第345話 伝説の薬

 デンが席を外している間に、俺はアストを問い詰めることにした。

 あの変化はいくら何でも異常すぎる。まるで――そう、ゴブリンロードの変化のようだ。


「ん、デンの変化か?」

「ああ。いくら何でも異常過ぎるだろう?」

「それはこの山が、地脈の一つだからと言うのが影響しているのだろうな」

「ハァ?」


 待て、そんな話は初耳だぞ?

 ここが地脈だというなら、もっと危険な生物とか出ていてもおかしくはないはず。

 そこまで思考してから、俺はそれがあり得ないことに気付いた。

 この山でそんな危険生物が発生しても、目の前の男が即座に処分するに決まっているからだ。


「そ、そういうものですかの? いや、それより、地脈と言うのはそんなにあちこちにある物ですかな?」


 マクスウェルは強引に何かを納得させつつ、疑問を提示する。

 そうだ、これは重要な話でもある。もしそれほど多くの地脈が存在するというのなら、世界の戦力図に大きく影響を及ぼすはず。


「いや、この大陸には全部で五つ……いや、六つだな。その一つがここだ」

「それはその……放置していいものですかの?」

「悪用されないかという心配か? ここに私がいる以上、少なくともここは悪用などさせんよ」


 確かにこの男が居座るこの山で、悪事に利用しようとする輩など存在できまい。

 デンの変化も、そんな山に居座っているからこそ、発生した変化と言うわけだ。


「まあいいか。それからもう一つ。こっちは俺の依頼なんだが」

「依頼?」

「うわああああぁぁぁぁあああん!」


 そこで、奇妙な声が響いてきた。地の底から響く艶を含んだような、何とも言えない声。

 それを聞きつけ、その場に妙な沈黙が舞い降りた。

 だがアストは少し咳払いした後、席を立った。


「すまんな。嫁が粗相をしでかしたので、折檻している最中だった。ちょっと黙らせてくる」


 そう言って席を立ち、床板の一部を持ち上げて地下室へ降りていく。この部屋に地下室なんてあったのか。初めて見た。

 時間にして十分ほどだろうか。しばらくすると声が聞こえなくなり、アストが妙に艶々した表情で登ってきた。


「待たせた」

「いやいいけど……まさか家庭内暴力とか、そういうのじゃないだろうな? 生きてるんだろうな?」

「安心しろ。苦痛は与えていないし、殺しても死なん奴だ」

「そ、それはいいのか……?」


 とにかくここは深入りしない方がいいと、俺の本能が告げている。そこで話題を変えるべく、俺はこれまでの推移をアストに話して聞かせた。

 その途中デンが戻ってきたが、この話については聞かれて困るものではない。

 この場にいる連中は、俺の正体について知っている奴らばかりだ。


「ふむ、お前個人を識別するために、特徴的な匂いを放つ香水を用意したい、と」

「そうだ、できれば模倣できないようなものがいい」

「ワシらはその、洒落っ気というものが少ない仲間ばかりでしての。なかなかいい案が浮かばず、困り果てておりました」

「あるぞ」

「まあ、お前だって洒落っ気は無いから、こんな相談しても無駄かもしれんが……って、あるのかよ!?」


 あっさりと断言して除けたアストに、俺は思わずお約束なツッコミを入れてしまった。


「唯一無二な香水だぞ? 見るからに引き篭もりなお前に用意できるのか?」

「凄まじく失礼な言い草だが、まあ心当たりが無いことは無い」


 そう言うとアストは席を立ち、奥の部屋へ消えていった。

 数分して戻ってきた彼の手には、緑色の小さな粒が載せられていた。

 成人男性の親指の先くらいの大きさの粒と言うには少し大きな球体は、その大きさのわりに、盛大に青臭い匂いを周囲に振りまいていた。

 だがそれは、不快な匂いではなく、濃厚な植物の匂いともいうべき、独特の物だった。


「これは?」

「霊薬『エリクサー』だ。今はもう入手が難しい代物だな」

「はぃ?」

「エリクサーですが、何か?」


 待て待て。それは確か、神話上に出てくるアレか? 世界樹の内部にある迷宮の最上層付近で入手でき、一口口にするだけであらゆる傷や病を癒して見せたという……


