第255話 合宿
破戒神はビシリと指を一本立てて、提案する。
居間に上がり込んで直立し、やや斜めの角度からこちらに視線を送る姿は、まるで教壇に立つ教師のような風情だ。
「代わりの品?」
「まず物理的に神器級のアイテムを贈るのは問題があります。そこで手近な実用品で媚びを売りましょう。滋養豊富な女王華の蜜。これはすでに入手していますね?」
「それならばワシが用意できる。ワシからの贈り物として考えていたのじゃが」
「ちなみに赤ん坊に女王華の蜜は危険ですので、それはお母さんに贈ってあげてください。産後の肥立ちがよくなります」
「なぜ赤ん坊には危険なのじゃ?」
「女王華の蜜は解放力を強化しちゃいます。赤ん坊がその恩恵を受けた場合、魔力駄々漏らしの状態になる可能性が大きいです。なので常に魔力枯渇状態――つまり、疲労した状態で固定されちゃうのですよ」
「そういえば、あれはニコルの治療にも使っていたのじゃったな」
俺の解放力不足を解消するための原料。そして高い魔力を保持するトレント種の養分。その滋養は赤ん坊には強すぎるらしい。
もともと希少な素材なので、赤ん坊に与えるという人体実験をした者なんていない。現にマクスウェルも知らずに与えようとしていた。実に危ないところだった。
「そこで別の贈り物を考えてみました。赤ん坊のお肌は実にデリケート。ならばそのお手入れも神経を使わねばなりません」
「蜜については了解した。後媚びを売るって言うな。家族の愛情の発露と呼べ」
「レイド、お主どことなくライエルに似てきておらんか?」
「言うな」
マクスウェルのツッコミを無視して、破戒神はテコテコと左右に歩きながら、指を振って講義を始めた。
確かに言うことは一理ある……だが、俺には疑問が一つあった。
「ん? 待てよ。そういえば俺は特に、そういうのに気を使われた記憶はないぞ?」
「あなたの場合、直近の危機の方が大きかったのでお肌どころではなかったのでしょうね」
そういえばあの時期は、俺がハンガーストライキを起こしていて、それどころではなかったか。
マリアもライエルも、そしてフィニアも、そばで見ていてかわいそうなほど狼狽していた。
「その節は大変申し訳なく……」
俺は思わず、両親が眠るコルティナ宅に向けて頭を下げた。
俺のこだわりとは言え、あの三人には心配をかけまくった自覚はある。
「それにあなたはわたしの血を濃く引いています。わたしは他者を魅了する系統の能力がてんこ盛りですので、あなたにもその血が引き継がれています。なので何も手入れしなくても髪サラサラでお肌スベスベでプニプニですよ、コンチクショウ!」
「なんで悔しそうなんだよ?」
「いえ、努力せず美を維持できる存在に対する、不特定多数の怨嗟の声を代弁してみました」
「わけわからんし!」
まあコルティナ辺りなら、本気で怨嗟の声を漏らしそうではあるが。
「ともかく、次に生まれてくる子は、あなたほど血を濃く継いでません。ですので、肌ケアなども気を使ってあげないといけませんよ。あ、ちなみに生まれてくる子は女の子です」
「さらっとバラすんじゃねぇよ、バカ野郎!?」
ああ……さっきの一言で男か女かでワクワクしていた俺の気持ちが一気に冷却された。
そっか、生まれてくるのは妹だったのか。弟だったら色々遊べたかもしれないのに。いや、妹でも遊べるか?
