第431話 失態

 再び俺が目を覚ました時、室内には誰もいなかった……らしい。見えないので詳細はわからない。

 おそらくマリアたちは、別室で対策を話し合っているのだろう。

 視界はいまだ闇に閉ざされたまま。治療は施されていない。


「さすがのマリアも、手を出しかねる状況ってことか」


 かすれた声で、俺は状況を確認する。

 体力は極限まで削られ、またいつ気絶するかわかったものではない。今も熱で身体が震えているありさまだ。

 眼球の痛みも依然として存在している。マリアは『目が潰れた』といっていたので、眼球ごと破壊されている可能性もある。


「見えないってのは不安になるものだな」


 身を起こして周囲に視線を向けるが、見えるはずもない。


「だれか、いる?」


 俺は室内に誰かいないか、確認の声を飛ばす。

 返ってくる答えがないので、俺一人で間違いはないらしい。


「眼球が破壊されているなら、治す……というのは無理か。俺に治癒魔法の才はないから」


 しかしそれならそれで、打つ手はある。

 目を癒すことができないなら、見える身体に変身してしまえばいいだけだ。

 これも変化ポリモルフの応用である。前回の変身から一か月は経過しているため、今なら使用することができる。


 手探りで室内を徘徊した結果、どうやら俺の部屋をそのまま病室にしているようだ。

 さいわい荷物の位置もそのままだったので、中から予備の変化ポリモルフ巻物スクロールを取り出すことができた。


「これが他人の荷物から物を取り出すんだったら、一苦労だったな……」


 予想以上に手間取ったが、巻物スクロールを一本、荷物から取り出せた。

 封をしてある封蝋の形から、おそらくこれが変化ポリモルフ巻物スクロールで間違いないだろう。

 たとえこれが間違っていたとしても、魔法の起動言語が間違っていた場合は起動しないので、暴発のような危険性はない。


 とりあえず術を発動させる前に、自身の姿を想像する。

 しかしそこで俺は、一つの壁にぶち当たった。

 日々成長を続けた自分の身体を、正確に想像することができなかったのだ。

 一応、毎日鏡とにらめっこしながら身嗜みは整えていたのだが……胸のサイズとか、今どれくらいだったっけ?


「うーん……とりあえず時間さえ稼げればいいから、レイドの姿にしておくか。後は例によってマクスウェルに協力してもらえばいいし」


 ここはベリトだが、俺も転移魔法を使えるようになったので、ラウムまで跳ぶことができる。

 そこで事情を伝えて協力してもらえば、ベリトまで戻ってくることは可能だ。

 今はとにかく、この虚脱感と苦痛から逃れることが先決。


「よし、やるぞ」


 俺は方針を固めてから服を脱ぐ。レイドもあまり背の高い方ではなかったが、ニコルはさらに小柄だ。

 少女用の寝間着を着たままでは、変態に見られてしまう。いや、見る者はいないが破れてしまう可能性が高い。


 手探りで封蝋を解いて、魔法を発動させた。

 直後襲ってくるいつもの激痛。しかし現在は目の痛みの方が激しいため、それほどとは感じない。

 しかしそれも束の間、一転してそれまで以上の苦痛が眼球を襲ってきた。


「ぐ、うあああぁぁぁぁぁ!?」


 肉体がみしみしと軋みを上げて変形し、レイドの姿へと変わっていく。

 しかし、目の中に異物が存在してそこだけが変わることができない。いや、変形する端から、『何か』が変化した肉を食らっている?

 しかも目の中にある『何か』がうごめくような気配も感じ取れた。


「ニコル様!?」


 そこへタイミング悪く、フィニアが部屋に踏み込んできた。

 いやこれは、俺の悲鳴を聞きつけ、駆けつけてきたのかもしれない。

 どっちにしろ、俺にとっては最悪のタイミングだ。


「フィ……ニ、ア……」


 息も絶え絶えの状況で、かろうじて一言搾り出す。だがその声はいつもの俺の声ではなく、太い男の声だった。

 声の質から、すでに身体がレイドに戻っていることを悟る。


「レイド様? なぜ……いえ、それよりニコル様は!?」


 困惑の声を上げるフィニアだが、今はそれどころではない。

 俺は悲鳴を必死に飲み込み、床の上でびくびくと痙攣する。ここで声を上げては、フィニア以外の人間も駆けつけてしまうからだ。

 当のフィニアも、俺の脇にある畳まれた寝間着を見て事情を察したのか、俺のそばに駆け寄ってきた。


「もしや、ニコル様ですか? なぜレイド様に……いえ、レイド様はニコル様だったのですか? ううん、違う! 今はそうじゃなく――」


 とにかく俺をベッドに戻そうと、どうにか肩に担ぎあげようとするフィニア。

 しかし小柄で非力なエルフでは、成人男性を持ち上げることは一苦労だ。


「ニコル様、術を解除してください。おそらく変化ポリモルフの魔法が、眼球の再生を妨げて苦痛を増大させているんです」

「……わか、た」


 なんにせよ、フィニアに説明はせねばならない。それにこの状況では言い訳すらできない。

 俺は起動中の術式を破棄すると、肉体がスルスルと元の状態に戻っていった。

 その時の痛みは、いつもの変化ポリモルフのものと変わらない。 


「ハァ、ハァ……」

「大丈夫ですか? ニコル様の目の中には、スライムの欠片が残っているらしいんです。だから変化ポリモルフで肉体を再構成しようとすると、そこを食べようと動き出すらしいんです」


 そんなことになっていたのか。体内にスライムが残っているのなら、そりゃ治るはずがない。

 しかもこのままでは、クファルのディジーズスライムの熱病の効果を受け続け、奴を見つけ襲い掛かろうとしたら体内から食い破られることになる。


「めん、どうなこと、を」

「とにかくベッドへ――」


 俺を担ぎあげようとした直後、廊下の向かいの部屋の扉が開かれた。

 飛び出してきたのはマリアだ。俺の容体が急変したのかと、心配して出てきたのだろう。


「どうかしたの、フィニア!」


 その声がこちらに届く前に、フィニアは足で俺の寝間着を蹴り飛ばす気配がした。


「ニコル様が苦痛でうなされ、ベッドから落ちたようです。その拍子に服が引っかかって破れしまいましたので、着替えさせます」

「そう、ニコルは大丈夫なの?」


 俺の服が破れたと聞いて、マリアは部屋の扉を閉じたようだ。服を纏っていない俺と、足元に散らばる寝間着を目に入れたからだろう。

 言い訳としては少し苦しいかもしれないが、その姿を他者に見せるわけにもいかない。

 マリアの後ろには、ライエルやクラウドも控えているからだ。


「はい、ただ少し時間をください。身体も拭いておきたいので」

「わかったわ、お願いね。でも異常があったらすぐ私を呼んで」

「承知いたしました」


 どうやらごまかせたようで、俺とフィニアは揃って安堵の息を漏らしていた。

 とりあえずマリアに踏み込まれる危険は去ったのだが、今度はフィニアを事情を説明しないといけない。

 そのことに思い至り、俺は頭を抱えたい気分になったのだった。

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