「伝説の薬じゃねぇか!?」

「そうだ。だがこいつの匂いならば、替えを用意することなどできん」

「確かにそうだがなぜお前がそれを……いや、そう言えば、冒険者時代に迷宮に入っていたと言っていたな」

「ああ、その時に入手した残りだな。もうこいつしか残っていないが」

「確かにそれなら替えは用意できないだろうが、今度は俺がそれに見合う報酬を用意できんわ!」

「構わん。どうせ死蔵していたものだ。役に立つなら、お前が持っていけ」

「そう言ってくれるのはありがたいが……」


 確かにこの独特の匂いならば、真似される恐れはない。

 しかもくれるというのだから断る理由もないのだが、さすがにここまでの代物となると、俺でも気が引ける。


「気にするな、引退した身には不要の代物だ。確かにお前にやるのはいささかもったいないが、そのせいで危険な目に遭う女がいると聞いては、捨ておけん」

「コルティナ目当てかよ! やらんぞ?」

「いらん、こう見えても嫁一筋だ。その粒を砕いて六つに分け、各自が持ち運べば目印になるだろう。日頃は密封できる容器に入れておけば、匂いも漏れない」

「この匂いはどれくらい持つ?」

「少なくとも千年は持つな。神話の通り」


 どういう状態で手に入れたのか知らないが、入手した当時も剥き出しだったのかもしれない。だとすれば、この薬が神話に登場する千年前から、匂いを発し続けているということになる。

 これを六英雄のそれぞれが持ち、その匂いを本人の目印にすれば、あの変装上手なクファルと言えども姿を騙ることはできまい。


「なんというか、すまないな。これほどの物まで用意してもらって」

「何度も言うな、俺には必要なくなった物だし、今回はお前に借りがある。それよりさっさと戻って女に顔を出してやれ」

「借り? あ、巻物スクロール切れたから追加も頼む」

「遠慮したと思ったらそれか。まあ、用意してあるが」


 アストは再び席を立ち、机の脇のなんだかよくわからない資材が山積みになった場所をかき分け始めた。

 そのたびに埃が舞い上がるが、その程度を気にするようでは、冒険者などできない。

 困るものと言えば、デンが少々服に付く埃を気にしている程度だ。こいつも綺麗好きになったものだな……


「あったあった」

「そのゴミ溜めの中に置いてたのかよ」

「一応魔道具だから、汚れはしても壊れはせん。気にするな」

「なんだかねばねばした液体が引っ付いているんだが?」

「ああ、それはヒュージクロウラーの糸を溶かして、布状に加工できないか試した時の失敗作だな」

「大人しく布にしろよ」

「編み目から空気が漏れるのが気に入らなくてな」


 また妙な発明に励んでやがる。こいつから、さらなる改造アイテムが生み出されるのも、時間の問題だな。


「まあいいか。今回は世話になったな。そうだ、さすがに金貨百枚程度じゃ礼にならないから、必要なら俺の隠れ家のアイテムを好きに持って行ってくれて構わないぞ」

「いいのか? さすがに邪竜の素材に匹敵するとは思えんのだが」

「お前も言ったろ。俺じゃ有効活用できない。なら、お前が使ってくれた方がいい。そしてお前が使ってできた品を俺が使う。実に正しい互恵関係と言える」

「それはお前が一方的に益を得ているだけに聞こえるが……いいだろう。好きに使えるというのは、確かに魅力的だ」


 そう言うと早速紙を引っ張り出し、何かを書き始める。見たところ何かの設計図のようだ。

 こうなるといつまでも邪魔していると、本気で邪魔者扱いされそうである。

 デンも慣れているのか、飲みかけのカップを片付け始めていた。


「それじゃ、俺たちは帰る。デンも元気でな」

「はい。ニコル様も、お元気で」


 にっこりとイケメンフェイスに変化した顔に笑顔を浮かべるデン。

 正直言うと、その無邪気な笑みに少しばかりぐらついたのは、気の迷いに違いないだろう。

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