第279話 多対多
異形の魔神クシェルカーンの攻撃は一つ一つを取ってみれば、そう大したものではない。
攻撃の速度で言えば、双剣の魔神は元よりギデオンにすら及ばない。
重さもマテウスと同程度で、正面から受けなければ問題はない。
本格的な装備を整え、今世の戦闘スタイルを確立しつつある俺から見れば、避けるだけならばどうとでもなる。
問題は、相手が無尽蔵のスタミナを持つ魔神であり、俺が得意とする接近戦や罠が仕掛けづらいということだろうか。
相手は基本的に、その場から動かず攻撃してくる。故に移動先に罠を仕掛けるという真似ができない。
また懐に飛び込もうにも、近付けば魔力を食われてしまう。
しかしそれは相手も同様で、近付こうとすれば俺の攻撃範囲に入ることを意味し、遠距離では余裕をもって回避されるという状況に陥っている。
長く戦闘を行えば行うほどに、召喚主の男がマクスウェルに追い詰められていくため、向こうもジリ貧であることは間違いない。
俺のスタミナと召喚主の命、どちらが先に尽きるかの勝負になりつつある。
情勢は五分に近い。ならばその天秤を崩せば、こちらが有利にも不利にもなりうる。
下手に動くのは危険かもしれないが、身動き取れなくなる前に仕掛けるのも一手だろう。
「ならば……せぃ!」
触手を躱し、肩に掛けたベルトから
ナイフは狙い過たず男の胸元(?)に向かっていったが、これは触手の防御によって阻まれていた。
柔軟かつ強靭な肉質を持つ触手は、ナイフが食い込んでも一瞬身震いするだけで刃を押し出し、魔神の足元に散らばった。
続けて三本。そして二本。
俺は三度に渡ってナイフを投げつけ、その全てが徒労に終わっていた。
そんな俺の様子を見て、召喚主の男は嘲笑うかのように哄笑を上げた。
「くははは! その程度の攻撃では、クシェルカーンの外皮を貫くことはできぬわ! 大人しく生贄になれば、痛みなく――うひゃ!?」
よそ見しているところに容赦なく魔法を叩き込むマクスウェル。
だが魔法陣の効果なのか、男の周囲に近付けば、魔法は大きくその威力を減じていた。
「おのれ、その魔法陣、もしや異界に繋がっておるな?」
異界に繋がる、それはその世界に存在する『何か』を呼び出すという意味にもつながる。
その何かとは……言わずと知れた俺の宿敵、魔神だ。
「その通り! 召喚と防御を同時に行うこの魔法陣こそ、安全に魔神を呼び出す画期的な手段なのだ! その術式構成は古代の魔法陣を解析し――うおぉ!?」
無駄に解説モードに入った男に、再度マクスウェルの
その威力は男の術の優に数倍はあろうかというか威力を持っていたが、魔法陣の中に入ると急激に速度と火力を落とし、纏う炎を減じていた。
だからこそ、あのヒョロヒョロした召喚主でも避けることができる。
男の周囲には魔法陣が存在し、その外縁部にはまだ四人の子供が配置されている。
おかげでマクスウェルは得意の範囲攻撃を行うことができず、やや攻めあぐねていた。
それでも避ける男の顔から余裕がなくなっていく。
俺のスタミナと同じく、奴の方もスタミナはあまり多くないのだろう。
このままいけば、俺より先に奴の方が力尽きる。そう判断しても悪くないが、それは相手に手を打つ時間を与えることにもなりうる。
ここはこちらも攻め手を強めるとしよう。
「なら、こっちも――いくぜ?」
俺は今度は糸を飛ばす。
選りすぐったヒュージクロウラーから採取した、強靭なミスリル糸。
それは鋭さという点ではライエルの聖剣にも匹敵する。しかし攻撃が軽く、クシェルカーンの触手を切り落とすまでは至らないだろう。
俺の予想通り、糸の斬撃は触手を半ばまで切り裂いたところで止まる。
そして瞬く間に傷跡が消え去っていった。
