第197話 ジャガーノート
期せずして芋虫が懐いてくれたおかげで、糸の調達の当てはできたが、それだけでは手甲の修復はままならない。
内部の機構はどうにかできるが、左腕のひしゃげた装甲がまだ直っていないからだ。
俺たちは再び、世界樹の迷宮の中に転移していた。
「というわけで、次は少し上の六百層だ。ここでジャガーノートという敵を倒す」
ジャガーノートとは、神話上に存在する英雄の名前でもある。
だがその英雄は非業の死を遂げ、彼の鎧がその怨念によって動き出し、人を狩り尽くしていくのだとか。
いわば
俺たちはアストに言われるままに展開された転移魔法陣に乗る。
一瞬で光景が変化し……ていない。よく考えてみれば、同じ世界樹の迷宮内なのだから、光景が変わる事も無いのだろう。
到着後にアストが素材について説明をしてくれる。
「そこそこ強敵だが、そいつの鎧は柔軟でいて強靭。元が鎧だけあって、防具の素材にするには最適だ」
「いや、そうだけどさぁ……アンデッドの外皮だろ?」
「今更、お前が気にするのか?」
「いや……それだったら、コルキスの外皮でもいいんじゃないかと思っただけだ」
なんとなく、俺は思った事を口にしただけだった。
実際、俺は邪竜コルキスを倒したときの素材が丸々残っている。その中には皮や鱗もあった。
ライエルの聖剣ですら貫くのに苦労した逸品だ。こいつを使えばいい防具ができるのではないか、そう思っただけだ。
しかし、アストは驚いたように俺を見つめ、しばらく考え込んだのちに手を打った。
「その手があったか」
「気付けよ、おい!?」
「俺は自分の手持ちの素材にしか興味がなかったからな。言われてみればお前たちの功績を考えれば、そこに考えが行くべきだった」
「まったく……じゃあ、無駄足かよ」
意外なボケをかましたアストに、肩を落として俺は憎まれ口を叩く。
だがアストは数瞬考え込んだのち、きっぱりと首を振った。
「いや、せっかく来たんだし、一匹くらい狩っていこう。めったにない機会だしな」
「おい待て、そんな『ついでに一狩りしていこうか』って簡単な相手じゃないだろう!?」
一狩りしたい魔術師対人狩りしまくったアンデッド。いや、うっかり現実逃避したくなったが、冗談ではない。
仮にも神話の英雄の名を冠するモンスター。実際は軍隊で対応しなければならないほど、高い戦闘力を持つ。
それを、事のついでのように狩ると言い切るこいつは、どう考えても感性がおかしい。
「それもそうですなぁ。有名な世界樹の迷宮の上層、そのモンスターと手合わせする機会など、そうそうありますまいよ」
「ここにも、へんなのがいたし!」
呆れた事に、マクスウェルまでアストの提案に乗り気だった。
確かにマクスウェルの言う通り、こんな場所に来る機会はほとんど無いだろう。そこで強敵と対峙してみたい気持ちは、日常的に修羅場に足を突っ込んでいた俺たちならば、理解できなくもない。
だが今夜中に素材を集めなければならない以上、そんな寄り道はしたくない。
「そんな時間は俺たちには無いだろう?」
「いや、どうせ修復作業は今日中にできないから、素材さえ集めてしまえば、今日のノルマは完了だ」
「そうなのか?」
「ああ、お前が邪竜の皮を持ち込んでくれれば、今日の予定は終わる」
生前の俺はマレバ出身なので、
つまり、アストの近所にこっそりと隠していた。持ち込むならば、帰って十分もあれば余裕だろう。
「と言うわけで、早速行くぞ」
「お、おい……」
「というか、来た」
「へ?」
アストの言葉と同時に、ガシャリと重い金属音が通路に響き渡る。
通路の奥には巨大な金属製の鎧の姿。ただし腕が四本ある。もはや人型から逸脱しつつある異形。
神話の残骸。英雄の成れの果て。その逸話を持つモンスターが虚ろな眼窩で俺たちを見る。
「――――――――!!」
声帯を持たないジャガーノートは声を出さない。だが雄叫びを上げた事だけは理解できた。
盾と剣を持つ両手を大きく広げ、胸を逸らし、仰け反るように上方を仰ぐ。
それは空に向かって絶叫する仕草に似ていた。
「どうする? 戦いたいのなら手は出さないが?」
「む……?」
アストの目的は素材集め。マクスウェルは戦いたがっている。その両者の思惑に齟齬はない。
手っ取り早く処理するならば、アストとマクスウェルが遠距離から魔法を放てばいいだけの話だ。
いや、マクスウェルは遠距離から魔法を放つしかできないわけだが。
「レイド、こんな機会は滅多にないぞ? それとも心まで大人しくなってしまったのかの?」
「お前、俺を挑発して巻き込むつもりだろう?」
「ホッホ、さすがに気付いたか」
明らかな挑発だが、ここで爺さんの手に乗るのも悪くない。こんな機会はそう無いのは事実だ。
ここは世界の最難関である世界樹の迷宮の中で、目前には上層に生息する神話級のモンスター。
マクスウェルが言うように、これほどの相手に自分の腕を試す機会は滅多にないだろう。
俺は無言で一歩踏み出し、ピアノ線を引き延ばす。
そこまで言われては男が
「いいだろう。本気の戦いってやつを見せてやるよ」
「そうこなくてはな!」
俺の後ろに付くようにマクスウェルが動く。俺たちの戦闘における基本フォーメーション。
その隊形の変化を見て、ジャガーノートが二つの盾と二本の剣を構える。
両側に一つずつ盾と剣を持っているため、防御は堅そうだ。
「それを崩すのも、戦いの醍醐味ってね」
「なんだかんだ言っておっても楽しそうにしておるの。お主も立派な脳筋ではないか」
「俺の目的は知っているだろ」
「男に戻る事かの?」
「違う! いや、違わないけど、そうじゃない」
俺の目標は、ライエルを超える英雄の姿を体現する事だ。男に戻るのは、その過程の一つに過ぎない。
あそこに立つのは、その領域に到った者の名を冠するモンスターだ。
目標への試金石には、実に都合がいい。
「いくぞ、マクスウェル!」
「おう、いつでも!」
「――――――――!」
俺たちの鼓舞する声に、ジャガーノートが応える。
相手もすでに、こちらと戦う気は満々だ。こちらが逃げる可能性もあるのだから、向かってくる敵はむしろありがたいと思っているのだろう。
一本の剣を振り下ろし、腰を落として迎え撃つ体制を取っていた。
俺は大きく一歩踏み出し、奴に向かって渾身の糸を解き放った。
勝った。しんどかった。
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