第430話 癒えぬ傷

 ジワリと熱を帯びた鈍痛に、俺はようやく意識を取り戻した。

 その耳に、厳しい叱責の声が届く。


「コルティナ、フィニア! お前たちがついていながら――!」

「ご、ごめんなさい。私……」

「すみません、申し訳ありません! この責任は――」


 珍しく荒々しい……いや、刺々しいライエルの声。いつも温和な奴にしては、珍しく殺気すらまとわせている。

 しかしその相手がコルティナやフィニアというのは、俺としても看過できない。


「父さん、そのくらいでやめてあげて」

「ニコル、気が付いたのか!?」


 俺の声に反応して、叱責の声が止まる。

 しかし目を開けたはずなのに、俺の視界は闇に包まれたままだった。

 その上、身体が火照るほど熱いと理解しているのに、震えるほどの寒さも同時に感じていた。


「慌てないで。落ち着いて聞いてね? ニコル、あなたの目は潰されているの」


 俺のそばからマリアの声が聞こえてきた。

 そういえば俺はフォルネウス聖樹国の首都ベリトにいたはず。

 ライエル一人ではここまで来ることはできないので、連れてきた誰かがいる。そしてそれは大抵マリアである。ならば彼女がここにいるのも道理だ。


 俺がどれくらい意識を失っていたかわからないが、痛みの具合から、それほど時間は経過していないと思える。

 この速さでベリトまでやってくるということは、コルティナがマリアに連絡を取ってくれたのだろう。

 まだ無名のフィニアでは、緊急連絡網の個人使用という対応に冒険者ギルドが応じてくれるとは思えない。階位は高くとも、やはり新米という壁は存在する。

 冒険に出ている現状では、それを使用するほどの大金も持ち合わせてはいないはずだ。


「目が……?」

「大丈夫よ。私が絶対に治してあげるから」

「うん」


 俺はしおらしく頷いてみたが、同時に、そう簡単にいかないことを理解していた。

 マリアならば、これほどの重傷ならすぐ治しているはずだ。軽い怪我なら自然治癒に任せる傾向にあるが、目が潰れるほどの重傷を放置する彼女ではない。

 それにクファルの奴も、『癒えない傷』と口にしていた。何らかの理由で、治癒魔法を無効化させているのかもしれない。


「熱があるみたい」

「そうね。怪我のせいか、結構熱があるみたい。とりあえず準備があるから、あなたは少し眠りなさい。できる?」


 マリアの優しい声に、俺は首を縦に振って肯定の意を返す。

 熱のせいか、体力が自覚できるほどの勢いで減少しているのがわかる。

 このままでは眠るより先に失神する方が早い気もするが、とにかく体力を戻さないと話にならない。


「まずは休んでおいて。その間になにか対策を立てておくから」

「うん」


 そのマリアの言葉に俺は目を閉じ、再び眠りに落ちていったのだった。



  ◇◆◇◆◇



「それで、どんな状況なんだ?」


 ニコルが眠りに落ちた後、ライエルたちは廊下を挟んだ別の部屋へと移動していた。

 そこにはミシェルとクラウドも待機していた。


「以前ラウムを襲った病魔に侵されているわ。それだけならいいんだけど……」

「私が見たところ、眼球内に異物が残っているわね。それが再生リジェネーションの魔法を妨げている」


 マリアの言葉を継いだのは、トリシア女医。彼女も医療系魔法を修めているだけに、ニコルの容体については把握していた。

 フィニアたちによって運び込まれたニコルを、最初に診たのが彼女である。


「ええ、それは私も確認したわ。おそらくはスライムの欠片よ。それもディジーズスライムの」

「以前ラウムを襲った奴か」

「ええ。核もないのにまだ生きているなんて……以前はそんなことなかったのに」


 ラウムを襲った時、スライムの一部は何の意識もない、ただの毒の塊になり果てていた。

 しかし今は、核を持っていないというのにスライムとしての本能は残している。

 今はおとなしく休眠状態にあるが、再生リジェネーションの魔法などで押し出されそうになると、周囲の再生した肉を食らい始めるようだ。


 だからマリアは再生リジェネーションを掛けられずにいた。

 再生した肉を食らい、眼球内のスライムの欠片が成長してしまうからである。


「なら取り出せば――」

「刺激を受けて活動しだすのよ。それに眼球の向こうはすぐ脳がある。下手に活性化させたら、そっちに逃げ込みかねないわ」

「じゃあ、どうすればいいんだ」

「眼球ごと摘出し、それから再生リジェネーションで再生させれば……でも、神経に大きな負担をかけてしまうわ」

「下手に手を出すと眼球は元に戻っても神経に異常をきたして、治っても見えない、なんてこともありうるわね」

「少なくとも下手に治癒魔法をかけていたら、命はなかったわ。あなたがいてくれて助かった」


 マリアはトリシア女医に感謝を伝えている。

 彼女がもし未熟な治癒術者で、不用意に治癒魔法をかけ続けていたら、体内に残されたスライムの欠片が暴れ出し、増殖し、脳を損壊していた可能性もあった。

 そうなればニコルの命は、まず助からなかっただろう。


「摘出すれば目が見えなくなる。しなければ命が危ない、そういうことか?」

「ええ。正直いって、現状では手を出しかねているわ」

「じゃあ、ニコルちゃんの目は……!」


 悲痛な声を上げるミシェルに、マリアは何も答えない。

 フィニアは耐えられなくなったように席を立ち、ニコルの元へ向かう。


「私、ニコル様の様子を見てきます」


 彼女に何ができるというわけではないが、状況はどう変化するかわからない。

 眠っている間も容体を見てくれるものは必要だ。


「ああ、頼む。それと……さっきは悪かった」


 フィニアとすれ違いざま、ライエルが謝罪を口にする。

 先ほど取り乱して、彼女を叱責したことへの謝罪だった。


「いえ、私が目を離したのは事実ですから」

「ニコルも一人前の冒険者だ。だから怪我も自分の責任のはずなのに……それを認めたくなくて、君に……俺は卑劣だ」

「そんなことはないです。ライエル様はご立派ですよ」


 儚げな笑みを残して、彼女は部屋を出ていった。

 それを見送ってから、ライエルは拳をテーブルに叩き付け、悔しさをぶちまけたのだった。



  ◇◆◇◆◇

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