第489話 侵入露見

  ◇◆◇◆◇



 カインが自室に戻った時、彼は何とも言えない違和感を覚えていた。

 無論、この部屋に出入りしているのは彼だけではない。信頼できる秘書や料理人など、彼の許可を得て出入りする人間はいる。

 しかしこのとき覚えた違和感は、そういう物とは違っていた。


「……なんだ?」


 その違和感の元凶を見定めるべく、周囲に視線を飛ばす。しかし室内は暗く、細部を見通すことはできなかった。

 そこで天井に視線を向け、シャンデリアに仕込まれた照明ライトの魔法を起動させた。

 学院の敷地内では、魔法の起動を阻害する施設の効果で魔法を発動できないが、こういった魔道具の使用はその効果の範囲外となるので、使用できる。

 まるで太陽の下のように照らし出された室内を見渡すが、その元凶を見つけることはできなかった。


「気のせい……いや、違うな。室温が高い。それに花の香りがわずかに……?」


 人のいなくなった室内は、意外なほど冷え込む。

 この日は室内の掃除も命じていなかったため、誰もここに踏み込んではいないはずだ。

 だというのに、室内は先ほどまで誰かがいたかのように、ほんのりと暖かかった。

 そして微かな花の香りが、室内に漂っていた。


「この秋に入ろうかという時期に、この室温はあり得んな。誰かいたのか?」


 真っ先に思い浮かぶのは窃盗。

 次に思い出したのは、レティーナ・ウィネ=ヨーウィの顔。

 自分の素行に疑問を持ち、ニコルという英雄の娘まで引っ張り出してきた邪魔者にして、未来の妻。


「あの女が何か仕込んだのか?」


 ひょっとすると暗殺を企むかも。その危険を危惧したカインは室内に再び視線を飛ばす。

 しかし、荒らされた痕跡はまったくと言っていいほど見つからない。


「ん……窓が開いて?」


 そこで彼は、窓のわずかに開いていることに気付いた。

 もちろん後ろ暗い心当たりがある彼が、戸締りという基本的な自衛を怠るはずがない。

 この日も、登校する前にきちんと施錠した記憶はある。


 侵入者の存在を確信し、その姿を確認すべく窓を開く。

 広い室内に温もりが残っているほどなのだから、それほど前の話ではないはず。

 大急ぎで窓を押し開け、裏庭を睥睨へいげいする。

 もちろん侵入者が危険な人物だった場合、顔を出した瞬間襲撃される危険はあるが、この寮の外壁は取っ掛かりがなく頑丈なため、外壁で待ち構えるということは不可能に近い。

 唯一狙撃という可能性はあったが、多少の遠距離攻撃なら捌ける自信が、彼にはあった。


「……いない、か。それとも飛んで逃げたか?」


 飛行の魔法や落下速度を軽減する魔法がある以上、よほどの防備を敷いていない限りは逃げ切られる。

 しかしここは、仮にも魔術学院高等部。その程度の魔法の存在は警備する側も想定しているので、発動阻害の警備システムが敷かれていた。

 だからカインは、自分がいかに荒唐無稽なことを口にしたのかを自覚した。


「いかんな、被害妄想が過ぎるか。それにしても、花の香りが残る室内とはな」


 そういうと今度はしっかりと窓を閉め、施錠した。

 魔法の起動を阻害する防備が存在する以上、これだけでも充分なセキュリティになる。

 もう一度室内を見回して異常がないことを確認すると、シャンデリアの明かりを消し、退室したのだった。



  ◇◆◇◆◇



「やっべぇ……」


 窓の直上。その壁に張り付いたまま俺は汗を拭おうとして、思いとどまった。

 カインが帰宅する直前、窓から飛び出した俺は、そのまま窓の真上の壁に飛びつき、手甲の鉤を利用して壁に張り付いていた。

 真上というのは意外と人体の死角に当たる場所で、意外と見落としやすい。

 俺は、この鉤爪を追加してくれたハスタール神に、心の中で感謝の言葉を送っていた。


 実際に窓からカインが顔を出した時は、『殺るしかないか?』と思ったものだが、幸いこちらに気付くことはなかった。

 ダラダラと顔を冷や汗が流れていくが、両手を使って壁に張り付いているため、汗を拭うことすらできない。


 やがてバタンと、扉が閉まる音が聞こえ、続いて施錠する物音が聞こえてくる。

 それを聞いて、カインが退室したことを確認するため、壁を這うようにして窓からこっそりと室内を覗き込んだ。

 明かりの消えた室内に、人の姿はない。それに窓も施錠されている。

 もちろん糸を使って解除することは簡単なのだが……


「あいつの言動を見る限り、ここに重要なものは置いてないか」


 カインは室内に入って侵入者の存在を察知した。

 後ろ暗いところがある人間ならば、まず真っ先にその在り処に向かうはずだ。

 しかしカインは室内を一瞥しただけで、これといった場所に触れてはいなかった。


「ということは、自室に何らかの証拠は置いていないということか。そりゃヤバいものを自分の部屋に隠すなんて下策だしな」


 しかし侵入者を過剰なほど警戒していたことは、奴の悪行が存在することの証左にもなり得る。

 一般人とて、侵入者があれば警戒はするが、室温の違いなどでそれを察知するなど、あまりにも過敏だ。


「ともあれ、あんな若造に侵入を気付かれるとは……俺も鈍ったもんだな」


 ミシェルちゃんたちと真っ当な冒険者家業に励み続けたおかげで、こういった行為は本当に久しぶりになる。

 その影響か、どうにも手際の悪さが目立つ侵入だった。

 そもそも体臭を消し忘れるなど、どこの無能かと言わんばかりだ。女として生まれ変わって、何の疑問も持たずに匂い袋ポプリなどを持ち歩いていたが、これは今後は気を付けないといけないだろう。

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