第91話 役得

 完成した薬は薄い黄色の混じった乳白色の、どろりとした液体だった。

 俺はそれを飲む前に、トリシア女医から取り扱いの説明を受けていた。


「いい、この薬を飲んだだけじゃ、解放力は伸びないの」

「え、それじゃ役に立たない」

「いえ、正確に言うとちょっと違うのかな。解放力は伸びているんだけど、それを有効に活用できないというか……」

「鍛錬が必要?」

「まぁ、それに近いかな? ほら、堤防の穴をあけてもそこに水を誘導しないと水が抜けないでしょ。その誘導に、結構慣れが必要になるのよ。で、最初は誰かに補助してもらわないといけないのよね」


 人差し指を立てて俺に説明している姿は、それなりに女医らしい。だがなぜか、その態度に俺の危険感知能力が反応していた。

 それでもこの先、人並みの生活を送るためには、話を聞いておかねばならない。


「えーと……補助って?」

「そうね。具体的に言うと体内に溜まった余剰魔力を無理矢理引っ張り出してもらうの」

「そんなこと、できるの?」

「できるわ。そのために解放力を大きくしたんだし。で、その方法なんだけどぉ」


 そこでトリシア女医はニヤリと底意地の悪い笑みを浮かべた。

 俺は悪寒を感じ、自分の肩を抱きしめ、一歩後退る。


「それはもちろん、キスで吸い出してもらうのよ!」

「まてぃ!」


 思わず俺は大声を出した。

 キスだと? なぜそんな事をする必要があるのか。


「魔法を使うにはキーワードが必要になるわね? まぁ、マリア様みたいな例外はあるけど」

「そりゃ、たしかに」

「もう、呼び捨てでいいって言ったのに……」


 様付けに膨れるマリアはこの際置いておこう。トリシア女医の説明の方が重要だ。

 ガドルスがなんだか暴れ出そうとしているライエルを取り押さえているのも見えた。


「つまり、魔力は口から出るのよ。口というか、声を形作る喉かな? 声に魔力を乗せるような?」

「ふむふむ?」

「口から魔力が出るなら、そこは一番魔力が漏れ出しやすい場所って事なの。そして他者が魔力を引き出すには、同じく口を使った方が魔力を掴みやすい訳」

「ふむ? むぃ?」


 なんだかよくわからない謎理論に飛躍した気がする。


「式も陣も無いのに魔力が中空に放出されるなら、蓄過症なんて病気は発症しない。魔力は基本的に体内に滞留しようとする性質がある。ならば体内から体内へ移動させてやる方が、楽に抜けるわ。そこでキスよ!」


 つまり、口から口へと魔力を引き抜き、他者の体内に魔力を移すために、直接唇を合わせ、魔力を委譲するという訳か?

 どうも飛躍的に話が飛んだので、微妙に納得しがたいのだが。


「そういう訳で、誰がニコルちゃんのキスのお相手になるのかな?」


 実に楽しそうに、トリシア女医が爆弾を叩き付けてきた。

 その言葉に勢いよく手を挙げたのはライエルである。


「ハイ、ハイ! 娘の唇を他者に奪わされる訳にはいかんし! ここは頼りになる父親の出番だろう?」

「異性とのキスにはまだ早いわよ。やはり母親の私じゃないかしら?」

「それは却下」


 治療目的と考えるなら、マリアが相手になるのが確かに正論ではある。

 しかし乳すら吸えなかった俺が、接吻などできようはずもない。


「あなた、ニコルが冷たいの!」

「もう親離れの時期なのだろうか……少し早すぎないか?」

「そういう問題じゃなく。そもそも二人は村に戻ってる事が多いでしょ。わたしはいつ倒れるかわからないし、いざという時にやってもらわないといけないのなら、こっちに住んでる人の方が勝手がわかってると便利」

「む、我が娘ながら、なんという冷徹な分析力」

「確実にあなたには似てないわね」

「ぐふぅ!?」


 勝手にショックを受けているライエルは置いておくとして、異性である……いや、精神的同性であるマクスウェルとガドルスは除外。残るはトリシア女医とコルティナ、レティーナとミシェルちゃん、それにフィニアというところか。


