第117話 時間稼ぎ
しばらく森の中を駆け回り、追跡が無い事を確認してから俺は足を止めた。
マイキーを木の陰に隠し、枝や落ち葉で偽装して、外から見えないようにしておく。
更に足跡も隠しておかねばならないだろう。俺はカーバンクルに話しかけて見張りをお願いしておいた。
「足跡を消してくるから、マイキーをお願い」
「キュッ!」
カーバンクルがこちらの会話を理解できるのは、すでに承知している。
俺にカーバンクルの表情はわからないが、この事態を招いたのが自分だという自覚があるのか、眉を逆立てて決意の表情を示している……ように見受けられた。
足跡を消すため、箒代わりの枝を持ってその場を離れる。
その間も気になっているのはコルティナの事だ。
あれからまだ数分程度しか経っていないが、命を落とすにはそれだけでも充分。
そして何より彼女は……贔屓目を抜いたとしてもたぐいまれな美少女である。年齢は少女という域を超えているが。
「くそっ!」
今になって、なぜ逃げだしたのかと、後悔の波が押し寄せてくる。
あの時俺を置いて逃げねばならなかったコルティナも、こんな思いをしたのだろうか?
だとすれば、俺はなんて愚かな真似をしたのだか。
だからと言って、マイキーやカーバンクルをあの場に残しておくわけにはいかない。そういう意味で、コルティナの判断は間違っていない。
しかし、今は……
「今なら、あの二人の安全は確保されている、か?」
追手は撒いた。追跡の心配も足跡を消しておいたので、しばらくは無いだろう。
つまり、今の俺は参戦するに足る充分な口実を得ている。
だが今のままでは問題だらけだ。俺が戦力になるには、操糸の能力を使わねばならない。しかしそれをコルティナに見られたら、俺がレイドであることがバレる。
ならば、どうするか?
そこで俺は、自分の左中指に目をやった。
◇◆◇◆◇
ニコルが駆けだすと同時に、コルティナは詠唱を開始していた。
男達には友好の気配など、欠片も存在していない。そもそも鱗の回収という儲け話を見られただけで、口封じにかかる可能性も充分にある。
その上でカーバンクルの存在。自分達に危害を加える動機は、山のように存在した。
「朱の三、群青の一、山吹の三――
やや強めに魔力を込めた身体強化。元々身体能力に長けた猫人族にこの魔法をかければ、素人でも倒すのは手間取るはず。
必要なのはニコルたちが逃げ切るための時間。その目的を優先したがために、彼女は自身の強化を真っ先に
発動と同時に斬り込んでくる男達。
この行動もコルティナは予想していたため、余裕を持って横っ飛びに避けた。
しかし彼女もすでに包囲されている。飛び退いた先にも別の男が斬りかかってくる。
今度は前転し、何とかその脇をすり抜け、ひとまずは事無きを得た。
「ちょっと待って欲しいな。私は別にあんた達の小遣い稼ぎを邪魔する気はないんだけど?」
体勢を立て直しつつ、時間稼ぎに会話を申し出てみる。
「うるせぇ! せっかくの穴場をお前らに荒らされてたまるか!」
「そうだ! それにあのカーバンクル……額の竜珠を売れば、もうこんな真似しなくても済むようになる」
「カーバンクルは保護指定よ。そんな物を買い取るような業者はラウムには存在しない」
女王華の種ですら、大手のホールトン商会は買い取りを拒否したのだ。
カーバンクルの竜珠はユニコーンの角に匹敵するほどの禁制品。取り扱うリスクの方が大きい。
そんな警告を発しつつ、コルティナは小声で呪文の詠唱を開始していた。男達に聞こえないほどの小声で。魔法陣は腰の後ろの死角で描き始めておく。
「目撃者がいなけりゃ、他国からの輸入品って事で捌く事ができんだよ!」
「おいギース、お前はガキを追え! 俺達はこのアマを始末――」
「させないね!
