第189話 鍛冶師の元へ
俺は他の生徒達を起こさないように、こっそりと服を着替えておく。
余計な荷物は持ち出す余裕がなかったので、学校指定の運動服だ。
暑い夏場なので、ふともも剥き出しの夏用運動服に山歩きに備えて膝上丈の靴下。
学院指定の頑丈なブーツに、髪は紐で大雑把にまとめて帽子をかぶる。
この姿で街中を歩くと、どこからどうみても……夜遊びに抜け出したお子様にしか見えない。
「こんなので街に出て大丈夫なんだろうな?」
どう見ても夜の街に繰り出して良い格好ではない。
無論、目的の鍛冶師は街中にはおらず、近くの山の中に隠遁しているので、街を出れば格好を気にする必要なんてない。
無いんだが……街を出るまでに問題を呼び込みそうだ。
「まあ、今回は保護者が付いているから大丈夫か。それにマクスウェルなら、多少悪い噂が立ったところで――」
国政に携わっていた頃から、外聞の悪いイタズラを頻繁やってきた爺さんだ。
今更、友人の娘を夜中に連れ出すくらいの噂は、気にも留めないだろう。
問題があるとすれば、その後に襲撃をかけるライエルだろうが……そこまでは知った事じゃない。
音と気配を消して着替えを済ませ、カッちゃんを身代わりに毛布に寝かせてから俺は部屋に出た。
カッちゃん一匹では質量が足りないので、マクスウェルの使い魔も追加しておく。
これで毛布には子供一人が寝ていると思われるふくらみができた。
ここであまりごそごそとしていたら、クラスメイトを起こしてしまう可能性がある。
特にレティーナは俺と実戦的な冒険を繰り返しているため、眠っていても音には敏感だ。
しかしそこはそれ。俺もこう見えても生前は最高位の暗殺者だ。
子供の目を掻い潜っての偽装工作など、本来ならば朝飯前である。
宿の裏口に出て、裏庭の待ち合わせ場所に向かう。この場所は使い魔から事前に聞いていた場所だ。
マクスウェルは先に来て、木陰に佇んでいた。
黙って立っているだけなら、エルフにしては背の高い彼は非常に絵になる存在だ。
「来たか、レイド」
「ん? お前、部屋じゃニコルって呼んでたよな?」
「あんな誰が聞いておるかわからぬ場所で、お主の旧名を呼べるかい」
「ああ、一応気は使ってくれていたんだな」
あの場は、眠っているとは言え、他の生徒もいた。
話し声に目を覚ます生徒がいる可能性も、わずかながら存在する。
「気を利かせついでにマントでも貸してくれよ」
「マントを? なぜ?」
「この格好で街中を歩くと、絶対怪しまれるぞ」
今の俺の格好は、体力練成の授業を受ける生徒そのものだ。
そんな子供を夜中に連れ回せば、あらぬ噂が舞い上がる可能性もあるのは、先も告げた通り。
「それはさすがに、ワシも遠慮したいの。ほれ、これでも着るがよい」
マクスウェルは自身の羽織っていたローブを脱ぎ、こちらに渡してくる。
彼と今の俺では身長差があまりにもあるので、ずるずるなんてレベルの話ではない。
しかしマントなんて持って来ていなかったので、贅沢は言っていられない。
裾をからげる程度では済まないので、腹回りで二度長さを調整してようやく着る事ができた。
正直、親のドレスを無理矢理着込んだ子供のように見えて、非常に格好悪いのだが致し方ない。
逆にマクスウェルは、引き締まった体躯に
「不公平な……まあいい、それじゃ行くか。街の西側のあの山なんだが、飛べるか?」
「いや、あそこには行った事が無いので無理じゃな」
「ならば歩いて行くしかないか」
むしろその程度のデメリットしかないのが恐ろしい。
俺とマクスウェルは、その覚悟を決めて宿から出ていく。
短剣と部分鎧で武装した老人に、ズルズルローブをドレスのように着ようとして失敗した感じの俺達は、行き交う人の目をさすがに集めていた。
だが予想以上に威圧感を発するマクスウェルに声をかけてくる者もいない。
チラチラとこちらを見てくる相手を無視して、足早に街を抜け……足早――
「マクスウェル、ちょっと待って。キツイ」
「おい、早くもバテたのか……? そんな様子で山登りなんてできるのか?」
「こう見えても、体力はちょっとだけ増えてるんだぞ」
「とてもそうは見えんのじゃが」
呆れたような声を上げると同時に、俺を持ち上げ、そのまま麦袋のように肩に担いだ。
これではまるで人攫いに攫われる幼女の図である。
「おい、この担ぎ方はないだろう!」
「贅沢な奴じゃのぅ」
くるりと俺の身体を反転させる。すると俺の腰が奴の肩に当たるので、そのままそこに座る体勢になれた。
そのままマクスウェルは魔術師とは思えぬほどの健脚を発揮し、街の西の草原を駆け抜けていった。
「こりゃいい。お前、今度から俺を担いで運んでくれよ」
「ちょっとは老骨を労わらんか、この小娘」
「小娘言うな。いつか男に戻るんだからな!」
「それまでに孕まされんように気を付けるんじゃな。お主は守りが薄すぎるわぃ」
「恐ろしい事を言うな!?」
そのままほどなくして、街の西に
このマレバ山はマレバ市のいわば名物の一つである。
結構大きな山なのだが、連峰を作らず、単独の山としてそこにある。
この山は中腹から麓までが深い森に包まれており、そこには様々なモンスターや猛獣が住み着いていた。
昔は樵や猟師、炭焼きがいたらしいのだが、大昔にあった噴火で全滅したらしい。
そんな山なので、現在はこの山に住み着いている人間はいない……ただ一人を除いて。
マクスウェルはわずかな獣道を辿りながら山頂方面に向かっていく。
あの鍛冶師はこの山に住んでいるのに、そこに至る道が全く整備されていない。どうやって生活必需品を調達しているのか、全くの謎だ。
深い下草を掻き分け、マクスウェルはズイズイと登っていく。
その体力の豊富も、俺にとっては謎だ。
「おい爺さん、ちょっと異様な耐久力じゃないか?」
「おう。強化魔法をかけておるからな」
「そんな魔法があるのかよ?」
「
「それ、すげぇじゃん。教えてくれよ」
「残念じゃが操魔系の魔法じゃ」
「……じゃあいいや」
操魔系はゴーレムなどを扱うための系統だ。おそらくは自分の身体をゴーレムに見立てる事で、長い行動時間を稼いでいるのだろう。
干渉系しか使えないというのは、こういう時に不便だ。
「おっと、そこの脇に進んでくれ」
俺は一見深く見える茂みを指さし、方向転換をさせる。
そうやって俺の指示で何度か方向を変え、ようやく辿り着いた先は……巨大な岩壁が存在していた。
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