第484話 自室でミーティング

 予期せぬ遭遇から退散し、俺は速攻で自室へと戻っていった。

 俺の部屋にはデンと、そして居座っているレティーナが待ち受けていた。

 どうやら片づけを手伝ってくれているようだが、それは侯爵令嬢のすることだろうか?


「ま、レティーナらしくていいけど」

「帰ってくるなり、なんだか失礼なことをいわれた気がしますわ」

「気さくでいいねってこと」

「ならばよし! ですわ」

「ニコル様、お飲み物をどうぞ。今日は暑いですからね」

「ありがとう、デン」


 三年のブランクがあるとは思えないほど滑らかな、レティーナとの受け答えに、カインとの会話で張りつめていた気分がほぐれていく。

 そこへデンがよく冷えた飲み物を持ってきてくれたのだから、俺の顔が緩んだとしても仕方あるまい。


「その表情、この三年でとんでもないたらし能力を身に付けましたわね」

「何その能力、記憶にないんですけど?」

「そうですわね。思えば以前から高かったですものね」

「すっごく失礼!」


 ちょっとガラスカップが手に余るので、両手で持って飲んだだけじゃないか。

 取っ手付きのカップを使わなかったデンの失態である。決して俺のせいじゃない。


「それよりニコル様、厨房の利用、お話を通してくださり、ありがとうございました」

「ああ、それは今後も必要になるだろうと思ってね」

「夕食ですが、さっそく何か作りますか?」


 デンの言葉に、俺も顎に手を当て考え込む。いや、何か考えがあったわけではなく、何を食べたいのか考えていただけだ。

 そもそもデンは、茶を淹れる技術は高いが、料理の技術はそれほど高くない。

 これは教えた側に料理の技能が無かっただけなので、デンのせいではない。

 まあ、雑な腕でも、サンドイッチくらいは作れるだろうけど。

 しかしその思考は、唐突に部屋に飛び込んできた存在によって中断させられた。


「ちょーっと待ってください! ニコル様の食事は、昔から私のお仕事ですので!」

「フィニア、ドアはノックしてね」

「あ、失礼しました」

「後、今あなたはレティーナの従者だから」

「人には譲れないものがあるのですよ」


 いけしゃあしゃあと言ってのけるフィニアの手には、トレイが器用に乗せられており、その上には軽くつまめるサンドイッチとサラダの類が用意されていた。

 ただ野菜を刻んだものではなく、鶏肉のささ身などを添えている辺り、男のデンもきちんと意識しているようだ。


「軽めですけど、夕食にも充分なボリュームがあると思いますよ」

「では私はお茶を用意してきましょう。何かリクエストはございますか?」

「ではわたしはコーヒーを」

「わたしは香茶ね。お砂糖多めで」

「かしこまりました」


 デンは注文を受けると、そそくさと室内に据え付けられた台所へと向かった。

 俺の部屋も一応貴族向けということもあり、簡単な調理ができる設備が用意されていた。

 もちろん一階の厨房ほど本格的なものではないため、コース料理を作るような真似はできない。

 その背中を見送った後、ちらりと視線を隣に移す。


「へぇ……コーヒー、ねぇ?」

「な、なんですの?」

「あの『にがいの』が苦手だったレティーナが、コーヒーをねぇ。無理してない?」

「してませんわ! 失礼な。わたしも茶を嗜む程度の味覚は鍛えましたのよ」

「無理してない?」

「しつこいですわね。してません」

「……ほんとうに?」

「……ちょっとだけ」

「後で香茶と交換してあげるね」

「うぬぅ」


 俺に成長したところを見せたかったのか、コーヒーを頼んでみたモノの、やはり好みではなかったようだ。

 言いくるめられて唇を尖らせる姿をみると、子供の頃のままの気性のようだ。

 しかしそれよりも今は確認しておかねばならないことがあった。


「レティーナ、さっき裏庭でカインに会ったんだけど」

「カイン様と? どうでした、イヤな目をしていらっしゃるでしょう」

「うん、蛇みたいだったね」


 それからレティーナと容姿を確認しあい、本人であることを確認した。

 一応、公的な場所に絵姿などが飾られていたりするが、ああいうのは画家が現実を配慮して、あえて『似ていない絵』を描く場合がある。

 姿を知る者に確認しておくのは、非常に重要だった。


「結構鍛えているみたいだったけど、腕前は?」

「街中の噂では、オーガを単独で倒せるほどの強者らしいですわね。あの細腕では疑わしいところですけど」

「細いっていっても、かなり鍛え込んだ細さみたいだったけどね」


 前世の俺が、まさにその体現者だった。

 鍛え込んだ筋肉をぎゅっと圧縮したような腕はしなやかで、それでいて力強い。

 さすがにライエルのような剛腕は発揮できないが、それでも一般人を片手で捻るくらいは容易い筋力を持っていた。

 そして、カインにもその気配を感じた。奴は甘く見ない方がよさそうだ。


「実際に戦っているところは見たことないの? 高等部にも実践授業はあるでしょ?」

「そうはいっても学年も違いますし。一応秋には実践祭という祭があって、そこで魔術や武術の腕を競う大会などはあるそうですけど。そういえばもうすぐでしたわね」

「新入生のレティーナは見たことがない、か。それにわたしもあまり目立ちたくないし」

「あまり長く時間をかけますと、ライエル様が押しかけて来かねませんものね」


 今はコルティナの特訓で忙しいライエルたちだが、俺もときおり様子を見に行く程度のことはしていた。

 しかしこの仕事にとりかかっている間は、うかつに学院を離れることができない。

 ここは敵地の真っただ中で、目を離した隙にレティーナやフィニアに危険が及ぶ可能性もあるからだ。

 それに、転移テレポートの魔法を使えるとはいえ、その消費は俺にはかなりきつい。

 深夜にいざという事件が起これば、対応できなくなる可能性もあった。


 そういうわけで、仕事でしばらくは戻れないことはライエルたちにも伝えてある。

 それでも時間をかけ過ぎれば、心配されることには変わりがない。コルティナの特訓を終えれば、即座に様子を見にやってくることだろう。


「そういえば、デンの実力ってどれくらいなのかな?」

「私ですか?」

「うん。自衛ができるくらいの腕があると、助かる」

「いちおうハスタ……いえ、アスト様から訓練を受けておりますので、それなりには戦えると思いますが」

「そうなんだ?」

「実戦経験がありませんので、明言はできません」

「そう、なんだ?」


 一瞬戦力として期待できるかと思ったが、その期待は瞬く間に弾け飛んだ。

 実戦経験がない腕自慢ほど、早死にする存在はない。

 もっともデンは腕自慢というほど自惚れてはいないようだが、それでも不安は残る。


「明日からわたしも授業に出ないといけない。その間、デンはできるだけフィニアと一緒に居てくれる?」

「承知いたしました」

「わたしと、ですか?」

「フィニアの実力を疑うわけじゃないよ。でも一人より二人の方が、何かにつけ対応しやすい。ここは不穏分子の本拠地なんだから、できるだけ警戒しないと」

「わかりました。ニコル様に心配かけないよう、デンさんと一緒に居ますね」

「そうしてくれると助かる。こっちも学院ではレティーナと一緒に居るようにするから」

「はい、それでしたら安心ですね」


 にっこりと微笑むフィニア。その顔がありありと『無茶すんじゃねぇぞ』と俺に圧力をかけてきていた。

 いや、フィニアがそんな言葉使いをするはずないと知っているのだが、そう聞こえるくらいの圧迫感があったのだ。

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