そういう展開になることはコルティナも予想していた。なので前もって詠唱しておいた攻撃魔法を解き放つ。
踵を返し、ニコルを追おうとする男に向けてファイアボルトの魔法を撃ち込み、その動きを牽制する。
「ぐおっ、あっちぃ!?」
しかし不充分な体制で発動させた分、魔力を練り込めていない。初期レベルの魔法では有効なダメージを与える事はできなかった。
これがマクスウェルほどの魔力があるなら、一撃だったのだが……もしくはマリアほどの詠唱速度があれば――
「このアマぁ!」
不意を衝いての攻撃に、男達は怒りの声を上げて襲い掛かってくる。
しかも今度は同時に三方向から。とっさにバックステップを踏み距離を取る事で攻撃を回避。
こうして何度も攻防を繰り返していくうち、コルティナは次第に逃げ場を失っていった。
いくら猫人族が敏捷さで名を馳せているとは言え、三対一の包囲戦では限界がある。
ましてやここは森の中の小さな広場。本格的に森の中ならばともかく、地の利は相手の方にある。
いっそニコルを追うべく、森の中に駆け込んでしまおうかとも思ったが、一瞬でその提案を却下した。
ニコルの体力はいまだか弱い少女のままだ。距離はそれほど稼げてないに違いない。
ならば自分は、まだここで時間を稼がないといけない。
それに森に入るという事は、自分の目も森に遮られる事になる。
もし、連中の一人がニコルを追うために離脱したとしても、自分では気付かないかもしれなかった。
「まったくもう……ほんっと、ジリ貧じゃない!」
自らを鼓舞するため、敢えて大声を出す。だがこの程度の修羅場なら何度も潜り抜けている。
連中にあって自分にないものは何か? それを勘案した結果、彼女は自分の服の胸元を大きく引き裂いた。
服の隙間から、あまりふくよかとは言えないが、形のいい胸が零れ落ちる。
「ハッ! なんだよ、今度は色仕掛けか?」
「いいね、お前をぶちのめしてから楽しませてもらうぜ!」
「今さら効きゃしねーんだよ!」
下卑た歓声を上げる男達。だがコルティナはその声を無視し、じりじりと洞窟の入口へとにじり寄っていく。
その動きを洞窟の中へ逃げ込もうと勘違いした男達は、そうはさせじと回り込もうとした。
だがその一歩先に、コルティナは洞窟の中へ飛び込むことに成功する。
「逃がすかよ!」
「追うぞ! 捕まえた奴が一番手だからな!」
「負けてらんねぇなぁ!」
劣情の混じった罵声。引き裂いた胸元の効果で彼等は充分に発情していた。不快な思いをして挑発した甲斐はあったというモノだ。
背後から聞こえてくる声は三種。コルティナは誘い込む事に成功したと悟った。
胸元を裂いたのは、自分という餌をより美味そうに見せるため。そして色仕掛けをしないと不利なほど追い込まれていると見せるため。
そうやって男達を興奮させ、正常な判断力を奪った。
この洞窟には薄くガスが充満している。うまく奥まで誘い込めば、連中は中毒を起こし昏倒するはずだ。
対して自分は、
逃げ場はないがこれで状況は有利になるはず。そう思って背後を振り返って……落胆する。
男達もまた、ピュ―リファイの掛かったマスクを装着していたからだ。
「くそ……」
思わず罵声が口をついて漏れる。
考えてみれば、連中はドラゴンの浸かる温泉を探索に来ていたのだ。ガス対策をしていないはずがない。
洞窟内部に逃げ場はない。これは完全に失策か……そう後悔した。
だからと言って諦めるつもりはない。次の策を講じるべく、頭を巡らせる。
使えそうなのは、マイキーを発見した崩落の跡。あそこは自分が
そう考え、行動に移そうと背後の様子を窺った直後。
「ぐぎゃ!?」
奇声を上げて、最後尾の男が唐突に倒れる。
そしてその向こうに、細身の男が姿を現したのだった。
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