第344話 さらなる進化
俺とマクスウェルは例によってアストを頼るために、再びマレバ山へ来ていた。
まずは代金を用意するために俺の隠れ家に寄ることにする。
ここには完全変異してしまったデンがいたはずなので、いきなり入ったりせず、ドア……というか、窓をノックした。俺は紳士なのだ。女だけど。
いや、勝手に中に入って、以前みたいに奇襲されたくないのが正直なところだ。
「デン、いるか?」
「これはニコルお嬢様。ようこそお越しくださいました」
以前よりさらにハッキリとした、安定した発音の中低音の声。その落ち着いた響きは元男の俺から聞いても魅力的に聞こえる。
っていうか、なんだこの魅惑のバリトンボイスは?
しばらくして窓が開けられ……そこにはさらに変異が進んだデンの姿があった。
「お前、誰やねん」
その姿を見て、思わず西方の一部地域の方言が出てしまうくらい、俺は驚いた。
以前は三メートル程もあったデンの身長は、二メートル程度にまで縮んでいた。
体格に比して長めだった腕は適正な長さに短くなっており、四角く角ばっていた強面の顔はすっきりと面長に変化している。
さらりとした前髪が切れ長の瞳に掛かり、口元から覗く牙は小さくなっていて犬歯と呼べる程度の大きさになり、チャーミングな魅力を放っていた。
角も目立たなくなっていたので、はっきり言って大柄な半魔人族と言われても全く違和感がない。
「は? デンでございますが」
「いや、変わり過ぎだろ……」
「そうですね、私もその辺はさすがに驚いております。アスト様ならば詳細もご存知になるかと」
「その辺も含めて奴には聞きたいことができたな。まずはあいつに仕事を依頼したいので、料金を取りに来たんだ」
「わかりました。では中へどうぞ」
デンに招かれ、俺は自分の隠れ家に足を踏み入れる。
中は照明によって明るく照らされ、非常に住み心地がよさそうになっていた。
「この
「お気に召しませんでしたか? ニコルお嬢様に気持ちよくご来訪いただくために、私なりに工夫してみたのですが」
「いや、全然。居心地よくなる分には構わないよ」
くそ、そのイケメンボイスと子犬のようなションボリ顔は反則だぞ。
デンに先導され地下に向かうと、そこは持ち込まれた棚によって徹底的に整理整頓された、俺の宝物庫になっていた。
もう、隠れ家自体もダイナミック変異を起こしている。
「こ、これは――」
「財宝に区分分けがされておりませんでしたので、勝手ながら私が整理させていただきました。現金関係はこちらでございます」
「お、おう」
「これは驚いたの。レイドよりも清掃が行き届いておるとは」
「お前、もうマテウスを首にしてデンを雇ってみるか? 今なら街中でも目立たないぞ」
「やめておこう。あの外見では、近所の奥方たちが大騒ぎしそうじゃ」
二メートルは巨体ではあるが、人間の範疇と言えなくもない。
角や牙が残ってはいるが、それほど目立たず、半魔人族と言い張れないこともない。
今のデンを見て、元がオーガを連想する者は少ないだろう。
だがイケメン変異しすぎだ。正直敵意すら抱きかねないほどに。
「ニコルお嬢様、とりあえず金貨を百枚ほどご用意いたしましたが?」
「ああ、ありがとう。俺も相場はわからないから、そのくらいでいいんじゃないかな。足りなくなったら、また戻ってくればいいし」
「承知いたしました。少々重いので私がお持ちします」
「助かるよ」
前言撤回、実に気が利く対応である。俺の敵意は霧散した。
実際金貨も百枚ともなれば結構な重さがある。俺ではまず持ち歩けないし、マクスウェルも
「実にチョロい対応じゃな、レイド」
「チョロい言うな」
この身体になってから荷物と言うのは一つの課題になっている。それを運んでくれるのだから、感謝しても罰は当たるまい。
そこで俺は、ある一角に視線を奪われた。そこには俺の黒歴史……もとい、コレクションの数々が本棚に並べられて陳列されていたのだ。
「で、デン! 一つお願いがある」
「はい、何でございましょう?」
「その本棚には外から見えないよう、カーテンを掛けておいてくれ。頼むから。大至急で」
「は? ああ、そういう……承知いたしました」
くそう、俺の趣味がデンにまで知られてしまったということか?
いや、ここに奴を住まわせると決めた段階で、この事態は想定しておくべきだったか。
とにかく、済んだことはもはや振り返るまい。いや、思い出したくない。
俺はそそくさと地下の宝物庫から逃げ出したのだった。
俺たちはデンを引き連れそのまま中腹付近のアストの隠れ家に向かった。
どうせあの得体のしれない男のことだ、俺たちが来訪したことくらい、すでに察知しているだろう。
俺の隠れ家も放置しておくのは心配ではあるが、あの男の監視がある以上、下手な盗賊連中がやってくるとは思えない。
案の定、アストの隠れ家に行くと、その門は既に開け放たれており、いかにも中に入ってこいと言うオーラを発散していた。
俺はマクスウェルと顔を見合わせ、苦笑しながら肩を竦めて見せる。
なんとも奴らしい、ひねくれた歓迎の仕方と言える。
俺たちは洞窟の中に入り、その奥にある玄関をノックした。
間を置かず、奴の不機嫌そうな声が返ってくる。
「開いている。見ればわかるだろう。さっさと入れ」
「一応礼儀だよ、礼儀」
俺はそう悪態を吐きながら、中に入る。
そこには例によって、銀の指輪を削り出しているアストの姿があった。
「また来たか。今度は何の用だ?」
「いや、
「ほう? 賢者と名高いマクスウェル老の手に余る事態とな」
「お前、俺と偉く態度が違わないか?」
「傍若無人なお前と、この謙虚な老人を一緒に扱う方が無礼だろう」
アストの言葉に俺は憮然として唇を尖らす。その仕草を指さし、アストはさらに言い募った。
「それに今は小娘だからな。その仕草も、随分少女が板についているじゃないか」
「これは演技の都合上だっての!」
俺とアストがやり合っている間に、デンが金貨をマクスウェルに預け、奥へと消えていく。
どうやら茶を淹れに行ったらしい。すでにここも奴のテリトリーに飲まれたか。
なんにせよ、席を外してくれたのは都合がいい。
俺はアストに、デンの変化についてから聞くことにしたのだった。
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