「待てよ……もし、妹に女子力で敗北したら、姉としての尊厳の危機じゃないか?」
「それに関しては心配する必要はないと思うがのぅ。エリオットすら陥落せしめる淑女っぷりじゃ」
「よせ、それは俺の人生の汚点だ」
「十年かそこらしか生きておらんで、何が人生じゃ」
「前世も加算しろ」
マクスウェルと口論が始まりそうになったが、それは破戒神がパンと手を叩くことで意識を切り返させ、止めてくれた。
あのままだと不毛なやり取りを延々と繰り広げ、朝を迎えていたに違いない。
そういうのらりくらりとした弁舌の巧みさを、この爺さんは持っている。
「そこまで。という事態を踏まえてですね、清潔こそが病魔を撃退する最大要素。そういうわけでお肌に優しい石鹸や洗髪剤などを用意するのはいかがでしょう?」
「うん、悪くないんじゃないかな?」
女の子ならば、肌や髪を整えるのは大事なことだ。それにいざとなれば、俺やフィニア、マリアも使うことができる。コルティナに分けてやるのもいいな。
だが、爺さんは元より、俺にだってそんな素材の心当たりはない。
「それはいいが、そんな材料はどこから仕入れればいいんだ?」
「それはもちろん……海です!」
「海ィ?」
ここラウムは森王国の名の通り、森に囲まれた王国である。
無論どこまでも森というわけではなく、西の端には港町も存在しているらしい。
だがそこに行くまでは結構な距離がある。そう簡単に足を延ばせる場所ではない。
「さすがに時期的に無理があるんじゃ――」
「いや、レイド。よく考えてみぃ。もうすぐ年末の長期休暇じゃろ?」
「ああ、そういえば後ひと月もなかったか。だが西の港となると、往復するほどの休みじゃないし」
「なに、ワシはちょうどよい小島を西の町に持っておってな。そこで合宿を開けばよかろう。お主たちの」
「俺たち?」
「お主とミシェル嬢、レティーナ嬢。それにクラウドにフィニア嬢も」
「俺たち四人はわかるが、フィニアまでか?」
フィニアも剣の修行をしてはいるが、それほど本格的な物ではない。ライエルとの修行もようやく半年を超えたところ。実戦投入には少々心許ない気がする。
俺たちの合宿についてくるには、今の実力では厳しいのではなかろうか?
俺はそう危惧したのだが、マクスウェルの見解は違ったらしい。
「彼女も必死に頑張っておる。クラウドと一緒に訓練を受けておるのじゃ。お主たちについていくくらいはできよう。それにワシらだけでは……」
「だけでは?」
「誰が食事の世話をするのじゃ?」
「お、おおぅ……」
俺も前世の記憶があるので、多少の料理はできるが……それはありていに言って粗雑の一言に尽きる。
爺さんの料理能力も、推して知るべし。
レティーナに任せれば、間違いなく消し炭が出てくるだろう。
ミシェルちゃんなら肉を焼くくらいはできるだろうが、それ以外の料理は不可能そうだ。三食焼肉は勘弁してもらいたい。
クラウドは……悲しいかな、食事の準備ですら村八分に遭うあいつでは、ろくな料理ができないはず。
「合宿、いいですねぇ。わたしも参加したいのですが……」
「くんな」
こいつにミシェルちゃんは懐いているが、さすがに邪神スレスレの存在を紹介するわけには行かない。
俺の拒否の言葉に、破戒神は哀れなほど悲しそうな眼をしてみせた。さすがにその顔を見ては切り捨てるというわけには行かない。慌てて言い繕うことにする。
「いや、協力してくれているのはありがたいが、お前もあまり人前に出れる存在じゃないだろう」
「まあそれはそうなんですけどね」
「材料は俺たちがきちんと集めてくるから、情報面で協力してくれ」
「うぬぅ、ここはその辺で妥協しておきますか」
ころりと表情を変え、立ち直る破戒神。こいつ、さてはウソ泣きか?
その後マクスウェルに紙を用意させ、そこに必要な素材をメモしてくれた。
さすが神様、その筆跡は溜息が出るほどに流麗だった。
なお、石化したまま忘れられていたマテウスは、破戒神が責任をもって治癒してくれた……翌日の夜に。
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