第449話 生き延びたモノ

 北門近くの街路。

 昼間の戦闘で撒き散らされた氷が解け、街路は水浸しになっていた。

 その街路の隅に、微かにうごめく影が存在していた。


 それは転がっていた袋から這い出すと、にゅるりとした動きで人の形を取ろうとする。

 しかしそれは質量が足りず、叶わなかった。


「やれやれ。これじゃどこかで『補充』しないと、どうしようもないな」


 這い出してきたのは、粘液状のモンスター。俗にいうスライムだ。いうまでもなく、クファルである。

 彼は身を震わせながら、不明瞭な言葉を紡ぎ出す。


 昼間にコルティナに破壊されたのは彼の分体……というには量が多すぎるが、核から切り離された身体である。

 ニコルに手を出した段階で、クファルはライエルたちの追撃を想定していた。

 そして念には念を入れて、自身の核を荷物の中に隠し、ダミーの核を分体に仕込んで外部から動かしていたのだ。

 これは核から切り離されても自身の身体だった部位を動かせる、クファル独自の能力を活用した結果だ。

 もっとも彼の操作能力はそう離れた場所まで効果を及ぼすことができない。

 効果範囲を出た分体は、最初与えられた命令を愚直に遂行するゴーレムのようなものになり果ててしまう。

 せいぜい荷物に潜み、街路内で操るのが限界といったところだ。


 とりあえず、周辺の水溜まりを取り込み質量を補填していく。

 元が粘液生命体なので、水そのものを取り込むことで速やかに質量を補うことができた。

 しかしそのままでは、単に薄まってしまうだけなので、自身に馴染ませる時間が必要になる。


「さいわい、あの雌猫はうまく騙せたみたいだから、しばらくは安全だろうけど……すぐに街を出るのは難しいな」


 夜間とはいえ、こうして彼が街路にスライムの姿を晒していられるのも、昼間に起こった半魔人の暴動の結果である。

 いや、どうやら速やかに鎮圧……というか、和解が成立したようで、思ったほどの被害は起きていない。

 だがその混乱に怯え、警戒した市民たちは外出を控えていた。それが彼を視線から守っているともいえる。


 肉体を構成していた粘液のほとんどをコルティナに凍らされ、破砕され、水に流されてしまった。

 そのため、ほとんど核だけに近い状態で荷物の水袋の中に隠れていたクファルは、小さなネズミ程度の大きさしかもっていなかった。

 しかし周囲の水溜まりを吸い込んだことにより、どうにか子供程度の大きさまで戻ることができていた。


「しかし、あの雌猫……いやコルティナか。少し考えを改めた方がいいかもな」


 軍師コルティナ。六英雄の中でずば抜けて実力の劣る英雄。

 それ故に何度も、誰もが、彼女を最初に狙おうという考えてきた。

 事実、彼女は狙ってきた者すべてに、苦戦を強いられている。

 しかしそのたびに、彼女は敵を罠に嵌め、味方の前まで引き摺り出し、逆転を演出していた。


「しぶとい、というべきか。それとも周到と見るべきか?」


 今回も、結局クファルは彼女によって逃亡を阻止されている。

 ライエルたちを伴っていなかったところをみると、他のメンバーの脱出も、おそらくは阻まれたと推測すべきだった。


「単純な戦力として測れない部分か。厄介だな……」


 敵の実力を発揮させること無く生き延びてチャンスを窺い、こちらに致命的なタイミングで戦力を投入してくる。

 口にするほど、それは容易いことではない。それを平然と、何度も行ってくるのだから、性質たちが悪い。

 かといって、別の誰かを狙うにしても、そちらはそちらで一芸に秀でた連中ばかりで、手の出しようがない。


「僕と相性がいいのはライエルだが、マリアが常に張り付いている。コルティナはこの際置いておくとして、残るはガドルスとマクスウェルか」


 ガドルスの耐久力だと、クファルの毒素すら通用しない可能性もある。

 マクスウェルの場合、対峙する機会を得ること自体が難しい。顔を合わせた瞬間、蒸発させられかねない。


「となると、やはりレイドか。どうやって生き延びたことやら……」


 だが、クファルにとってレイドは個人的な恨みはあれど、積極的に狙う旨みのない相手である。

 現在のレイド――ニコルは六英雄ほどの名声はなく、また半魔人を仲間にしている点でも、一般的半魔人たちの評判は悪くない。

 これはラウムでコルティナの周囲を調べた時に得た情報なので、今ではやや古いかもしれないが、それでもあまり変わっていないはずだ。

 そのような相手を倒したとしても、半魔人からの反感を買うだけに終わってしまう可能性もある。


 クファルは考えながらも、周囲の水だけでなく砂や石ころといったゴミまで捕食していく。

 彼としては体積を増やすためだけで力にならないこの食事は、非情に不本意極まりない。


「ふん、やはり食らうのは何か力を持った奴がいいな」


 分体を操る能力も、スライム離れした力や敏捷性も、魔神やその召喚者を食らうことで得た力である。

 やはり力を持つものを食らうことが、より自身の力になりやすい。この水や砂利を食らうだけの行為は、自身がスライムであるという事実を容赦なく突き付けてくる。

 それでもやらねば、自分の身体を維持することすら敵わない。核はわずかなりとも粘液を纏っていなければ、すぐ砂のように崩れて壊れてしまうからだ。

 水袋に潜んでいた時ならともかく、今は水分を補給しないと危険に備えられない。


「いっそ、戻ってもう一度教皇暗殺を目論んでみるか?」

「それはできそうにないな」


 クファルしかいない街路に、高く澄んだ声が響く。

 とっさに周囲を見回すクファル。実際その行為は彼には全く必要ないのだが、これは彼が頑なに捨てようとしない、人間の時の癖である。

 だがその視線の向きではない場所で、その発生源を見つけ出した。スライムでなければ、もう少し時間がかかっていただろう。


 街路に面した民家の上。そこに青銀の髪をなびかせたニコルの姿があった。

 唯一自分の記憶と違うのは、右目を眼帯で覆っているところだ。完全に治ったというわけではないのかと、疑問が浮かぶ。

 隣には見たことがない少年の姿もある。


「ニコル……治ったというのは本当だったんだな」

「ああ、運よくな。素直に口に出すのは恥ずかしいけど、白いのには感謝してもし足りない」

「白いの? いや、まあいい。で、どうするのかな? この場で僕を殺すかい?」

「それをしない理由があるか?」


 トン、と屋根から飛び降りるニコル。

 そのまま地面に着地する寸前、屋根に引っ掛けた糸を引っ張り減速する。

 クファルは、まるで舞い降りるかのように降り立った彼女と対峙した。現状ではまともに戦うことすら難しい。

 正面から戦えない以上、何らかの手を講じる必要がある。


「なら……しかたないか!」


 ニコルの言葉にそう答えると、クファルは全力で襲い掛かっていったのだった。

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