第148話 花畑

 教員の先導でようやく辿り着いた花畑は、まさに一見の価値がある代物だった。

 広大な森の中を、普通ではありえないほど大きく切り拓いた畑一杯に、色とりどりの花が咲き乱れている。

 俺たちに近い畑は休耕地らしく、目的のコスモスは咲いていないが、それでも土に良いという噂の白詰草が満開に咲き誇っていた。

 その白と緑の絨毯のような光景が、六月の爽やかな風に乗って涼し気になびいている。

 蒸し暑さを感じ始めたこの時期、その季節を忘れるほど、爽快な光景だった。


「わぁ!」


 その光景を見て、女子生徒たちが感嘆の声を上げる。

 レティーナやミシェルちゃんですら、例外ではない。もちろん俺も声を上げていた。


「すごい、お花が一杯だ!」

「うん、すごいね」

「この畑は休耕地なのですわね。ならお花を摘んでも問題ないのかしら?」


 白詰草を見てレティーナはそわそわと身じろぎしている。駆け出したいのを必死でこらえているのだろう。

 コルティナはそんな子供たちを微笑まし気に眺めながら、次の指示を飛ばしていた。


「はいはい、傾注! このケビン領は、昔英雄と呼ばれた人が巨人を倒したことで拓かれた領地でね――」


 コルティナがこの領地にまつわる逸話を話す。この草原の中で授業とは、実に新鮮な気分だ。

 ケビン領はかつて、ジャイアントゾンビの襲来があったらしい。それを撃退したケビンという英雄がこの地を授かり、土地を拓いたのが始まりだとか。


 村の西側には大きな渓谷があり、そこで討伐が行われたと言い伝えられていた。

 ジャイアントゾンビがいたという事は、すなわち巨人が住んでいたという事でもある。

 その巨人の財宝目当てに冒険者が集まり、村は大いに繁栄したらしい。だがこの地を継いだケビンはそれだけではすぐに廃れると考え、特産品として花畑を開拓した。

 森に囲まれたこのラウムでは、まとまった量の同じ花というのは、結構貴重な商品になる。


 一通り村の歴史を生徒に聞かせた後、コルティナはパンと手を叩いて講義を打ち切った。


「はい、じゃあ授業はここまで。後はお弁当を食べましょうか。白詰草の畑は自由に入っていいって許可をもらってるから、花畑でのお弁当ね。その後農園の人に話を聞くことになってるから」

「コルティナ先生、摘んでもいいですか?」

「それも許可は取っているわよ。でも向こうの畑のコスモスはダメだからね?」

「はぁい!」


 お弁当と聞いて、男子達もこぞって花畑の中に駆け込んでいく。

 我先にと安物の絨毯レジャーシートを広げて、思い思いのグループを作り、荷物を広げていた。

 俺もレティーナとミシェルちゃんに両手を引かれ、花畑へと突入していた。一歩引いた場所からマチスちゃんもついてきているのが、実に彼女らしい。


 俺と共に実戦経験を摘んできているミシェルちゃんとレティーナの二人は、他の生徒に比べて、まだ体力を残していた。

 なので、先にお弁当を開かず、一面の草むらにダイブする方を選択したのだった。


「うわぁ、ふかふか!」

「もう、ミシェルさん、服が汚れますわよ?」


 そんな苦情を飛ばしながらも、レティーナも草むらに寝転んでいる。

 学院指定の体操服に、潰された草が緑のシミを作るが、そんな事は一切気にしない。

 むしろ、潰れた草が放つ濃厚な青臭い匂いが逆に心地いい。

 疲れた体に染み込むように、心をリフレッシュさせていた。


「村を思い出すね、ニコルちゃん」


 彼女たちに両手を引っ張られていたので、俺も否応なく草むらにダイブしていた。

 二人とは違って俯せに草に沈んでいた俺は、そんな少し寂しそうなミシェルちゃんの声を聞く。

 確かにこの無駄に自然あふれる光景は、北の故郷を思い出す。

 俺はともかく、ミシェルちゃんは家族ごとこのラウムにやってきているので、ホームシックと言う感覚はあまりなかった。


 だがそれでも、別れてきた友人たちはいる。

 昔からヤンチャな傾向があった彼女は、少年たちと野原を駆け回っていた。

 コボルドに襲われたあの時だって、俺と一緒に村を抜け出していたのだから。

 この懐かしさを感じさせる草原で、置いてきた友人達を思い出したのだろう。


「そうだね。今度のお休み、みんなで北の国に帰ってみようか?」

「え、いいのかな?」


 ラウムから北部三ヵ国連合までは、馬車で街道を通っても二週間はかかる。

 これは他の国に行くのも同じくらいかかる距離なので、ことさら俺達が遠い国から来たと言うわけではない。

 ラウムの魔術学院には、他の国の留学生も多数存在している。


 彼等も休みの時は帰省する者が多い。だがそれは、高額な転移装置を使える貴族が主だ。

 あまり裕福でない生徒は往復だけで長期休みの時間を費やしてしまうため、帰省を諦めて宿舎や寄宿先で休みを過ごす者がほとんどである。

 ミシェルちゃんの家族も、転移装置を使えるほど裕福ではないので、長期休みでもラウムを出る事はなかった。

 無論、両親が頻繁にやって来る俺も、帰省する必要性は考えた事もない。


「ママに頼めば、きっと連れて行ってくれるよ。それにマクスウェル様に頼んでもいいし」

「そっか。ニコルちゃんちのご両親なら、問題ないんだ。ちょっとうらやましいな」

「う……そ、そうかな?」


 ほんの少し、俺は失敗した気分になった。

 俺はこの世界でも、かなり……というか、とんでもなく恵まれた家庭にある。

 本来ならば、国を出ること自体、ひと騒動な行事なのだ。ライエルやマリアがホイホイ飛んで来るので、感覚がマヒしていたようだ。

 ミシェルちゃんは俺と違い、平凡な猟師の家庭だ。そう簡単に故郷に戻れるような立場じゃない。

 俺はそれが簡単にできると、ひけらかしてしまったのかもしれない。


「その……ごめんね?」

「んー、なにが?」

「なんとなく……」


 彼女はそんな事を口にしたりしない。だけど申し訳ない気分がしたので、俺はとりあえず謝罪しておくことにした。

 レティーナも、そんなミシェルちゃんの空気を読み取ったのか、下手に口を出す事はしなかった。

 幼い頃はギャーギャーとうるさかった彼女も、少しは場を読む能力を身に着けてきたようだ。

 この調子ならば、レティーナも社交界で有名な立派な淑女レディになる日も近いだろう。


「ほら、みんな。早くお昼にしないと、食べる時間が無くなっちゃうよ?」


 そこへ割り込んできたのはマチスちゃんだ。彼女は俺達の様に身体を鍛えていたわけではないので、すでに空腹が限界に達している。

 いそいそとシートを広げ、その上に荷物を置いて固定していた。


「あ、ごめんね。てつだう」

「うん、もう大丈夫だよ」


 すでにシートは固定されていて、お弁当を広げている。

 後は俺たちもそのシートでお弁当を広げればいいだけの状態だ。何から何まで彼女がやってくれたことになる。


「も、申し訳ありませんわ。わたしとした事が、つい興奮してしまいまして」

「レティーナはいつも興奮してるし」

「そんなことありませんわよ!?」


 里心の着いたミシェルちゃんと、世話を焼いてくれたマチスちゃん。その二人に対する申し訳ない感情を誤魔化すように、レティーナをからかう。

 そうして俺は、フィニア渾身のお弁当を広げ、昼食にありついたのだった。

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