第136話 十歳の狩り

 魔術学院に入学して、早三年が経過した。

 俺はめでたく十歳になり、ようやく低学年から脱出する事になる。

 一時は衰えを心配されたライエル達だが、ポーションの効果か、今はむしろ若返ったと言ってもいい壮健さで、三十代と間違わんばかりの若々しさを取り戻している。

 おかげで今も現役で大暴れしており、国家機関からの俺やミシェルちゃんへのチョッカイも無い。


 俺も魔術の腕は順調に進歩しており、それにともない解放力という難点も克服してきていた。

 今では毎日吸引作業を受けなくても、生活に支障はない。月に一度くらいは必要だけど。

 おかげで補助なしでも俺の能力は、一般的女児程度の持久力を持つに至っていた。


「…………いた」


 森の中に潜み、俺は後続の仲間に合図を送る。

 その合図にが一斉に動き始めた。

 目の前には暢気に草をむ野牛が一頭。本来の俺たちにとっては、やや荷が重い相手だ。

 俺のそばまでやってきたレティーナが心配気な声をかける。


「いくらなんでも、牛は危険なんじゃない?」

「しっかり準備すれば大丈夫。今は肉壁もいるし」

「肉壁って俺の事か?」


 レティーナの後ろに付いてきたクラウドが、不満気な声を上げた。

 クラウドの訓練をつけていた俺だが、いつまでも夜間訓練だけと言うわけにもいかない。

 冒険者を目指す以上、いつかはパーティでの立ち回りも学ぶ必要がある。


 そこである程度実力を積み上げたところで、俺は彼をミシェルちゃんたちに紹介し、冒険仲間として迎え入れることにした。

 無論、深夜に二人でこそこそ訓練していたことはナイショにしてもらっている。それを口外した瞬間、彼は俺の弟子から破門されるのだ。

 深夜の訓練で、クラウドの前で露骨に糸を使うことはなかったが、それでも幼児と思えぬ経験の深さを披露してしまっている。それを口外されては、いらぬ疑いの的になりかねない。


「牛が相手だから、正面から戦ったら勝てないのは当たり前だけど、罠を仕掛ければ充分勝機はあるよ」

「罠って、何をするんですの?」

「そんな大したモノじゃないよ。要は動きを止めれば、あとはミシェルちゃんが仕留めてくれるもの」

「うん、まっかせて!」


 ポンと自分の胸を叩いて、ミシェルちゃんが自信をのぞかせる。

 俺としては叩いた拍子に軽くたわんだ胸部装甲が気になって仕方ない。

 俺達はすでに十歳。そろそろ性別的な特徴が表れ始める頃合いである。ミシェルちゃんは特に成長が早いため、すでに胸が結構目立ち始めていた。

 俺はそれを見て、嬉しいような悲しいような、微妙な気分になる。

 小さいとはいえ、胸の揺れる場面を目にして嬉しくはあるのだが、いずれ俺にもそれがやってくるのかと思うと、少々憂鬱な気分になる。


 とにかく、今は準備が必要だ。

 ミシェルちゃんは狩猟弓と白銀の大弓サードアイを併せ持っているので、荷物が多い。それは持ち運ぶ矢の量にも影響が出ている。

 つまり、ミシェルちゃんは一撃必殺の戦法を余儀なくされていた。

 牛を相手に何射もる訳にはいかない。


 無論、俺が繰糸の能力を使えば、余裕で動きを止める事はできるが……


「まずは罠を仕掛ける。そこにわたしとクラウドで誘導して罠にかける」

「あとはそこにわたしがドッカーンね?」

「うん、まかせた」


 今になって落とし穴などを掘る時間はないので、ロープを足にからめて動きを止めるスネアトラップを茂みの陰に仕掛けておく。

 俺が罠を仕掛けている間、クラウドは牛の様子を見張らせておく。

 そうして準備を整えた後、戦いの幕は切って落とされた。


「てぇい!」


 俺は本来中近距離での戦闘がメインになる。だが牛を相手に近距離戦を挑むほど無謀じゃない。

 使ったのは投石器スリングと呼ばれる革紐を使った道具。

 遠心力で加速させた石を、頭部めがけて投げつけた。


 それは狙いあやまたず命中し、牛はこちらを怒りの篭った視線で睨み付ける。

 二度、三度と後ろ足で地面を蹴り、頭を下げて突撃体勢を取った。

 俺もそれをゆっくり見ているわけにはいかない。じりじりと後退り、距離を取りにかかった。いくら牛とは言え、直線の動きでは動物の方が速い。アドバンテージは多い方がいい。


 そして牛は怒りの声を上げて、こちらに突進してきた。

 俺は即座に背を向け、逃走に移る。本来ならば、動物に背を向けるなど危険極まりない行為だ。

 しかし正面から戦っても勝ち目はない以上、一刻も早く罠に誘い込む必要がある。


 一定距離を走ったところで、俺は目星をつけていた木の枝に捕まって跳躍し、地上から距離を取った。

 同時にクラウドの投石が牛の顔面を捉える。

 俺という目標を見失い、代わりにクラウドを標的と定めた牛は、即座に方向を転換し彼を追いはじめる。

 こうして交互に牛の標的を取り合い、罠のある位置へ誘導した。


 ロープを仕掛けただけの単純な罠。だが片方をしなりの有る枝に結び付けることで、足にまとわりつきやすくなるよう工夫している。

 牛は見事にそのロープに引っかかり、ロープが足の動きを阻害し、転倒した。

 本来ならば、この程度のロープなど気にも留めず駆け抜ける事ができただろう。それほどの力強さを、野牛はもっている。

 しかし、俺とクラウドで周囲を引きずり回して疲労させ、バランスも崩した中で足を取られたら、立っていられるはずもない。

 一瞬、動きを止める。それだけで充分な時間だった。


「レティーナ!」


 獲物が罠にかかったことを受けて俺はまずレティーナに声をかけた。

 その声に応えるように、レティーナは火属性魔法を解き放つ。

 使用したのはただの火弾ファイアボルト。しかも最下級。本来ならば、牛に大きなダメージを与えられるものではない。

 だが炎の弾丸は牛の後ろ足に直撃し、その機動力を確実に奪い取った。

 左後ろ足の膝の辺りを焼かれ、がくりと身体を沈める牛。

 そこをミシェルちゃんの狙い澄ました一矢が射貫く。


 逃げる方向、沈む身体。それらを計算し、最適な位置に身を潜めていた彼女の放った一矢は、的確に牛の右目を撃ち抜いた。

 鏃は眼窩から脳髄を抉り、一瞬にして生命活動を停止させる。


 頭部に矢を受けた牛はビクリと身体を震わせた後、ドッと音を立てて地面に横倒しになった。

 その後二、三度痙攣を繰り返し……やがて止まった。


 俺はカタナと短剣を構え、牛に近付き、事切れていることを確認する。

 完全に息絶えていることを確認し、ようやく俺達は肩から力を抜いたのだった。

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