第506話 薬の成分

 とりあえず騒動が収まったので、改めて屋敷に招き入れられた。

 居間に案内された俺の目の前で、マクスウェルは素知らぬ顔をして茶に興じている。俺はそんな爺さんに恨みがましい視線を送っていた。

 あわや丸焦げという事態だったのだ、それくらいは許されるだろう。


「よくもやってくれたな?」

「おぬしが来ておるとか、ワシにわかるはずもなかろう? それにおぬしなら、それくらいは避けて見せるじゃろうて」

「お前も俺に過大な評価をしてんのな」


 茶を持ってきたのはマテウスで、彼は用事を申し付けられるのに備えて、室内で待機している。

 なのでマクスウェルも、俺がレイドであることは口にしない。


「マテウスや、ここはもういいからしばらく休むといい。今夜は疲れたじゃろう?」

「珍しく気遣ってくれるじゃねぇか。なんかやましい事でも相談するのか?」

「バカを言え、ワシがそんな真似をするはずが無かろう」

「白々しいってのは、こういう時に使う言葉だよな? ま、疲れてんのは事実だし、風呂でも入って寝るわ」

「その風呂はワシの屋敷の設備なんじゃが……いや、そうするとええ」


 元が後ろ暗い暗殺者だったマテウスは、こちらの配慮を察したのか肩を一つ竦めただけで、追及はしてこなかった。

 マクスウェルもややこしくなるのを避けたのか、図々しいマテウスの発言を軽く流す。

 マテウスが、そのまま振り返りもせず居間を出ていく。

 マクスウェルはそれを見て、扉が閉まるや否や探知魔法を使用して彼の居場所を確認していた。


「うむ、素直に風呂に向かったようじゃな。それにしても久しぶりに来たと思えば、何をそんなに慌てておる?」

「今、俺が受けている仕事は知っているか?」

「確かメトセラ領の違法薬物に関してじゃな。おぬしが片を付けてくれるのなら、こちらとしても大歓迎じゃ。もっとも、こんなことは大っぴらには口にできんが」

「そりゃ権力者が暗殺を奨励するとか、不謹慎極まりないからな。ならこれを見てくれ。件の薬ってやつだ」


 俺は腰のポーチから、小瓶を取り出しマクスウェルへと差し出した。

 マクスウェルは気負うことなくそれを手に取り、軽く振って見せる。


「なんじゃ、空ではないか」

「中に数滴残ってるだろ。そこから鑑定してくれよ」

「なんとも無茶な注文を付けてくるもんじゃな」

「できないのか?」


 渋るマクスウェルに、俺は挑発的な笑みを浮かべて見せる。口の右端だけを吊り上げるような、皮肉気な顔だ。

 無論向こうもその意図を察してはいるが、ここは敢えて挑発に乗ってきた。


「できんとは言っておらんわい。しばらく待っておれ」

「そう来なくちゃ」


 俺の返事を待たず、マクスウェルはすでに魔法の準備に取り掛かっていた。

 いくつかのインク壷と用紙を持ち出し、紙に魔法陣を書き込んで、その上に小瓶を乗せる。

 マクスウェルが呪文を唱え、魔力を流すと、魔法陣が光を放ち、まるで湯気のように立ち上った後、消失する。

 代わりに紙には鑑定内容が記されていた。


「以前見た商人の鑑定とは、ずいぶん違うんだな」


 かつて温泉村で見た商人は、虫眼鏡のような魔道具を使っていた。

 対してマクスウェルは紙とインクだけ。実に簡単に見える。


「まあ本職には敵わんが、それでもワシならかなりの精度で鑑定できる。結果は信じてくれて問題はないぞ」

「正しけりゃ問題ないさ」


 俺はマクスウェルにそう返し、結果の記された紙を取り上げる。

 そこにはいくつかの薬品と、奇妙な品が書き記されていた。


「ここは……土に釉薬?」

「小瓶の成分まで鑑定してしまったのじゃろ」

「で、ピリカの実に」

「魔素の浸透力を強化する成分があるんじゃ」

「ベゼルの葉は?」

「気分を高揚させる効果があるな。同時に理性が薄くなって痛覚にも鈍くなる。一般的には麻酔などに使われておるな」

「最後にファンガスの胞子……ファンガス!?」


 ファンガスとは、森の中に存在するモンスターの一種だ。

 胞子を飛ばし、動物や人間に寄生し、その内部を侵食する。寄生された生物は、やがて自らがすでに死んでいることすら気付かず、植物の意のままに操られるようになる。

 もちろん外見にも変化が生じ、外皮は植物のような繊維に覆われ、身体の各所からキノコが生え始めるので、一目瞭然だ。

 いうまでもなく危険植物として認定され、即座に討伐することがギルドからも国からも命じられている。


「そんな危険物質を体内に取り込んで大丈夫なのかよ?」

「無論危険じゃな。体内を侵食されるのだから、全身を激痛が走ってもおかしくない。いやしかし……だからベゼルの葉の成分を混ぜておるのか」

「痛覚を鈍くして侵蝕を気付かせないってことか」

「ファンガスの胞子も、少量ならば人体の免疫作用で排除される。適量ならおそらくはモンスター化することはあるまい」

「もし、過剰摂取すれば?」

「間違いなくファンガスに侵され、モンスターと化すじゃろうな。もっともこの量では、どの程度が適量か判断できんが」


 なるほど、それでデンたちが出会った男は、異常な怪力を発揮したのか。

 デンの一撃で死亡したのは身体の中央を破壊されたため、体内に侵入した菌糸が内臓と共に、外に撒き散らされたからと考えられる。


「ってことは、これはもちろん?」

「違法……じゃな。ファンガスは国からも討伐命令が出ておる危険生物じゃ。それを薬に混ぜて街に持ち込むなど、言語道断」

「マスクを大量に仕入れていたのは、作業者が胞子を吸わないようにするためか」


 後は出所を調べれば、薬の方はどうにでもできる。問題はカインがどう関連しているか、証明することである。


「こっちはミシェルちゃんたちの動向次第ってことになりそうだな」


 彼女たちが行っているマスクの大量搬入。それがどこで行われたかで、調査範囲が一気に狭まる。

 それに今の彼女たちは、単なる護衛として向かっているので、疑われることもあるまい。

 そう判断すると俺はマクスウェルに礼を述べ、メトセラ領へと戻ったのだった。

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