第353話 警鐘

 学院の授業が終わり、俺はミシェルちゃんたちと合流して、支援学園御用達の茶店に立ち寄っていた。

 例のエリオットに紹介されたところは価格が少し高めのため、気軽に立ち寄るというわけにはいかない。

 特に食事量の多いミシェルちゃんにとって、価格は切実な問題だった。

 そこで貴族が少なく、懐具合の寒い支援学園の生徒目当てに、格安で営業している店に頻繁に足を運んでいる。


「でね、レティーナってば後ろからドーンって」

「その前のニコルさんの悪口が許せなかっただけですわ。わたしだって成長してますもの」

「それは悪いとは思ってるけどー」

「あははは、でもこれでまたクラウドくんが嫉妬されちゃうね」


 周囲には俺たちと同じように買い食いに立ち寄った生徒も多いため、多少派手に声を出しても、目立ちはしない。

 ミシェルちゃんもそういう環境ということで声を押さえずに爆笑していた。

 同時に一緒に顔を出していたクラウドは、頭を抱えている。 


「やめてくれよ、またギルドでの訓練が激しくなる」

「その時はレティーナに報復することに忙しかったから、弁解できなかった」

「その場でしてくれていたら嬉しかったのに!」


 俺の胸についていた赤いものは、前の狩りでイノシシに漬けられていた痣である。

 そして隙あらば胸に攻撃を仕掛けてくる、フィーナのキスマークでもあった。

 なのでクラウドへの疑惑は完全に見当違いの物である。

 だが噂というのは独り歩きするモノだ。今回もその例に漏れず、余波はクラウドに及んでいる。

 現に今いる店でも、俺を知る生徒が多いため、視線がときおりこちらに飛んできていた。


「まー、わたしたちと一緒にいるだけで役得だから」

「それ、自分で言うかな?」

「ミシェルちゃんやわたしが美少女でないと?」

「そこは否定できないのがつらいな」

「ちょっと、なぜわたしを外したのか、説明してくださいまし!」

「そりゃ、レティーナは幼……いやなんでもない」

「むきぃ!」


 例によってレティーナは騒々しい。彼女はいつでも、自分のペースを崩さない。

 一歩間違えれば煩わしいと思われかねない言動なのだが、それでも憎めないのが彼女の人徳というところか。

 俺は無口な性質なので、おかげで随分と交友関係が広がってくれた。


「でもまさか、コルティナ先生まで乗ってくるとは思いませんでしたわ」

「ちょっと最近浮かれてる感じはあるね」

「もっとなんというか……近寄りがたい雰囲気を持っていたと思っていたのですが」

「そうなの?」


 俺はコルティナのことは、こちらに来てからの状態しか知らない。

 それ以前となると前世の姿しか思い浮かばないのだ。

 確か親友の娘を預かるということで、かなり気分を持ち直したと聞いている。

 

「そうですわね、前のコルティナ様は何というか、無気力というか、投げやりというかそんな雰囲気でしたわ」

「そんなに変わったの?」

「ええ。少なくともあの始業式の日に、教室に入ってきた姿を見て驚いたのは確かですわ」


 あの時は何だか妙なハイテンションを維持したまま入ってきたのだったか。

 それを聞いてミシェルちゃんは、不思議そうな顔をしていた。


「でもコルティナ様って、もっと気さくな感じだったのに、へんなの」

「変って、すごく失礼な言い草ですわね。まあ今のコルティナ様からは想像できないのもわかりますけど」

「そーなんだ」

「コルティナ様かぁ。マクスウェル様と違って、あまり表に出てこない人だから地味な人だと思ってたけど、わりと美人だよね」

「クラウドくんのえっちぃ」

「なんでだよ?」


 クラウドもコルティナの印象はあまりないらしい。

 ということは、積極的な活動を始めたのは、やはり俺が来てからなんだろう。

 そんな話をしながらその日は解散になった。


 クラウドから孤児院のシスターからの感謝の手紙を受け取り――これは先の煮込み肉のお礼に関してだ――レティーナたちとも別れる。

 今日はミシェルちゃんの矢が不足気味になっていたので、狩りに出るのは中止になっている。

 俺はミシェルちゃんと一緒に武器屋に行って矢を補充してくる。


 白銀の大弓サードアイの全力射撃は特製の矢でないと使用できないが、彼女がいつも使っている狩猟弓は通常の矢を使っている。

 俺たちと冒険に出ると主にこちらを消費するので、消耗が早いのもこちらの方だ。

 もちろん、ミシェルちゃんも矢を作ることはできるが、そこはやはり、素人の作る矢とプロが仕上げる物では精度が違うらしい。


「ごめんねぇ。わたしが自分で作ったやつだと、ちょっと軌道がブレちゃって」

「ミシェルちゃんはわたしたちの中でも最重要の攻撃手アタッカーだから、仕方ないよ」


 両手にいっぱい矢を抱えて、二人して帰路につく。

 足取りがふらついてしまうので、よたよたとした足取りで通りを歩く。

 二人の少女が両手いっぱいの荷物を抱えて歩く姿を見て、通りの露店の人たちが冷やかし混じりの声をかけてきた。


「ミシェルちゃん、今日は買ってってくれないのかい?」

「さすがに無理ィ!」

「ニコルちゃんはどうだい?」

「これ以上持ったら潰れちゃう」

「それを見たいんだよね!」

「ヒドイ!」


 俺が悲鳴を上げて抗議すると、屋台のおっちゃんは声をあげて笑う。

 なぜか隣接する店の主人まで笑っていた。

 俺が何かに押し潰される姿は、わりと頻繁に目にすることができるのに、何がおかしいのか。


 そうやって俺たちはミシェルちゃんの家の前まで帰ってきた。

 そこで俺は、これまでと違う違和感に気付く。


「待って」

「ん、なぁに?」

「なんか……ちがう」


 ミシェルちゃんの家族に用意された家は、普通の一軒家の民家だ。

 石を積み上げて作られた壁と、木でできたドア。

 窓は高価なガラスが入ったものではなく、落とし窓の形式。

 それはいつも通りの光景……


「なんだ――?」


 だが何かが違うと、俺の感覚が警鐘を鳴らしている。

 周囲を見て、俺はようやくその差異に気付いた。


「洗濯物だ……」

「え、あホントだ。洗濯物、今日は干してないね。珍しい」


 ミシェルちゃんの家は彼女も父親も、現役の猟師だ。

 そして母親は解体などを受け持っている。

 つまり彼女の家は毎日のように大量の汚れ物が出ることになる。

 その汚れ物は、毎日のように洗濯され、二階の物干し台に干されている。

 それが今日に限っては、存在しない。


「昨日はみんな狩りに出てたし、洗濯物はあるはずなのに」

「そういえばそーだね。お母さん、どうかしたのかな?」


 ミシェルちゃんが踏み出そうとするのを制し、俺が先に入ることにする。

 彼女は現在、いろんな人物に身柄を狙われる身だ。ひょっとしたら、何らかの強硬手段に出た愚か者が何かしでかした危険もある。

 家に踏み込んだ瞬間その身柄を攫われる、なんて状況も有り得るかもしれない。


 俺は抱えていた矢をその場に置き、護身用に持ち歩いている短剣を抜いてドアを開けた。


 明かりもなく、薄暗い室内。

 そこには――荒らされた室内と、いくらかの血痕が残されていた。

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