第576話 おすそわけ

 フィーナ誘拐事件の翌朝。比較的穏便かつ非常に迅速に事件が解決したため、この日も開拓村では市が開かれることになっていた。

 さすがにフィーナは先の一件で外出禁止を食らっていて、遊びに行くことはできない。

 誘拐犯だった三人も、早朝からライエルと一緒に特訓という名の死地に向かっていた。

 マリアはフィーナの相手をしており、カーバンクルはライエルに同行させられている。

 つまり、現在この屋敷において暇を持て余しているのは三人……いや、四人だった。


「あー、うー……」


 朝食が済んだ後、そう唸りながら右往左往するコルティナ。それをフィニアと俺、そしてアシェラの三人が眺めていた。


「どうした、コルティナ。まるで狸が踊ってるみたいにウロウロして」

「私は猫よ。せめて狐にして」

「狐って犬に近かったような?」

「どうでもいいのよ、そんなことは!」


 俺が軽くツッコミを入れると、過敏に反応して返してくる。

 これは話を逸らしたい時の彼女の癖だ。しかしそれでも唸り続けるのをやめない。

 なんにせよ、ここで時間を潰されるのは、少し困った問題だった。

 俺としては名残惜しいが、早くストラールに戻らねばならない。

 カートたちとの口裏合わせと、なにより変化ポリモルフの魔法の効果時間の問題があるからだ。

 この五年のハスタールの研究の成果で、変化の巻物スクロールの効果は劇的に伸び、今では普通の魔法と同じく二十四時間持続するようになっていた。

 かなり長居できるようになったのは非常にありがたく、彼には足を向けて眠れない。


 昨日レイドに変身したのは、陽の傾き始めた午後の四時頃。改良のおかげで、計算ではあと八時間ほどは余裕があることになる。

 しかし絶対にバレてはいけない身の上である以上、時間的余裕はできるだけ確保しておきたかった。

 だというのに、コルティナが何か用事がありそうな態度でウロウロしているのだから、帰るに帰れない。


「あーもう! フィニアちゃん」

「あ、はい?」

「村では今日も市が立ってるでしょ?」

「ええ、そうですね」

「だから今日は一日レイドを貸してあげる!」

「はぁ?」

「いや、人を物みたいに扱うなよ」


 思わずツッコミを入れたものの、コルティナの意図がいまいち掴めない。

 なぜわざわざ、俺をフィニアに貸すようなことを言うのか。

 その答えはすぐに彼女自身の口から説明された。


「ほら、フィニアちゃんはレイドと会うのは久しぶりでしょ?」

「え? あ、はい、そうですね! お会いしとうございました」


 慌てて取り繕うフィニア。考えてみれば、こちらへはニコルたちの中から、彼女が代表でこちらに向かったことになっている。

 そして最大戦力の俺――ニコルとミシェルちゃんは、コルボ村に向かう予定になっていた。クラウドもオマケで。

 こうしてパーティを二手に分け、双方の情報を管理しながら事件に当たる……予定だった。

 俺があっさり犯人を捕まえたため、この対応はまったくの無駄になり、フィニアは久しぶりの開拓村の朝を堪能している最中である。


 そしてそこへ、同じく連絡を受けた俺が登場する。

 フィニアにとっては、実に二十五年振りの再会になるはずなのだ。無反応というのは、さすがに疑われる。

 そう判断してフィニアは場を取り繕ったのだった。


「私もね。フィニアちゃんの気持ちに気付かないほど、鈍くはないのよ?」

「そ、そうですか……」


 俺に気付かない程度には鈍いけどな。そういやこいつ、軍師っても戦闘専門だから、人間関係の機微には疎いか?

 フィニアは何とも言えない引きつった顔で、コルティナに返事をしていた。

 あれはきっと、噴き出すのを我慢してる顔だ。


「でね? 私はいつもレイドと一緒にいるわけだから、今日くらいはフィニアちゃんに主導権を譲ってあげてもいいかなぁって」

「俺、お前と会った後、いつも彼女のところに挨拶に行ってるぞ?」

「ちょっと顔出してるだけじゃない! 彼女が可哀想だと思わないの?」

「いやぁ……」


 どちらかと言えば、今可哀想なのはお前だ……とは口に出せず、俺は曖昧な返事をするに留まった。

 しかし、この配慮は俺を和ませるに値する。長らく会っていない彼女が、フィニアのために身を引こうというのだから、その優しさには感じ入らざるを得ない。

 フィニアも、どうしたものかと困惑の表情を浮かべていたが、コルティナはそれを遠慮と受け取ったようだ。


「遠慮することはないのよ。私は会おうと思えば会えるんだから」

「でも、コルティナ様。今、レイド様禁止令が出てましたよね?」

「そ、それはそれ、これはこれなのよ!」

「……い、いいんでしょうか?」


 フィニアはコルティナではなく、こちらに視線を投げかけていた。

 それは、ニコルとしてなら毎日会っている自分が、コルティナの厚意を受けていいのかという逡巡でもある。

 俺はその視線に、顔をそむけることで答えた。

 ここで『毎日会ってるからいいです』と断れようはずもない。


「あいつのことはいいのよ。フィニアちゃんも積もる話もあるでしょうし、今日は二人でゆっくりしてきなさい」

「あら、コルティナちゃんはいい子なのね。私はそういう子、好きよ」

「アシェラ様に言われると、なぜか胡散臭く聞こえるのはなぜでしょうね?」


 なぜか護衛の騎士団すら追い返し、自分もいったんフォルネリウス聖樹国に戻った後、またこちらにやってきていた。教皇猊下、いくらなんでもフットワーク軽すぎだろう?

 転移魔法持ちはこれだから困る。いや、これほどホイホイ転移魔法を使うのは、マクスウェルと俺、それにマリアとこの教皇くらいのものか。破戒神は除外だ。


「失礼ね。純粋な気持ちで褒めてるというのに。まあ、北部は特に男性不足で、一夫多妻が認められてるし、いいんじゃないかしら」


 二十五年前の邪竜襲撃で、各地から男が兵士として集められた。

 そして彼らは、軒並み邪竜の放つ灼熱の業火の中に散っていった。

 その結果、北部三か国同盟では深刻な男性不足が発生しており、これを回復するために緊急措置的な扱いで一夫多妻が正式に許可されている。

 しかしそれも、人口の回復とともに疑問の声が上がるようになってきたため、近いうちに撤廃されるという噂だ。

 ともあれ、現状では許可されていることなので、二人と付き合うことは何も問題ではない。


 ちなみにライエルはああ見えて、マリア一筋である。

 否、浮気すればマリアが怖いので、手が出せない。出す気も無いようなのだが。


「そ、そういうことでしたら、遠慮なく……いいんでしょうか?」

「いいの、いいの。こんな朴念仁、さっさと持っていっちゃって」

「またお前はそういうことを」


 コルティナの軽口が本心でないことは、俺も承知している。

 というか、人目がない場所では子供顔負けなくらい甘えてくるのが、彼女である。

 そんな彼女が、フィニアのために俺を譲るというのだから、二人の友情というかそういったものに、感動すら覚えていた。

 だが、実際レイドとしてフィニアと付き合うのは滅多にない事なので、これはこれでありがたい配慮だった。


「ま、ティナがこういってるんだし、遠慮することはないさ。いいかな、フィニア……ちゃん?」


 いつものように呼び捨てにしそうになって、慌ててちゃん付けで呼び直す。

 そんな俺の言葉に、フィニアは顔を赤くしてブンブンと首を縦に振っていた。頭に血が上るぞ?

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