第452話 因縁の相手

 新たに獲得した身体を投げ捨てたことで、敏捷性が増したのかもしれない。

 クファルは俺が目を瞠るほどの速さで、街中を駆け抜けていく。いや、足がないので這いずっていくといった方が正しいか。

 それを見失わないように追いながら、俺は少し疑問を持っていた。

 奴が逃げる方向は世界樹の方向。つまり街の中心部に向けてだ。

 もっともこの街の中心は世界樹があるので、中心部という言い方は間違いかもしれない。

 とにかく、そっちは街の外とは正反対の方向で、逃げるにしても不適当と言わざるを得ない。


「まさか、迷宮に逃げ込む気か?」


 世界樹の中には、数百層にも及ぶ伝説の大迷宮が存在する。

 神話の中ではこの迷宮を踏破した者は不老不死が与えられるとあり、かつては後に竜神と呼ばれたバハムートや、魔王と呼ばれる存在がこれを目指して登頂したらしい。

 しかし破戒神が世界樹を半ばでへし折ったために、この神話の事実を確認できなくなってしまった。

 つまり、現状では迷宮を上るメリットは、迷宮内から得られるアイテムにしかない。


「いや、スライムであるあいつなら、何かを取り込むことで自身を強化できるのかもしれないな」


 分体を操作できるようになったように。この速度で動ける身体能力を得たように。

 俺に追い詰められた現在、その打開策として新たな能力に期待しているのかもしれない。

 ならば、このまま逃がすのは上手くない。


 糸を使って先回りするかと決断した直後、クファルはその足を止めた。

 かなりの距離を逃げられたため、すでにかなり中心部に近くなっている。しかし迷宮の入り口には、まだかなり距離があった。

 近くには小さな教会があり、人目は全くと言っていいほど存在しない。いや、民家すら存在しない。

 世界樹の近くは落下物があるため、世界樹と街の間には多少距離が開いている。

 その街の内側の境界のさらに内側に、その教会は立っていた。


「もう鬼ごっこは終わりか?」

「ああ、もう終わりだ。レイド、お前もな」

「なに?」


 周囲には人目はない。教会の中に数人の気配は感じ取れるが、特に変わった動きは――


「いや、なんだ、これは!?」


 気配に動きはない。しかし魔力が異様な収束を見せている。

 前世の俺だったら気付かなかっただろう。魔法が使えるようになった今だからこそ気付ける、魔力の流れ。

 それが教会の地下に流れ込んでいる。


「生きて帰ることができたのなら、ライエルに警告してやるといい。自決用とはいえ、僕の分体を放置するなんて、自殺行為だとね」

「この距離から、操作したというのか!」

「ただ操作したわけじゃない。魔法陣を描くように動かした。そしてその中には絶望に染まった生贄がいる。二人もな!」


 俺は宿でコルティナから聞いた話を思い出した。

 昼間、俺が捕まえた男と、ライエルたちが捕まえた男。二人の捕虜を小さな教会で『尋問』したと。

 彼らは死罪を免れないが、苦痛から逃れるために情報を吐き出したとも言っていた。

 つまり今、彼らに生き延びる道はない。それは紛うこと無き『絶望』ではないのか? 男の一人は、正気すら手放していると聞いている。

 そして魔神召喚において、生贄の絶望は大きな要素となり得る。


「まさか、お前……仲間を生贄に!」

「分体を動かして牢獄内に魔法陣を描かせた。生贄もある。魔力は……まあ、生贄本人から提出してもらおう。星の位置が少々悪いが、狂気がそれを補ってくれるだろうさ」


 くふふ、と邪悪な笑顔を浮かべるクファル。

 同時に教会の地下から凄まじい瘴気が漏れ始める。


「なんだ、これは……」

「どうやら当たりを引いたようだね。なにが出たかな?」

「ふざけ――」


 俺の言葉は、そこで止められてしまった。教会の中から複数の悲鳴が聞こえてきたからだ。

 続いて建物を破壊する破砕音と足音。遅れて飛び出してくる兵士。彼らは俺たちには目もくれず、蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。

 響いてくる足音の大きさと間隔から、かなりの巨体と推測できる。暢気に構えていていい相手じゃなさそうだった。

 やがて教会の門が内側から吹き飛ばされ、召喚された魔神が月明かりの下に姿を現した。


 三メートルを超える巨体。モンスターとしては小柄なのかもしれないが、秘められた膂力は巨人にすら匹敵する。

 そしてだらりと下げられた腕には、二本の大剣が握られていた。


「ま、さか……」


 しかもそれは一体ではなかった。

 もう一体、後ろから姿を現す。


「くふ、くふふ……まさかまさか、こんな巡り会わせってあるもんだねぇ!」


 半ば狂気に染まった喜びを隠そうともしない、クファルの声。

 地響きを立てて現れた魔神。それは前世の俺を死に追いやった、あの双剣の魔神だった。


「しかも二体! どうするレイド? 君は今回も勝てるかなぁ? ヒヒ、ヒハハハハハハハ!」


 耳障りな笑いを続けるクファルに、俺は糸を飛ばす。

 しかし奴も同じミスを二度もするはずがない。その攻撃を読んでいたのか、ひらりと身を躱して逃亡に移った。

 魔神の前にクファルを倒すべく、後を追おうとしたが、魔神の方がそれを許さなかった。


「グルルルルウルルルルァァァァァァァァァ!」


 二体揃って叫びをあげ、殺意を漲らせて俺に向かって迫ってきたのだ。

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