第354話 ニコル式追跡理論

 照明ランプの落ちた薄暗い室内は、そこかしこに荒らされた痕跡が残されていた。

 しかも少量ではあるが血痕も残されている。

 反対に人の気配はなく、ミシェルちゃんの両親はいないようだった。


「どうしたの、ニコルちゃ――なにこれ!?」


 俺の背後から室内の様子を覗き見たミシェルちゃんが、驚愕の声を上げる。

 その驚きも無理はない。学院から戻ってくると室内が荒らされていたなんて、普通は思わない。


「お父さん、お母さん!? どこにいるの!」

「待って、ミシェルちゃん!」


 家の中に駆け込もうとするミシェルちゃんを、俺は後ろから羽交い絞めにして止めた。

 荒らした痕跡を残したままにするほど大雑把な犯人なら、それに繋がる証拠も残されているかもしれないのだ。

 それをいま彼女が踏み込んでしまっては、台無しにされてしまう。


「止めないでよ、お母さんが! お父さんも――」

「わかってるよ。これはわたしたちの手に負える事件じゃないかもしれない。だからミシェルちゃんはコルティナと衛士の人に伝えてきて」

「で、でも……」

「ミシェルちゃんよりもわたしの方が感知能力が高いよ。まだ周辺に残っているかもしれないし、少し調べてみるから」

「……うん、おねがい」


 両親が心配なのを抑え込み、絞り出すような声で彼女が告げる。

 その口元は強く噛みしめられており、彼女の無念がにじみ出ていた。


「だいじょうぶ、ここにいないってことは連れ去られたってことだよ。害意があればそんなことしない」

「そう、なのかな?」

「そうだよ。それにおじさんたちはマクスウェルやコルティナの庇護を受けている。表立って害を加えようとする人はいないよ」

「でも、連れ去られているし……」

「たぶんそれは……」


 そうだ、コルティナたちとつながりのあるおばさんを、なぜ連れ去った?

 そんな危険な真似をする理由なんてわかり切っている。

 六英雄を敵に回すリスクを背負ってでも、得たい『何か』があるからだ。

 ではその何かとは……? 考えるまでもない、ミシェルちゃんに決まっている。


 だけど、今それを彼女に告げるのは酷というモノだろう。

 自分のせいで両親が拉致されたなどと知れば、彼女は今すぐにでも犯人にその身を差し出しかねない。


「わかんない。でも絶対何か見つけて見せるから」

「うん……おねがいね!」


 気丈にもそう告げると、彼女は一直線に学院へと駆け出していった。

 コルティナは今、学院にいるからだ。

 全速力で駆けて言ったミシェルちゃんの背を見送った後、俺は周辺の捜査を始めた。


「まずはオーソドックスに足跡からだな」


 一軒家の周辺を調べていくと、一対の轍の跡を発見した。

 ミシェルちゃんの家も猟師という職業柄、荷車は所持している。大量の獲物や巨大な獲物を運ぶための物だ。

 しかしその荷車は今存在していない。


「連中、攫ったおばさんたちを運ぶのに荷車を使ったのか」


 更に轍の周辺には、鋲を打った靴の痕跡も残されていた。

 それは戦士や兵士が好んで使用するもので、おじさんが使っていたものでは無い。

 猟師である彼は足音を立てる靴は持っていなかったはずだ。

 それは冒険者も同じで、敵を正面から受け止めるクラウドのような盾役以外は、あまり使用しない。


「他の靴跡はないな……ということは重装の戦士だけで押し込んだのか?」


 もしくは山賊などのような存在か……いや、それはないな。あからさまにそんな恰好をした人物は門で止められてしまう。

 冒険者だとしても疑問は残る。重装の戦士だけというのは、冒険者としてもバランスが悪い。

 そんなメンバーがいれば、ギルドで噂になるはずだ。しかし俺は、そんな冒険者の噂を聞いたことがない。

 

「後、考えられる可能性は……騎士や衛士が関わっていた場合か」


 ミシェルちゃんの身柄を欲しがっているのは、権力者たちである。

 ならばその手先になっているのは、正規兵である可能性が高い。彼らならばこのような靴を着用していてもおかしくはない。


「騎士が関わっているとしたら、厄介なことになるな」


 コルティナとの共闘により、騎士たちの評判は失墜せずに済んだ。

 しかしこの一件が表沙汰になると、その評判も一気に落ちる。


「とにかく、あとは中か……」


 俺は次に室内を調べていく。

 室内は荒らされているが、一定以上の大きさの場所しか荒らされていない。大体子供が隠れることができる程度。

 これはミシェルちゃんが隠れられる場所を荒らした痕跡と見ていい。やはり連中の目的は、彼女で間違いない。

 血痕も生乾きであり、ついさっきとはいかなくてもそれほど時間が経っていないことが見て取れた。


「これは、上手くいけば追いつくことができるか?」


 一瞬俺も外に飛び出しかけていたが、それはかろうじて堪える。

 飛び出したところで、どの方角に向かったかすらわかってはいない。

 室内の木床にも鋲の跡が残されていて、土足で踏み入ったことがわかる。


「どっかの紋章とか刻んでてくれれば楽なんだけどな……」


 有名貴族の兵士ならば、その紋章を刻んでいる装備を身に着けることも多い。

 だがさすがに紋章付きの装備を着て、人を攫いに来る馬鹿はいなかったようだ。


 そこで俺は考えを巡らせる。

 このラウム内において、マクスウェルの監視はかなり厳しいモノのはずだ。

 それなのに、関係者を堂々と拉致している。これはかなりの暴挙と言っていい。

 ならば、攫ったおばさんたちを自分の元に連れてきたりするだろうか?


「そんな真似をすれば自分が犯人だと宣伝するようなものだ。だとすれば……」


 そもそも獲物を運ぶための荷車では貴族街には入れない。ならば庶民の住まうこの近辺か……街の外。

 おばさんたちは、街中に置いてはいられない。そして、ミシェルちゃんとの交渉道具にするためには、生かしておく必要がある。

 おそらく街の外に連れ出していることは確定的。そのうえでおばさんたちを監禁し、生かしておくだけの生活を送れる場所。


「人の多い街道沿いは不可。なら……森に入った可能性が高いな」


 温泉町方面に向かった可能性もあるが、そちらも主街道に負けず劣らず、人通りは多い。

 人を避けるならば、やはり森の中に入った可能性が高いだろう。ラウムの近辺には、急な雷雨に備えた猟師小屋がかなりある。ラウム周辺は気候が安定しているが、それでも雨は降る。そして森の中で雨に降られると、容易に方向感覚をなくす。

 その危険を避けるため、森の中に小屋を多数配置している。

 そしてミシェルちゃんのおじさんはその小屋をもっとも活用している人物の一人だ。

 そういう人物を監禁するには、もってこいかもしれない。


 そう判断して、俺はその場を駆け出した。

 向かう先は街の門。ミシェルちゃんの荷車という目印がある以上、追跡は難しくないはずだった。

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