第222話 森のモンスター
草むらの向こうから現れたのは三メートルを超えるであろう巨体。明らかに人間ではない。
俺は新調したばかりの手甲を構え、敵に相対する。
枝葉の隙間から降り注ぐ月の光がその巨体を照らし出し、ようやく正体を悟った。
「
食人鬼と言っても、人を食うのは他のモンスターも同じである。便宜上そう呼ばれているだけで、実質の所巨大な体躯を持つ人型のモンスターと言うところか。
巨体であるだけに敏捷性はあまりないが、その膂力は人間の基準を遥かに超える。
しかし冒険者も、力が強いだけのモンスターならある程度対処できる。オーガを倒して一人前。新人相手の登竜門。そんな位置付けに認識されているモンスターだ。
「……なんだ」
俺は思わず安堵の息を漏らしかけ、気を引き締めなおした。
生前の俺ならば、糸を使わずとも対処できる程度の相手だ。ライエルならば、赤子をあやすような感覚であしらって見せるだろう。しかし今の俺では苦戦は必至。油断はできない。
右手から糸を引き延ばし、防御優先のため相手の出方を窺う。
にらみ合うことしばし。だが相手に動きはなかった。
そこで俺は妙な感覚を受ける。オーガから見れば、俺は無力な子供に過ぎない。攻撃を
それなのにオーガはこちらに襲い掛かってくる気配はなかった。
いや、そもそもこの場所にオーガが出るということ自体がおかしい。
この近辺は冒険者によって危険なモンスターは駆逐されており、オーガなどの危険なモンスターは存在しないはずだ。
「なんにせよ、この近辺に出没されたら迷惑だ。始末してしまおう」
俺は殺意を漲らせ、一歩踏み出す。
やる気満々の俺を見て、オーガは慌てたように手を上げた。
「ま、まつ。おで、たたかう、しない」
「……は?」
慌てたような……怯えたような声音。低い威圧感のある声だけに、その内容とのギャップに戦意が削がれていく。
オーガが話しかけてきたことにも驚いたが、一応オーガにだって知性は存在する。やろうと思えば、会話自体は可能だ。だが人間を餌としか認識していないオーガと会話が成立することなど、極めて稀である。
「なら、なぜこんな街の近くにやってきた?」
この近くにラウムの街があるのは、知性ある存在ならば理解できるはず。
つまり街の近くまで寄ってきたという事は、何らかの意図を持ってやってきたに違いない。
例えば、巣穴近辺の餌が枯渇し、新たな餌――人間を求めてやってきた、とか。
「おで、ひと、おそわね。山でこっそり、くらしでだ」
「うん?」
「そこ、ぼうけんしゃ、きた」
たどたどしい言葉から推測すると、コイツはどうやらこの近辺には住んでいないらしい。
特に人を襲うでもなく、平穏に生活していた所へ、冒険者がやってきたと。つまり住処を追われて、否応なくここまで流れてきたという事か?
「そりゃ災難だった……ん?」
待て、このタイミングでひっそり隠れ住むオーガの住処に襲い掛かる冒険者とか、おかしくないか?
オーガが襲われた事はそれほどおかしい事ではない。こいつも大人しいとは言えオーガだ。その性格を知らない冒険者と出会ったら、狩られてしまうことは間違いない。
それは良い。しかしだったらなぜ、こいつは無事にここまで逃げてこれた?
オーガは本来、足の速いモンスターではない。討伐に向かったのなら大抵はその場での戦闘になる。
まれに逃げ出す個体もいるが、足が遅い種族のため、逃げ切る可能性は限りなく低い。
だというのに、こいつはここまで逃げてこれている。近場ではない巣からここまでの、おそらくは長距離を、だ。
「なあ、その冒険者、お前を追ってこなかったのか?」
「ぼうけんしゃ、すみか、奪った。おでのすみか、うばう。なにかしてた」
「うばう? そこでなにかしてた?」
「じめん、なにか、かいてた」
オーガの住処までやってきて、討伐もせずに追い払い、その場で地面に何かを描く。
そこまで言われてピンと来た……転移魔法陣だ。
マクスウェルやマリアが、そこらへんでホイホイ使ってる魔法だが、一般人が使うとなると、保有する魔力量の問題から補助となる陣を事前に構築する必要がある。
これはどちらかというと、アストが使っていた転移魔法に近い。冒険者ギルドで使う大人数用の大規模転移魔法などは、この方式だ。
このタイミングでそれをラウムの近くで使用する理由なんて、考えるまでもない。
「クレインが逃げるために使用した物か!」
少なくともマリア程度の術者がそう簡単に見つかるはずもない。ならば補助として陣を描くなり、触媒を利用するなりした痕跡は残っている。
そしてマクスウェルならば、その痕跡から行く先を調べ出す事ができるかもしれない。
「でかした、オーガ! 褒美に今回は見逃してやろう」
「ほ、ほんどが? おで、にげていい?」
「ああ、男に二言はない」
「おめ、おんな」
「やっぱコロス」
「ヒギィ!?」
勢いで二言してしまったが、これは冗談なのでノーカンと言う事にしてもらおう。
ともかく、この情報は一刻も早くマクスウェルに届けないといけない。魔法の痕跡は時間を置けば置くほど消え去っていく。
すでに一週間の時間が経過してしまっている以上、残された情報は魔法陣そのものくらいだ。
風雨に晒されれば、瞬く間に消え去ってしまう可能性もある。
「よし、じゃあ助っ人を連れて来るから案内……つっても、街中には入れないな。しばらくここで待っててくれるか? 首尾よく行ったら、助っ人がお前を安全なところまで逃がしてくれるよう、交渉してやるから」
「ほんどが?」
「男に二言はないと言っただろう」
「おめ、メス」
「死にたいらしいな――」
「ピギャア!?」
学ばない奴――と言いたいところだが、オーガの知性なんて、あると言っても雀の涙程度だ。
むしろ人を恐れ、隠遁する程度の分別がある分、こいつはオーガとしても異質なほど理性的と言える。
こうして俺は手掛かりを入手し、マクスウェルを連れ出すべくラウムへ駆け戻ったのだった。
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