第202話 事件の発端

  ◇◆◇◆◇



 ニコルがアレクマール剣王国に出発する事になって、その煽りを受けた人間は多い。

 中でも大きな被害を受けていたのが、二人。一人がエリオットであり、もう一人はクラウドだった。


 エリオットはニコルに付き添うようにラウムから姿を消したマクスウェルを追求する術を失い、失意の底にあった。

 しかも今回の事で、周辺の防護に問題があると判断され、本来半年以上ラウムで休暇が取れたはずなのに、半分にされてしまった。その残りですら、状況次第では取り消されかねない状況だ。

 エリオット自身、自分がラウムに来ている事で残してきた腹心たちに負担をかけているのは理解しているので、この主張に強硬に反対するわけにも行かず、唯々諾々と受け入れるしかなかったのだ。


 そして被害を受けたもう一人が、クラウドだった。

 元々がいじめられっ子。その立場は冒険者見習いとして頻繁に差し入れる食料によって、大きく改善されていた。

 今、孤児院でクラウドをいじめる人間はいない。

 そんな真似をしてクラウドがへそを曲げてしまうと、美味い肉が食えなくなってしまうかもしれないからだ。

 もしそんな事態になってしまったら……いじめの対象が『自分たちがクラウドを』から『肉を食えなくなった他の人間から自分たち』へ変化してしまう。

 クラウドは良い仲間を見つけたようだが、自分たちにそんな都合の良い人材が見つかるかどうか、不明だ。

 である以上、現状を下手に動かす危険性を悟る程度には、いじめていた者たちも理解していた。


 ところがニコルが最近忙しそうに立ち回っている影響で、孤児院への肉の供給が途絶えてしまった。

 このままではクラウドは、元の立場に転落してしまう危険性がある。


「ってわけだから、早く狩りに行きたいんだよなぁ」


 冒険者支援学園の食堂で、クラウドは大きく溜め息を吐いていた。

 この学園は基本的に部外者は立ち入り禁止だ。そしてクラウドには入学するだけの資金力は、もちろんない。

 しかし、ここにはミシェルと言う仲間が通っている。そういう点で言えば、一様に部外者と切って捨てるわけには行かない。

 そんな理由で、クラウドはここの食堂を、時折利用していた。


「そんなこと言っても、魔術学院の行事だもの。ニコルちゃんだって、クラウドくんをないがしろにしたわけじゃないよ?」


 クラウドの向かいに座るミシェルは、ふくれっ面で果実水をすする。

 クラウドの言いたいことは理解できるが、ニコルにはニコルの事情がある。それを目の前の少年は軽んじているのが気に入らない。


「いや、もちろんそっちの事情もわかってるよ。でも、ほら……俺って半魔人じゃん」

「あー、うん」


 ミシェルは、クラウドの言いたい事をその一言で把握した。

 半魔人。この世界において全国共通の社会的弱者。高い魔術的、身体的素養を持ちながら、それを認められない存在。

 だからこそ実力本位の冒険者でこそ、彼らは居場所を見つける事ができる。


 しかしそれは、常に危険と隣り合わせの仕事にしか就けないという意味でもある。

 半魔人は幼少時に虐待死に遭うか、その後あまりにも未熟な状態で冒険に身を投じ命を落とすケースが多い。

 それでも冒険者は、彼等にとって一獲千金の唯一の手段なのだ。現に六英雄にまで登り詰めたレイドが、その栄光を体現している。


 クラウドもまた、その栄光に憧れる一人である。

 だがそのためには、最低限一人で暮らしていける力量を身に付けねばならない。

 彼にとって狩りとは、己の身の安全を確保する手段であり、高みを目指す修行でもあった。

 それが師匠であるニコルの都合で、頻繁に中断している。愚痴りたくもなるだろう。


「いや俺だってさ、ニコルには感謝してるんだよ? ほら、あのままだったらいじめ殺されてた可能性もあったし」

「むー」

「今の俺の立場を支えているのが、狩りの食料なわけでさ。悪気があったわけじゃないんだ」

「……まー、いっか。じゃあ、わたしと二人で狩りに行く?」

「え、二人だけか?」

「なに、不満?」


 ミシェルもクラウドの境遇は把握している。だから、彼が焦っている理由も理解できる。

 なればこそ、今回の申し出を提案してみた。


「わたしだってギフト持ちだし、弱い敵ならわたしたちだけでも充分狩れるはずだよ?」

「大丈夫かなぁ?」

「強い敵が出たら、白銀の大弓サードアイを使えばいいんだし」

「でも、それ使ったら、ミシェルは動けなくなるんだろ?」

「倒すくらいはできるよ。山蛇だって一撃だったんだから!」

「それがいまだに信じらんねー」


 クラウドももちろん、ミシェルの技量は把握している。

 しかし、いくらギフト持ちとは言え、軍隊で対応しなければならないほどのモンスターを倒したというのは、信じがたい。

 その証拠の素材すら持ち帰っていないのだから、なおさら疑惑は深まる。


「あー、信じてないわね、その顔!」

「いや、信じてるって。だってニコルもそう言ってたし」

「わたしの言葉は信じられないって言うの?」

「まさか! 仲間だろ」

「じゃあ問題ないじゃない」

「むぅ?」


 上手く誘導された気はしないでもないが、実際ミシェルの攻撃力は年齢相応を遥かに超越していた。

 元々盾役のクラウドが敵を引き付ければ、大抵の敵はミシェルが仕留めてしまえるだろう。

 彼女の提案も、あながち理が無い訳ではなかった。


「そうだな。じゃあ明日の朝から狩りに出るっていうのはどうだ?」

「ん、りょうかいー」


 こうしてミシェルとクラウドは、二人で狩りに出るという冒険に足を踏み入れたのだった。

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