第360話 変装して侵入
訓練を終えた後、俺は武器の貯蔵庫に向かい槍を一本頂戴してきた。
これを持って巡回の振りをしながら、屋敷の外を回って造りを調べるつもりだった。
リッテンバーグの屋敷はオーソドックスな二階建て。ただし一か所だけ塔のように突き出した場所があり、そこだけ三階建てになっている。
権力者は高い場所を好む傾向があるので、おそらく奴もそこにいる可能性が高い。
「できれば内部の構造も調べたかったのだけど、その余裕はなさそうだな」
ここで奴を放置すると、明日にでも襲撃の失敗を知ることになるだろう。
そして次の手を、その日のうちに打ってくる可能性もある。
一刻も早く奴を排除しなければ、ミシェルちゃんに平穏は訪れない。
一階ならともかく二階以上となると、ただの従卒であるフレッドでは、許可もなくうろつくわけにはいかない。
そうなると中を管理するメイドなどに変装した方がいいだろう。
外周から屋敷の構造を推測し、逃走路の確認をしてから再び屋敷に潜り込む。
今度は適当な若めのメイドを見繕い、幻覚の魔法を掛け直す。
若いメイドの姿を選んだのは、若い娘の方がいざという時泣き落としなどが効きやすいからだ。声の問題は……何とか頑張るとしよう。
前世でもコルティナに何度か女装させられた記憶がある……いや、これを思い出すのはやめておこう。
十代半ばから後半の黒髪のメイドの姿を借り、屋敷内に戻る。
槍はどこかで使えるかもしれないので、逃走経路の途中に隠しておいた。
「クラネス、クラネスってば!」
「え……あ、わたしのことですか?」
「あなた以外に誰がいるって言うのよ」
屋敷に入って階段に向かう途中で、やや年上のメイドから声を掛けられた。俺は精一杯声を高くして、それに答える。
今の俺の声は男そのものなので、こういった努力が必要になる。
どうやらこの姿の主はクラネスというらしい。覚えておこう、今夜だけ。
しかし、クラウドと似ている名前の響きで、どうにも不安になってしまうな。
「あんた、声変わった? 少し低くなったみたいだけど?」
「えーっと、ひょっとすると風邪かも?」
「そう? まあいいわ。御屋形様の夕食に出すカブが足りないみたいなの。買ってきてくれない?」
そう言うと、買い物かごをこちらに突き出してくるメイド。
だがここで屋敷の外に出てしまっては、元も子もない。
どうにか言い訳をと考えていたら、ある噂が脳裏に過った。リッテンバーグは好色で有名だったな。
ここで俺は淑女スイッチを入れて、女性らしさをオンにする。
「あの……今から御屋形様にお召しを受けておりまして……」
「またなの? もう、いい加減一人に絞ってくれないかしら」
メイドは腰に手を当てて怒りを表し、かごを持って去っていった。
おそらく今から大急ぎで買い物に行くのだろう。
忙しそうで悪いが、それも今日までなのでご容赦願いたいものである。
それから二階に上がり、何度か声を掛けられたがリッテンバーグの名を出すと素通りすることができた。
今回の事例以外にも、何度も同じようなことがあったらしい。
そうやって二階を通り抜け、屋敷中央付近の三階への階段へ向かう。
この上は部屋が一つだけであり、そこにリッテンバーグ本人が籠っているらしい。
三階に上がると、廊下のすぐ先に部屋があり、そこで行き止まりとなっていた。本格的にこの部屋しかない階層の様だ。
試しに扉をノックしてみたが、返答が返ってこない。妙だと思って静かに扉を開けてみると、中ではリッテンバーグがベッドの上で
毛布を蹴り飛ばしてでっぷりと太った腹を剥き出しにして眠るこの男が、リッテンバーグなのだろうか?
よく考えると、俺はリッテンバーグの外見を知らなかった。
「なんとも暢気な……」
しかし、ミシェルちゃんの両親に手を出しておいて高鼾とは、はらわたが煮えくり返る思いだ。
この場で始末つけてやろうかと手甲から糸を引っ張り出したところで、背後の扉が激しくノックされた。
俺は慌てて部屋の壁により、幻覚魔法を切り替える。
メイドの姿から壁に擬態する模様へと変化させることで、視線を欺いた。
「何事だ、騒々しい!」
「御屋形様、ご無事でございますか!」
「なに? どういうことだ。入ってこい」
リッテンバーグの知った声だったのか、無事を尋ねる声に無防備に入ってこいと返す。
直後扉を開けて入ってきたのは、ひげを蓄えた家令風の男と、騎士のアントニオだった。
「先ほど使用人の一人が不審者を見つけたそうで、御身の無事を確認しにまいりました」
「不審者だと?」
「ハ、その者の話によると若い使用人に化けて屋敷に忍び込んでいたようです。御屋形様の部屋に向かったそうなので、どうやら目的は……」
「ワシということか。ふん、どこぞの身の程知らずが、またぞろ命を狙いに来たというわけだ」
ベッドから降りた太った男が、尊大な口調で吐き捨てる。
やはりこいつがリッテンバーグで間違いないらしい。
「いつも通り、別邸に避難しておくとするか。アントニオ、お前はワシの影武者として敵を待ち伏せるがいい」
「ハッ、了解しました!」
いくら何でも体格に差がありすぎると思うのだが、連中の中では微妙な違いらしい。
家令の男だけは何か言いたそうにしていたが、余計な口出しはしてこなかった。
だが俺にとってはこれは不幸中の幸いと言っていい。屋敷から出てくれるのならば、退路を考える必要は無くなる。夜まで待つ必要もなくなるわけだ。
「そう仰ると思いまして、ただいま馬車を用意させております。御屋形様も身支度をお急ぎいただきますよう、お願いします」
「わかった。ではメイドどもを呼んで来い」
「承知いたしました」
どうやらこの男、自分の身支度も一人でできないらしい。
一瞬、その中に紛れ込んで――と考えたのだが、この人数に囲まれていては、さすがに処理が難しい。
いや、やろうと思えば簡単なのだが、無用な虐殺は俺の趣味ではない。身の回りの世話をする使用人まで殺そうとは思わない。
こうして俺の見ている前で、リッテンバーグは身支度を整え、部屋を出て行った。
街を離れるというのなら、それはそれで都合がいい。邪魔が入ることなく始末できるというモノだ。
俺は幻覚の下で、にやりと笑みを浮かべていたのだった。
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