第324話 ミシェル、怒る
俺はコルティナの使い魔による追跡を振り切り、再び街に流れ込む川に飛び込んだ。
少し離れた戦場では、ゴブリンロードを討ち取った歓喜の声と、残敵を掃討する鬨の声が上がっている。
側面から突撃してきた援軍と守備軍を足せば、残った敵を殲滅するくらいは楽勝だろう。
俺も本来ならケイルたちに合流して掃討戦に参加した方がいいのだろうが、今の俺は変装した仮の姿。
しかも糸を使うところをコルティナに目撃されている。
下手に消えどころを間違った場合、変装がバレて俺につながる危険性がある。
ここは乱戦を利用して姿を消し、雲隠れするに限る。
幸い川は街に向かって流れ込んでいる。
流れに身を任せて身を沈め、時折顔を出して息継ぎをしながら、往路の半分近い時間で町の中まで辿り着いた。
川の中を泳いで一直線に街には入れたことが、やはり時間短縮の最大の要因だろう。
水の中を長く泳いだことで、返り血に濡れた俺の服も綺麗に洗濯された。
多少染みは残っているが、それは泥汚れとあまり見分けは付くまい。
「ぷあっ!」
大きく息を吐いて、川から上がる。同時に幻覚も解除しておく。下手にあの姿を晒し続ける方が今は危ない。
髪やスカートから水滴が滴り、身体にぺったりとまとわりつく。布地が透けて色々見えちゃっているが、ここにはそれを凝視する
「まさに水も滴るいい男――女だけど。ん?」
一仕事終えた安心感からか、俺の口も軽い。そこへ土煙を上げて、何かが迫ってきていた。
街中はほとんど石畳が敷き詰められているが、川沿いにはそれが為されていない。
見ると馬より巨大な『何か』がこちらに向かって爆走してきていた。
その上には見慣れたミシェルちゃんの姿と、見慣れたくない白い神の姿があった。
「おーい!」
気の抜けた声でこちらに叫ぶのは白い神様。ミシェルちゃんの顔は有り得ないくらいに強張っている。
それもそのはず、彼女が乗っていたのは小型の黒いドラゴンだったのだ。
その姿は五年前に集落のそばで見かけた、あの魔竜ファブニールを小型化したようなシルエットをしていた。ひょっとしたらあのドラゴンも
「ニコルちゃん!」
俺のそばまでやってきたドラゴンはそこで急停止し、その上からミシェルちゃんが飛び降りてくる。
もちろん身体強化のバングルの力を解放した彼女は、今酷い筋肉痛状態にある。
着地をうまく決められず、べちゃりと地面に崩れ落ちるが、すぐさま立ち上がった。
五年前にアレを手に入れたときは、俺たちの身体はまだ幼女と言っていい状態だった。
筋力を先取りして使うあの魔道具の力に耐え切れず、身動きできない状態になっても仕方ない。
しかしあれから五年経ち、俺たちの身体も大きく成長し、大人に近付きつつある。
特にミシェルちゃんは成長が著しく、すでに大人と言っても問題ない成熟を見せていた。
今ではバングルを使っても、重度の筋肉痛に苛まれ、身体の動きが厳しいくらいで済んでいる。以前のように身動き取れないような事態にはならない。
「あ、ミシェルちゃん。どうしたの、こんなところで」
俺は先ほどまでの激戦に対応した男的思考から、少女のそれへと切り替える。
できるだけ子供っぽさを残した、あどけない口調を心掛ける。
「こんなところじゃないよ、どこいってたの!」
「え、あの……ちょっと川に落ちちゃって」
幸いと言っていいか、今の俺はずぶ濡れ状態である。川に落ちて学院へ帰還するのが遅れたというのは、良い言い訳になるだろう。
だがミシェルちゃんはそんな俺の言い訳を一切聞かず、俺に詰め寄り、大きく手を振り上げた。
「バカァ! みんなどれだけ心配したと思ってるの!」
振り下ろされる平手。それが彼女の心配からくる感情の発露であることがわかったため、俺は敢えてこれを受け止めることにした。
しかしその瞬間、彼女の手の平が淡く光を帯びる。
俺はその一撃を受け、きりもみをしながら吹き飛ばされた。
「ブフォッ!?」
見ると後ろで白いのが腹を抱えて爆笑を堪えていた。
さっきの発光はおそらく、奴が仕込んだ
ミシェルちゃんはそんな俺の惨状に気付かず、その場にぺちゃりとへたり込んだ。
「わたしも! フィニアさんも! すっごくすっごく心配したんだから!」
「あの……その、ごめんなさい」
確かに黙って出てきたのだからフィニア辺りは心配するとは思っていた。
しかしコルティナが頑張っている以上、俺はそれを黙ってみているなんてできない。
怒られることは覚悟していたが、この行動に後悔はしていない。彼女たちには悪いと思うが、同じ状況になれば、また同じことをするだろう。
それでも彼女たちが、どれほど俺を心配してくれたかはよくわかる。
あの大人しくて仲間想いの彼女が、俺に手を上げるくらい怒ったのだから。
「ゴメンね、ミシェルちゃん。連絡をしなかったのはわたしのミスだった」
「わかってくれたら……ぐすっ、いいの。もう、こんなにずぶ濡れになって!」
「川に落ちちゃってね」
「それはさっき聞いたもん」
泣きながら怒るという器用な真似をしながらへたり込むミシェルちゃんに、俺は肩を貸す。
そして腹を抱えて地面を転がりまわって爆笑する白いのに、鋭い視線を送っておいた。
「おのれ、先の光景のどこに笑う要素があったのか」
「いやぁ見事な吹っ飛びっぷりで、お姉さんちょっと我慢できなくなってしまいました」
「そのなりで『お姉さん』とか言われてもー」
精一杯皮肉を込めて、奴のまったく成長しない外見にイヤミを述べてやる。
だがその攻撃も慣れているのか大した効果を発揮できず、華麗にスルーされた。
今回の戦闘、彼女の助力も否定できない。あまりここで追及するのも、後味が悪い。
俺は仕方なく溜息を一つ吐くと、魔術学院への帰路へ着いたのだった。
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