おそらくは魔法陣から吸い取ったマクスウェルの魔法の魔力を、回復に使用したのだろう。
俺の糸も勢いをなくし、力なくその場に落ちる。
足を止め、糸を飛ばした俺は、逆に言えば格好の的になりうる。
それを見てクシェルカーンは触手の連撃を放とうとした。
俺を攻撃する。それは奴の防御が薄くなる瞬間でもある。
触手の刺突を大きく横っ飛びに躱し、同時に俺は糸を操った。
目的は奴――ではなく、その足元に散らばった
持ち手の部分に糸を絡め、そのまま操糸の能力で持ち上げる。
ゆらゆらと宙を漂うミスリル糸と、その先端のナイフ。その数、八本。
それは奇しくも、クシェルカーンの触手と同じ様相を見せていた。
初めて自分と同じような攻撃姿勢を目にして、戸惑いの仕草を浮かべる魔神。
だがその戸惑いも一瞬で、開き直ったかのように攻撃を再開してきた。
その攻撃には、『使いこなせるものか』という意図すら籠っているように見える。
だが俺はこの能力を長年にわたって有効活用し、鍛え抜いてきたのだ。
しかも冒険者として、獲物を探しつつ薬草なども探すという行為で、並列思考も鍛えている。
八つのナイフを操作するくらいなら造作も……無いことは無いが、できなくはないだろう。
飛来する触手の鈎爪に、叩きつけるようにナイフを打ち付け、軌道を逸らす。
足を止めて触手と糸を、鈎爪とナイフを打ち合わせる。
戦況は再び変わり、それはこちらへと有利を大きく引き寄せた。
俺が足を止めることでスタミナ切れの危険がなくなったからだ。
手数の利を失い、焦ったのか攻撃に粗が見え始めた魔神。
それは防御一辺倒だった俺に、反撃の機会を与えることになる。
俺のナイフを弾き飛ばすべく、それまで以上の力を込めて振るわれる触手。
だが俺は、それを受け止めるのではなく、残る二本の糸を自分の足に絡め、操ることで避けてみせる。
強い刺突は、引き戻すのに同等の力を必要とする。
クシェルカーンは全力で触手を突き出したため、それを回避されて前のめりにたたらを踏んだ。
数歩前に踏み出す魔神。それは前に向かって体重が掛かった瞬間でもある。
俺はこの機を反撃の好機と察し、腰の短剣を引き抜いた。
ありったけの魔力を柄に流し、その姿を槍に……さらに長く……まるで一本の糸杉のごとく伸ばしていく。
短剣は槍に姿を変え、その範疇を超えるほど伸び、魔神の胴体に突き刺さった。
通常であれば、このような不意打ちは触手で防がれていただろう。
だが自分と同じ土俵に上がられ、動揺し、自滅で態勢を崩した今、奴に回避する術はない。
柄頭……いや、石突の部分を地面に当てて固定し、その反動でクシェルカーンは大きく後ろへと吹き飛ばされていく。
その胸には、槍穂が刺さったままに。
やがて石壁に激突し、身動きが取れなくなった。
「――破戒神を、崇めよ」
さらに俺はキーワードを口にして、刃の部分を振動させた。
その振動は肉を引き裂き、骨を砕き、内臓を傷付ける。
それだけではない。微細な振動は血液そのものを揺らし、衝撃が身体中に伝播していく。
この短剣、いや槍の最も恐ろしいところは、それだ。
例え致命傷でなくとも、その振動波が血液を通して全身を打ち据え、ダメージを与え続ける。
槍の長さは二十メートルにも達しており、さしもの奴の触手も俺には届かない。
破戒神によって
どうにか槍を引き抜こうともがくが、地面に固定した槍はそう簡単には抜けない。
何度も悪足掻きをした挙句、やがて力尽き、触手がだらりと垂れ下がる。
びくびくと足を痙攣させ、しばらくすると完全に動かなくなる。
やがて息絶えた魔神は、肉体が魔力によって構築されたているため、光の粒子のようになって消え去っていった。
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