第147話 彼女の嗜好

 転移の魔法陣が起動すると周囲が光に満たされ、軽い眩暈を起こす。

 これは転移酔いとも呼ばれる現象で、転移という非常に有効な戦闘手段でありながら、実戦では使われない理由の一つだ。

 光が消え、眩暈が収まると、目の前には広大な草原が広がっていた。

 ここはケビン領の外れにある転移地点で、ここからしばらく歩いてようやくケビン領の町に辿り着く事ができる。

 それでもここがラウムの首都では見られない光景である事には変わりなく、目の前に広がる草原の豊かさにレティーナとマチスちゃんは感嘆の声を上げていた。

 なお、俺とミシェルちゃんはこの程度の草原では驚いたりしない。それ以上の田舎から出てきた、真正の田舎者だからだ。


「すっごい! こんなに広い草原、初めて見た!」


 珍しく興奮した声を上げるマチスちゃん。

 レティーナも日頃の取り澄ました態度をかなぐり捨てて、キョロキョロしている。

 あれは間違いなく、放置したら草原に駆け出して行くな。レティーナは見掛けによらず、ヤンチャな性格をしているのは、俺達も熟知している。


「列を乱しちゃダメだよ?」

「わ、わかっていますわよ!?」


 俺に機先を制され、挙動不審な態度で答えるレティーナ。そんな彼女を見て、ミシェルちゃんはくすくす笑っていた。


「そいじゃ、目的地のコスモス園まで歩くからねー。きちんと二列に並んでついてくるのよ!」


 コルティナがそう叫ぶと、俺達のクラスを先導し始めた。

 列の最後にはエリオットが付き、生徒がはぐれないように目を見張らせている。俺も隣にいたマチスちゃんと手をつないで、あぜ道を歩いていた。


「レティーナ、そう物欲しそうにしない」

「そ、そんなことありませんわよ?」

「後でちゃんと交代してあげるから」

「ごめんね、レティーナ様」


 明らかに無理を装っているレティーナに、マチスちゃんも笑いを禁じ得ない。こうして道中は賑やかに過ぎていった。

 この段階ではすでにプリシラの姿は存在しないが、こっそり魔法陣に相乗りして、ついてきているはずだ。気配はあるので、きっとどこかで見張っているのだろう。


 歩くと言っても目的地まで近いわけではない。通常ならば馬車などで移動するほどの距離だ。

 今回はケビン領の町には寄らず、外縁部にあるコスモス畑を見学して戻ってくる。

 そこでお昼を取り、再びこの転移地点に帰ってきて、学院に戻るだけだ。

 冒険とも言えない遠出だが、日頃街から出ないマチスちゃんのような人間にとっては、この光景だけでも珍しいだろう。


「あ、蜂! でもなんだか丸っこい?」


 マチスちゃんは目聡く飛び回っている虫を指さして、歓声を上げていた。


「あれはミツバチですわね。花の蜜を集める習性があるので、街中ではあまり見かけない種類ですわ」


 そんなマチスちゃんにレティーナが懇切丁寧に説明をしてやっている。

 ちょっと反り返り気味の体勢は、自慢したい時の彼女の癖だ。


「お砂糖で炒めると美味しいのよ?」

「え、食べるの?」

「うん。甘いの!」


 ミシェルちゃんの意見は実に田舎者らしい。確かにミツバチは地味に栄養価が高いため、食べ物に困る辺境では貴重な食材でもある。

 それを都会人のマチスちゃんに理解しろというのは、少々酷だろう。

 やや引き気味に答えるマチスちゃんに、俺はこっそり笑うのを我慢していた。

 一応学院では『クールだけど頑張り屋なお嬢様』という、なぜそうなったのかわからない評価がついて回っている。

 ここで大笑いして、その評価を覆す必要も、あまりない。


「あ、ほら! 牛! 牛さんだよ?」

「うん、おいしそうだね」

「え……?」


 のんびりと放牧されている牛を見て、再び歓声を上げるマチスちゃんだが、やはりミシェルちゃんの興味は食材方面である。

 そもそも首都の近辺で野牛を狩っているので、あまり珍しいものではない。俺達にとっては、だが。

 その後も何か動物を発見してはマチスちゃんが歓声を上げ、それをミシェルちゃんが美味しそうと答える展開が延々と続いた。


「ミシェルさんって、何でも食べるの?」

「何でもってわけじゃないけどぉ……狩れる物はたいてい食べるかなぁ?」

「なんか……ワイルドだね」

「わ、わたしだけじゃなくて、ニコルちゃんも食べるんだよ?」

「そうなの?」


 こちらに振り向き、話題を振ってくるが……俺はそれに素直に答えるのは、評判に響かないか検討する。

 何せ俺はライエルたちの娘であると同時に、超ド級の田舎者だ。

 蜂も食べるし、牛だって狩る。場合によってはトカゲのバケモノみたいなケラトスというモンスターだって美味しく頂けてしまう。

 これは冒険者時代の薫陶もあるのだが、ライエルたちは俺に好き嫌いが無くて面倒がない程度にしか思っていない。

 むしろあまりにも食べなさ過ぎた乳児期を思うと、何であれ、口にしてくれるならありがたいと思っている節がある。


「ま、まあ……テーブルに乗れば大抵のモノは。それに郷土によっていろんな風習もあるし?」

「へー、ニコルさんは物知りだね」

「むしろ説明してあげてるレティーナの方が物知りなんだよ?」


 俺は前世から、基本的に対人戦専門である。モンスターの生態についての知識は、実はあまりない。

 そう言った知識は、マクスウェルかコルティナ、マリアが担当していた。

 俺は彼女たちの指示通り動き、教えられた弱点を突いていたにすぎない。

 なので、初見のモンスターに関しては、ほとんどその生態を知らない。動きや立ち回りで技量を推測できる人間の方が、遥かに相手取りやすい。


「レティーナ様もすごいね!」


 マチスちゃんはレティーナのことは様付けで呼ぶ。これは一応、彼女が国の大貴族だからだ。

 俺は立場的には平民なので、さん付けである。これは俺が様付けを嫌がったのもあるのだけど。


 そうやって女子同士の会話に花を咲かせていると、ようやく目的の花畑が見えてきた。

 このケビン領は元々は深い森の中にあったが、領主が大きく切り拓き、土地の風土に合った特産品を模索した結果、花に落ち着いた経緯がある。

 ここから出荷される各種の花は、魔法や薬剤などで加工され、枯れにくいように加工されてからラウムの各地に送られる。

 それらは様々な儀式や式典を飾る装飾として利用されていた。

 これほど大きな平野部は、ラウムでも貴重だ。


「よっし、着いた! ほらみんな、ここが目的のコスモス園だよ!」


 コルティナがそう言って両手を広げる。

 その彼女の背後には、一面色取り取りの花が咲き乱れていたのだった。

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