歪んだ笑みを浮かべる。

 そこに明確な殺意を感じ取り、俺は一息にカタナを抜き放った。


 以前も使った、抜き打ちの技。それは間違いなく奴の首筋を捉えたが、やはり手応えはない。

 だが今回は驚愕したりしない。奴がスライムの希少種であることは、知っているからだ。


「くふ……無駄だって、まだ気付かないのかい?」

「そうかな!」


 ダメージがないとはいえ、斬撃の圧力は厳然として存在している。

 俺に迫ろうとしたクファルはその足を止め、棒立ちになってしまっていた。

 無論、その隙を逃す俺ではない。


 二の矢、三の矢を放つかのように、矢継ぎ早に攻撃を仕掛ける。カタナだけど。

 そのたびに奴の衣服が斬り裂かれては、路上に散っていく。そして同じように奴の体液も飛び散っていった。

 ジュウと、音を立てて石畳を溶かす体液。それは奴のスライムとしての一部でもある。

 触れるだけで病魔に蝕まれる、猛毒の塊だ。


「おのれ、今度は容赦ないな――!」


 反撃の隙を掴めず、いったん後退するべく飛び退こうとするクファル。その腕に向かって俺はカタナの刃を横にして叩きつけた。

 本来ならば斬り裂くことこそ、至上の攻撃力を発揮する武器。しかし粘液の塊である奴の身体に、この武器では効果は薄い。

 だからこそ剣の腹を使って叩き潰す攻撃に出た。

 俺の狙い通り、斬るのではなく叩かれた腕は潰れてひしゃげ、肘から下が路上に転がり落ちる。


「ええい、鬱陶しい!」


 前回はあしらえた相手。その相手に一方的に攻め込まれ、焦燥の声を漏らすクファル。

 俺は続いて左足を叩き潰し、奴を地面に這わせた。


「たった三年でこれほど……いや、この技量にその武器、まさか貴様――!」


 前々回クファルと出会った際、レイドはカタナを使っている。

 そして今、いや前回から引き続き、ニコルもカタナを使っている。


 追い詰められ、現在の醜態に理由を求めたクファルは、その共通点に気付いたようだ。


「貴様、まさか……レイドか!?」

「そんなことは関係ない。お前は今、ここで死ね」


 憎悪にまみれた声を上げるクファル。俺はそれを一言の元に切って捨て、奴の背を縦に斬り裂く。

 本来ならば致命傷の傷だがスライムの奴には効果がない。しかし斬り裂かれた奴の体内に、赤紫の何かを見つけた。

 瞬時にそれが奴のコアだと悟る。


「終わりだ!」

「まだだ!」


 俺の声とクファルの声、それが続けざまに路地裏に響く。

 奴は地面に転がりうつぶせの状態。対して俺はカタナを逆手に持ち、突き落とすだけの状態。

 勝利はほぼ確定。しかし油断していたわけではない。獲物を仕留めきるまで気を抜かないことは、常識の範疇だ。


 気を抜いていなかったというのに、何の気配もなくは俺の視界に飛び込んできた。


 反射的に剣を振って、それを薙ぎ払おうとするが、刃はそれをすり抜けてしまう。

 それでも背を逸らして避けようとしたのは、俺の反応速度だからこその芸当だろう。

 そのなにかは俺の顔面を掠めるように通り過ぎ、壁に当たってびちゃりと崩れ落ちた。


 それが何か、飛来した一瞬だけその姿を捉えることができた。

 それは奴の斬り落とした腕だった。核から離れていたというのに、なぜ――という疑問は途中で掻き消える。

 猛烈な熱さが俺の両目の辺りを覆いつくしたからだ。


「ぐ、ああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 子供の時に比べ、かなり我慢の利くようになった今の身体。それでも絶叫を耐えられないくらいの激痛が目を……眼球を襲う。

 肉を裂かれた痛みではない。身体が変異するときの痛みとも違う。

 神経を直接焼かれ、引き摺り出されるような、熱そのものといってもいい激痛。


 それでも俺は目を固く閉じ、カタナを振ってクファルにとどめを刺そうとしたが、手応えはない。


「くふ、ふふふ……どうなることかと思ったけど、今回は僕の方が一枚上手だったというわけだ? まあ僕も日々成長してるからさ、悪く思わないでね?」


 近くに湿った足音。奴が手足を再生させ、俺のそばまで来たのだろうか。

 闇に包まれた視界では、それを視認することは叶わない。

 直後、腹部に重い衝撃が走る。一瞬斬られたのかと思ったが、どうやら蹴りを入れられただけのようだ。

 さいわい、服がやつとの直接接触を妨げてくれたようで、肉を焼かれるまでには至らない。


「ついでにその顔も焼かせてもらったよ。大丈夫、すぐとどめを刺してあげ――ん?」


 勝ち誇るクファルの声が、途中で止まる。だが俺はそれどころではない。

 眼球を襲う激痛はもはや耐えられるものではなく、地面に転がって背を丸め、正気を保つために必死に自分を繋ぎ止める。

 びくびくと痙攣する身体を抑えられず、顔を覆った指は肉に食い込む。

 そこに囁くようなクファルの声が届いた。


「さっきの声が聞こえちゃったか。まあいい、その傷は治らないから、いずれ死ぬだろうさ。癒えない苦痛に狂い死ぬといいよ」


 闇に閉ざされた視界で、クファルの声だけが響く。

 俺が意識を保っていられたのは、それが限界だった。

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