第388話 早朝の異変

 ストラールの街に来て十日が経過した。

 最初は三日の休息を取ったが、それから一週間はガドルスに斡旋された仕事をして過ごしている。


「ん……ふあぁ、んむぅ」


 窓から差し込む朝日の光に、俺は目をこすりながら起き出した。

 第一階位として斡旋される仕事では、その日の生活費を稼ぎ出すので精いっぱいだ。休みを取っている暇はない。

 今日も雑用のような依頼をこなさねば、宿代すら覚束ない。


「ガドルスは宿代はいいって言ってくれてるんだけどなぁ」


 ガドルスはライエルの娘を預かっているという面もあって、宿代を免除してくれるという好意を示してくれている。

 しかしそれは、冒険者を志すミシェルちゃんやクラウドにとって、あまりいい提案ではない。

 もちろん、資金的な余裕ができるのはいい話ではあるのだが、それでは自立したとは言い難い。


 窓のカーテンを引き開け、俺は寝間着から着替え始めた。

 生地が厚めのシャツとスカート。膝丈の靴下を身に着ける。

 欠伸を噛み殺しながら、着替えを済ませ、防具を身に着けていく。そこで俺は、看過できない問題に直面した。


「む……?」


 胸当てを固定するためのベルトが、上手く固定できなかった。

 一瞬太ってしまったかと顔面蒼白になりつつ、先に腰の剣帯を装着する。

 こちらは問題なく装備することができた。どうやら太ったわけではないらしい。


「となると、また育ってしまったのか……」


 成長期の身体は、日々変化を続ける。俺の胸もまた一歩マリアに近付いたらしい。

 本来なら喜ばしいところなのだろうが、俺にとっては微妙な成長だ。

 それに胸当てが装備できないのも、困ったことになる。


「ベルトの調整だけだから、それほど問題ってわけじゃないけど」


 俺たちの今の稼ぎは日に銀貨五枚というところだ。

 そして毎日宿代に銀貨三枚を支払っている。食費も含めれば銀貨一枚の貯蓄を作るのが精一杯だ。

 それとて、少し贅沢をしたら、瞬く間に吹き飛んでしまう。

 特に食費のかかるミシェルちゃんやクラウドは、毎日カツカツの生活をしている状況である。

 この状況で防具の調整に武器屋に行くとなると、かなり懐に厳しい。


「そりゃ、ラウムから持ち出した貯蓄もあるんだけどさぁ」


 そういう事態も想定して、俺たちは幼い頃から貯金をしていた。

 しかしいつまでも赤字を出してはいられない。しかしガドルスが斡旋してくる仕事は、街中のものばかりで儲けは少ない。

 これでは干上がってしまう日もそう遠くないだろう。


「どうにか手を打たないとマズイかな」


 とりあえず剣帯だけを着けて、部屋を出る。

 今日は少し早く起きたので、ミシェルちゃんもクラウドもまだ起きていないようだった。

 俺たちの部屋は二階の突き当りに位置し、俺の隣にフィニア、そして廊下を挟んだ向かいにミシェルちゃんの部屋がある。

 ミシェルちゃんの隣がクラウドの部屋だ。

 階段を下りて、一階のホールに行くと、カウンターでガドルスが何やら手紙を読んでいた。


「おはよう、ガドルス」

「お、おう!? なんじゃ、ニコルか」

「どうしたの、ビックリしてる?」

「い、いや……なんでもないぞ」


 俺が首を傾げて尋ねると、妙に焦った仕草で否定してくる。

 彼は手紙を懐に仕舞いながら、こちらの服装の変化に気が付いた。


「なんだ、武装してない……わけじゃないな。だが鎧はどうした?」

「んー、ちょっとサイズが合わなくなっちゃって。胸周りとか」

「ブフッ!」


 俺の返事を聞き、ガドルスが妙な咳をした。

 我慢しようとして失敗したような咳だ。風邪でも引いたのか?


「ま、まあ、お前たちは育ち盛りだからな。そういうこともあるだろう」

「で、調整に出したいんだけど、やっぱりお金がね」

「ふん、駆け出しが一週間仕事を成功させたからといって、甘い顔をすると思ったか?」

「ぜんぜん思わない。ガドルス、頑固だから」

「わかっておるじゃないか。もうしばらくは修行せい……といいたいところだが、そろそろいい頃合いでもあるか」

「ん?」


 ガドルスは一つ大きく息を吐くと、カウンターの下から一枚の書類を取り出した。

 それを俺の前に差し出してくる。


「これは?」

「ギルドへの第二階位昇格の推薦状だ。この街でもある程度顔を売った頃合いだし、そろそろ階級を上げても問題なかろう」

「顔を……ああ、そうか」


 そこで俺は、ようやくガドルスの思惑に気が付いた。

 この一週間で俺たちが受けた仕事は、ほとんどが雑用のようなものだ。

 倉庫の屋根の修理から始まり、荷物の運搬、街路の清掃、街壁の修繕など、冒険とはかけ離れた仕事ばかりである。

 しかし、おかげで街の人には好意的に受け止められつつあった。

 ガドルスは、まず街に馴染むことを優先して、そういう仕事を割り振ってきたらしい。


 俺たち、特に俺はライエルとマリアの娘という、非常に微妙な位置にある。

 これは、ともすれば親の権威を笠に着るボンボンという悪印象を与えかねない。

 そこで細かな仕事から始め、周囲の受けをよくすることを優先させて、俺たちをいわばプロデュースしてくれたのだろう。


「気を使ってくれて、ありがとね」

「む、うぅん……おう」


 俺に礼を言われ、ガドルスは微妙な表情を浮かべていた。

 なにか昨日と比べ対応が違う。そう感じ、問い詰めようとした時、二階からミシェルちゃんが駆け下りてきた。


「うわぁぁぁぁん。ニコルちゃん、お金貸してぇ!」

「な、なにごと?」


 ミシェルちゃんが金を無心するなんて、今までになかったことだ。

 よく見ると彼女の服の胸元が破れている。一瞬クラウドが無法を働いたかと思ったが、どうやら様子が違うみたいだった。

 とりあえず俺は、食事を取りながら事情を聞くことにしたのだった。

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