第294話 熱心な教育
目の前に立つ巨体がデンであると気付き、俺は言葉もなく立ち尽くしていた。
以前のデンは三メートルを超える巨体に、でっぷりと膨らんだ腹、短い足と反比例して長く逞しい腕を持った、いかにもオーガという体型だった。
しかし、今俺の目の前に立つ存在は、巨体はそのままにすらりとしたシルエットを持ち、足すら長く伸びているように感じられた。
おかげでモンスター然とした外見が緩和され、巨漢がさらに大きくなっただけという印象を受ける。
しかも猫背気味だった姿勢はビシリと伸び、禿げあがっていた頭部には毛髪すら生えている。
巨大な口は恐ろし気ですらあったが、現在はその姿勢や雰囲気から厳格さのみを漂わせ、異形の恐怖を感じさせない。
「おま……お前……だれだ!?」
「は? ニコル様、私はデンでございますよ?」
「いやはや、これは変わったのぅ。もしや、この地にも地脈が通っておるのかな?」
「んなわけねーだろ!」
生前はここを何年も隠し場所に使ってきた。そんな異常地帯ならば、俺の身体にも異変が存在したはずだ。
少なくとも、生前の俺にはデンのような異常は発生していなかった。つまり、この場所は地脈などではありえない。
「これはマクスウェル様。壮健そうでなによりでございます」
「おう、これは丁寧に。そちらも元気そうでなによりじゃ」
「おかげさまを持ちまして。これもひとえに、マクスウェル様とニコル様のご配慮のおかげです」
「いやはや、まさに驚愕の急成長じゃなぁ」
「なに暢気に挨拶してんだよぉ!」
無駄に丁寧な、俺よりも教養ある口調で挨拶するデンと、それを何事もなかったかのように受け入れているマクスウェルに、思わず声を荒げてしまった。
いや、そもそも地脈云々程度の理由では、ここまでの教養は得られない。すると教育した者がいるということになるのだが……
「なんだ、騒々しいと思ってみたら、お前たちだったのか」
その教育を施したと思しき存在が、ぞんざいな口調で入り口から入ってきた。
言うまでもない、アストだ。
「お前か……?」
「ん?」
「お前がデンをこんなにしやがったのか!?」
「ああ、それか。うむ、思いのほか物覚えが良かったのでな。つい教育に熱が入ってしまった」
「ハ――アスト様にも格別のご厚情を賜り、感謝しております」
「うむ、その調子で執事道を極めるといい」
「きわめんな!?」
執事も何も、デンは紛う事なきオーガである。どこの貴族が雇ってくれるというのか。
この男、面白ければなんでもやらかしてしまうから手に負えない。
「いや、これは……私としたことがうっかりしておりました。主人とお客様を玄関口で立たせたままとは。申し訳ありません、すぐにお茶をお持ちしますので、どうぞこちらに」
「いや違う、そうじゃなく」
そうツッコミを入れてはみたが、デンは聞く耳を持っていなかったようだ。
そのまま容赦なく奥の間へ連れていかれ、席に座らされた。
そして一礼して茶を用意してくる旨を告げ退室する。ここまで流れるように事を運ばれ、口を挟む余裕すらなかった。
俺はちょこんと席に座ったまま、アストをぎろりと睨みつけた。
あの純朴なデンがあまりにも急激に変貌してしまった。いや、この男を頼るように薦めたのは俺なのだが。
「どうしてああなった?」
「うむ、最初はあまりにも野生的だったのでな。だが知能自体は悪くなかった。そこで興味本位のままに教育を施していった結果、ああなってしまったのだ」
「そこに辿り着くお前の思考がよくわからない」
「いや、執事にしようと言い出したのは、実は嫁だ」
「帰ってきたのか?」
「また出ていった。久しぶりだったので夜に張り切りすぎたようだ」
「ああ、そう」
夫婦仲がよろしいようでなによりだ。爆発しやがれ。
ともかくこのタイミングでこいつが現れてくれたのは、こちらとしても話が早い。
「そうだ、今日ここに訪れたのは、お前に用があったからなんだ」
「ほぅ?」
「実はな――」
俺はマクスウェルの補助を受けつつ、現状についての説明をアストにした。
俺が正体を隠していることでコルティナがつらい目にあっていること。その我慢もそろそろ限界が訪れていることなど。
話を聞くうちにアストの眉間に深いしわが刻まれていく。あからさまに良い感情を抱いていないと、見ているだけでわかるほどだ。
「正直に言おう。正体をバラせ。それが一番の近道だ」
「いや、それができれば話は早いって。そもそも昔の仲間だったわけだし、気まずいったらありゃしない。しかも今は妹まで生まれたんだ。俺は姉としていろいろ期待されてるわけで……」
「妹とコルティナという女、どっちが大事なのだ?」
「答えられねぇよ、その質問には」
俺にとって初めての妹と、かつての仲間で一途に俺を想ってくれている女。天秤にかけようがない。
俺が正体をバラすことでフィーナからはニコルという姉が消えてしまう可能性だってある。
コルティナも、俺の行動に呆れて見限ってしまうかもしれない。そう思うと怖くて仕方ない。
ライエルとマリアも、俺がだまし続けてきた事実を許してくれるかわからない。
下手をすれば、俺は全てを失ってしまう可能性がある。
「俺は今の生活……いや、家庭を気に入っている。こればかりは何としても失いたくないんだ」
「だがそれでは、その女は永遠に不幸なままだぞ」
「わかっている。だけど……あと少し、だけ……」
俺の言葉は次第に尻すぼみになっていく。現状を続けられないことくらい、俺だって理解している。
俺は近い未来、レイドに戻りニコルを捨てるか、ニコルとしてレイドを捨てるかの選択を迫られることになるだろう。
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