「うん、レティーナはない」

「えー、なんでよ!」

「侯爵令嬢とキスしたなんて噂になったら、何が起こるかわからないもの」


 そう、こう見えてもレティーナは国の重鎮の娘である。

 その彼女に悪い噂は立てられない。

 

「それにトリシア先生も無理かな。いつも医務室に閉じこもってるから」


 ホイホイ倒れてしまう体質上、迅速な処置が必要なのに相手が遠いというのは致命的だ。

 そう考えると、同じ理由でミシェルちゃんも除外。彼女は昼間は隣の冒険者育成学園に通っているのだから。

 そもそも彼女の場合、ファーストキスが俺というのが可哀想でもある。


「となると、担任のコルティナと、フィニアが妥協点?」

「なんか売れ残りみたいに言うのヤメテ。まぁ異論はないけど」

「多少、願望が混じってるのも、ある」

「ン、何か言った?」

「なんでもない」


 かつて告白した相手に、堂々と口付ける機会を得られたのだ。

 多少……いや、かなり卑怯な気がしないでもないが、俺としてはこの機会を逃したくない。多少、いやかなり情けない気はしないでもないが。


「それじゃやり方を教えるわね。まず舌にこの蜜を塗って。それから口付けして、舌と舌を合わせるの。後は勝手に飽和量の少ない方に魔力が流れていくはず」

「その蜜、一回だけ飲むんじゃないんだ?」

「解放力を広げる役目もあるからね。何度か飲み続けて、身体を慣らさないといけないのよ」

「ふむ」


 俺は女医から蜜を受け取り、恐る恐る自分の舌に塗り付けてみる。

 すると強い花の香りと共に、痺れるような刺激が舌に走った。舌というのは刺激には鈍いはずなのに。


「それじゃ、行くわよ……なんだかドキドキするわね」


 俺の頬に両手を添え、わずかに頬を染めたコルティナの顔が近付いてくる。

 彼女にしてみれば、親友の娘にキスする程度なので、ペットに口付けるのと同程度の感覚なのかもしれない。

 だが俺としては、前世越しの宿願でもある。心臓がバクバクと暴れ出し、思わず胸元の服を強く握りしめてしまった。


「ほら、緊張しないで。行くわよ――ん」


 少しばかり照れくさそうにコルティナの唇が俺のそれと重なる。

 すぐにぬるりと温かい舌が潜り込み、こちらの舌をまさぐってくる。


 異変が起きたのはその直後だった。


 まるで背骨から神経を引き抜かれるかのような激烈な刺激。あまりの刺激の強さに、痛いのか痺れているのか、全く判別がつかない。


「んっ!? んぅっ!」


 俺は全身を強張らせ、ビクリ、ビクリと痙攣する。

 よくわからない感覚に翻弄され、痙攣し、硬直し、やがて脱力する。

 その頃になってようやくコルティナは唇を放した。


「ぷぁ。どうかな。ニコルちゃん?」

「はぅ、えぅぅ」


 身体の倦怠感は確かに消えている。しかし俺は別の感覚に翻弄され、答える事ができなかった。

 こんな行為をこれから頻繁に行う必要があるのか?


「オッケーっぽいかな? じゃあ、それを朝晩毎日繰り返してね」

「毎日!?」

「そりゃそうよ。薬だって毎日飲むでしょ?」

「うっ、そうだけど……ニコルちゃんがこの有様じゃ、負担が強すぎない?」

「リハビリみたいなものだからね。そのうち慣れるわよ」


 トリシア女医は気軽に言ってくれているが、俺の腰は完全に抜けている。

 地面にへなへなとへたり込みながら、聞くとはなしに周囲の喧騒を聞いていた。


「ああ、ニコルが、ニコルが穢されてしまったぁ!」

「ちょっと、そこ! 人聞きの悪い事を言わないでよ!」

「あ、でもちょっとだけメスの顔してるかも?」

「マリア、なんて事言うの、アンタも!?」


 コルティナとライエル達は大騒動を起こしている。これを俺は、毎日繰り返さねばならない。

 健康になるためとはいえ、この先俺は大丈夫なんだろうか? 体力的にも、精神的にも、結構きついモノがある。

 これからの毎日を思い浮かべ、俺は溜息を吐かざるを得なかったのである。

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