第590話 ライエル、会敵

  ◇◆◇◆◇



 その日、ライエルたちは開拓村から少し離れた小さいが険しい山を登っていた。

 この山に生えている薬草が、クファルの毒素を解毒するのに必要な素材だからである。

 これらの知識は、フィーナと、フィーナのために破戒神が残していった教材に記されていた。

 三歳の娘が薬草の繁殖地域すら覚えているのだから、薬学のギフトの恩恵は恐ろしいと言わざるを得ない。


「まだ三歳なのに、ここに生えている薬草の種類までぴたりと言い当てるんだぞ。さすが俺の娘だろう?」

「ぜひゅー、ぜひー」

「それに世界一かわいいからな。いや一位はニコルか? なんにせよトップスリーには入るだろうな」

「た、たしゅけ……ゼルが、もう限界……」

「し、死ぬ、死んでしまう……」

「俺にかまうな、ここは俺を残して先に行け……」

「きゅ、きゅうぅぅぅ」


 北部独特の結構急峻な地形のため、同行を命じられた三名――元誘拐犯のトロイ、ジョーンズ、ゼルの三人はすでに虫の息である。ついでにカーバンクルも虫の息だ。

 しかし先行するライエルだけは、その高度も険しい道のりも苦にしていない。


「あ、お前ら。言っておくけどフィーナに手を出したら殺すからな? ニコルにもだぞ」

「それ、どころじゃ、ねぇ……」


 唐突に振り返り、息も絶え絶えの三人と一匹に向けてビシと指さして警告するライエル。

 むろん、指された方はそれどころではない。険しい道のりによる体力の消耗で、いまにもぶっ倒れそうになっていた。


「なんで、そんなに、元気、なんす、か?」

「ん? 道が険しいくらいなら、しっかり足を踏みしめればいいだけだろう?」

「そんな簡単な問題じゃないでしょ――はぅ!?」

「トロイ、こんな、場所で、倒れたら、野獣に喰われて、死ぬぞ?」


 大声を上げたトロイはジョーンズの警告空しく、その場に膝をついてしまう。


「思ったより体力のない奴らだな。そんなざまだと、また利用されるぞ」

「いや、だまされるのに体力とかあまり関係……いや、何でもないです」

「頼むから、少し休憩を……」

「仕方ないな。三十分休憩だ」


 へたり込んだ三人に、ライエルは休憩を告げた。

 この薬草採取は、彼らの体力練成という名の罰も兼ねての行軍である。

 だからといって、強引に動かせて完全に気絶されても、困るのはライエルの方だ。

 それに彼らは、反省の念もあるのか、本当に体力の限界まで我慢してついてきていた。

 その根性を評価しないライエルではない。


「ほら、この蔓を切ると樹液が流れ出してくるから、飲んでおけ。水袋の水はまだあるよな?」

「はい、あります」


 近くの木に絡みついていた蔓を切断し、そこから染み出してきた水をトロイたちに飲ませる。

 山という状況では水は貴重品だ。現地で調達できるのなら、なるべくそれを消費した方がいい。

 特にこの近辺では水源が少ないため、一部の植物は大量に水を貯える性質を持っている。

 それを知るライエルは、水の節約のため、彼らにそれを知らせ、口にさせた。


「このままじゃ、お前らは他の兵士の足手まといになるぞ」

「わかっちゃいるんですが……無い体力は、すぐにどうにかなるもんじゃないです」

「それはうちの娘を見ていればわかるけどな。まぁいい。気長にやるか」


 ライエルとて、彼らを死に追いやりたいわけではない。むしろ一途に家族や大切な人のことを想い、命すら投げ出す覚悟でことに及んだ行動力は評価している。

 問題はその方法が間違っており、しかもそれがライエルの家族に及んだことだ。

 よって、これを無罪とするわけにはいかない。なによりけじめとして、他の兵士や村人に、目に見える形で罰を与えないと、規律が保てない。

 そこでこの薬草採取に彼らを同行させることにしたのだ。最近また脂肪を貯え始めたカーバンクルを連れて。


「カッちゃんも。そんな有様じゃ、またフィーナを守れないぞ?」

「うきゅうぅぅぅ」


 面目ないと言わんばかりの鳴き声を返すカーバンクルだが、大の字に寝ころんだまま、起き上がってくる気配がない。

 こちらは完全に体力を使い果たしてしまったようだ。


「まったく、いくらマリアの食事が美味いからと言って……ん?」


 そこまで話し、ライエルは言葉を切った。

 その目は鋭くなり、周囲を油断なく見まわしている。


「どうかしましたか?」

「ああ、これは……戦場の気配だな」

「戦場……?」


 ライエルにレイドほどの索敵能力はない。しかし命の危機を数知れず乗り越えてきた彼は、相応に危険に対して敏感である。

 その彼の感覚が、鋭敏に危機を嗅ぎ付けていた。


「まずいな、これは――」


 足手まといを抱えたままでは、対処しきれないか? そう判断するより先に、危機の源が姿を現した。

 三メートルを超える巨体、山羊のような頭部、両手に持った、人の同ほどもある巨大な剣。

 それは最近、ベリトを訪れた際に目にした姿だった。


「双剣の魔神!? お前ら、下がれ」


 強敵だが、この敵ならば倒した経験がある。それが彼に逃亡という選択肢を選ばせなかった。

 しかしそれが間違いだったと、直後にわかる。岩陰からもう一体の巨体が姿を現したからである。


「二体、だと!?」


 一体相手ですら、苦戦した。あの時はレイドの補助があったからこそ、怪我なく切り抜けることができた。

 しかし今回はレイドがいないし、背後には守らねばならない者もいる。


「くっ、お前ら、死ぬ気で逃げろ! 足を止めたら本当に死ぬぞ!」

「な、なんだよ、あれ!?」

「化け物!」

「やべぇ、逃げるぞ、トロイ、ジョーンズ!?」

「きゅ!」


 ライエルは愛剣を抜いて、魔神に備える。

 もちろん魔神もライエルを放置する気はない。両の剣を振り上げて襲い掛かってくる。

 それを家宝の聖剣で受け止め、弾き返し、その場に踏みとどまる。

 背後の三人を逃がすための時間稼ぎをするつもりなのだ。


「ライエルさん、あなたも早く!」

「お前らが逃げてからな! 俺を死なせたくないなら、さっさと行け!」


 叫ぶライエルだったが、一体だけならともかく、二体となると絶望的な気分にならざるを得ない。

 それでも、背後の三人を守るために、退くわけにはいかなかった。


「くそ、これじゃあのバカレイドと同じじゃないか!」


 叫びながらも、ライエルは剣を振り続けたのだった。

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