第92話 迫る脅威

 魔力蓄過症の治療薬を服用するようになってから、一ヵ月の時が過ぎた。

 あれから多少眩暈を覚える事はあっても、いきなり体力が急激に減少し気絶するという事態は目に見えて減少している。

 問題の魔力吸引行為だが、自宅ではフィニアに、学院ではコルティナに行ってもらう事で事なきを得ている。

 無論、人目を忍んでの行為だ。


 あの感覚はなんとも言えない脱力感を与えるため、少々人に見せられない表情になってしまう。

 これが普通の子供だったら熱っぽい表情で済んだのかもしれないが、俺は頭抜けた美貌を持つため、見る者にアヤシイ妄想を呼び起こしてしまうようである。

 とにかく、女教師と人目のない教室に入り込み、出てくる時は紅潮した表情で出てくるものだから、怪しい噂が立っていたりいなかったりするが、俺の虚弱体質は有名だったので、治療という事で納得してもらっていた。


 そんなこんなで月日は経ち、ようやく普通の子供程度の健康さを手に入れたのである。

 ところが、今……俺に新たな危機が迫ろうとしていた。





「よ、よせ……くるな」


 俺は絶望を手ににじり寄る神の仕掛けた悪意の塊から遠ざかろうと、じりじりと後ずさる。

 しかしその後退も長くは続かない。既にここは行き詰まり。後退する余裕はもはや存在しなかった。


「それだけは、断固としてことわる!」

「えー、なんでよ? 可愛いじゃない?」


 俺の拒否の言葉に、コルティナは愛らしく首を傾げて見せた。その手には学校指定の水着が吊るされている。

 無論のこと、女子用。

 分厚い生地を使って、いくつかのパーツを組み合わせた紺色の水着だ。

 胴体部はほぼ覆っているが手足は根元から剥き出しというデザイン。


 入学してから早二か月以上。もうすぐ水練の教科も採用される時期。

 そんな訳で、俺に学院指定水着を着せようとにじり寄ってくるコルティナから、俺は逃げ回っていた。必死で。

 フリルやレースの付いた服にも慣れた。丈の短めのスカートにも諦めがついた。だがそれだけは……勘弁してほしい。


「そうは仰られましても、水練の授業は教科に組み込まれてますし、受けないと単位がもらえませんよ?」

「うう、フィニアも敵か」

「そんな、敵だなんて。ただ水着姿のニコル様も可愛いかと思っただけで」


 頬に手を当て、恍惚とした表情を浮かべるフィニア。おそらく俺の水着姿を思い浮かべているのだろうが……

 だがその膝の上に置いている衣装はなんだ? 泳ぐ上で、ニーソックスとかリボンは必要ないと思うんだがな!


「フィニア、帽子をかぶるから、そのリボンはいらない。あとソックスも」

「あら、これは水に入るまで冷えないようにという気配りです。後リボンは私がニコル様を飾りたいだけですので」

「もはや味方はいない!?」


 しかし拒否したところで、フィニアの主張も一理も二理も存在する。学院の教科に組まれている以上、俺に逃れる術はない。

 それに水着のサイズもそろそろ合わせておかないと、泳いでいる最中にずり落ちてしまう可能性もある。

 再調整する時間も考えれば、この時期に衣装合わせをするのも、あながち間違いではない。


「うう、いっそ殺せ」

「なぜそこまで悲壮感を漂わせるのか。たかが水練の授業じゃない?」


 このラウムは森林に囲まれた大国である。そして同時に、森を支えるだけの水脈の走った土地でもあった。

 国土の各所を縦横無尽に河川が走っており、冒険者にしろ軍に入るにしろ、渡河を経験しない訳にはいかない。

 そのためには、最低限泳ぐ技術を習得しておかねばならない。


 ニーソックスは断固拒否しつつ、水着を身体に合わせる。

 サイズはかなり大きめで、このまま泳いだら胸元がずれ落ちそうなサイズだった。


「やっぱりかなり大きい」

「病気は治ったはずなのに、食欲は今まで通りだから仕方ないわね」

「胃の大きさまで治る訳じゃないし」

「ニコル様は小さいくらいが可愛らしくていいですよ。でも、たくさん食べてもらいたい気持ちはありますが」


 水着を合わせる俺の背後から、肩に手を置き、頬を寄せてくる。

 毎朝、彼女と唇を合わせて以来、彼女との距離が少し近付いた気がする。

 そんな彼女の頭に、俺は手を置き撫でてあげる。


「フィニア、いい子」

「もう、ニコル様ってば。これじゃどっちが年上かわかりませんね」

「ああ、フィニアってばズルい! ニコルちゃん、私は?」

「教師が『頭撫でて』って要求するな。ほんとにもう」


 そう言いながらも、コルティナを撫でる。フィニアのセリフじゃないがどっちが年上かわかった物じゃない。

 ひとしきりスキンシップを堪能した後、俺は水着を脱ぎにかかる。この時期にこの格好では、さすがに寒すぎる。


 服を脱ぎ、裸になって自分の手足を眺めやる。

 そこには肉付きの薄い、よく言えば妖精のような、悪く言えば枯れ枝の様な手足がスラリと伸びている。

 あれから一ヵ月、人目を忍んで鍛錬に励み、それなりに力も付いてきた……気がしている。

 それなのに筋肉がついた様子は一切ない。


 女性の身体である以上、ゴリゴリのマッチョになるつもりはあまりないが、それでも適度な筋肉は欲しい。

 実際、身体能力は、マシになったとはいえ平均的子供より低いままだ。気絶はしなくなった分だけ、進歩を実感できる程度である。


「やはり運動が足りないのだろうか?」

「ニコル様は必要以上に活発だと思われますが?」

「もっと鍛えよう。決意」

「やめてください、わりとマジで」


 気絶はしなくなったが、どこかに出かけて行っては擦り傷を作って帰ってくる日常に、フィニアの心配は絶えない。

 日が昇っている内はミシェルちゃんとレティーナに連れ出され、実戦とは名ばかりの狩猟に出かけ、夜は夜で人目を忍んでクラウドと剣の鍛錬。

 あれ以来強敵と戦うような事態は起きていないが、森を駆け巡っていれば掠り傷は付き物だ。

 だが不思議と俺の身体に傷跡は残っていない。ミシェルちゃんは結構あちこちに細かな傷が残っているのだが。

 これもあの神様の加護なのかもしれない。

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