第359話 陣営の人材
俺が今着ている服は、リッテンバーグに仕える従卒の服装だ。
仕える主の服を着たまま犯罪を犯すとは間抜け極まりないが、だからこそこんな汚れ仕事を回されたと考えるべきだろう。
そして奴は大貴族ゆえに、使用人の数も多い。顔さえ目立たないならば、屋敷に忍び込むことは簡単だった。
変装用の幻覚の指輪を使い、拉致を行った兵士の一人に化けておく。これで不審者と疑われる危険性は大きく減ったはずだ。
それにこの幻覚ならば、手甲をつけたまま中に入っても疑われない。
リッテンバーグの屋敷は高位貴族だけあって、転移妨害の装置が設置されているはずである。いざ手甲を呼び出そうとしても、妨害されて呼び出せないということになりかねない。
俺は屋敷の門を守る兵士に軽く会釈して、堂々と屋敷に乗り込んでいった。
「よう、フレッド。用事はもう済んだのか?」
兵士が気安く俺に話しかけてきた。
この様子だと、この男は頻繁に屋敷を離れていたらしい。服を着替えていなかったのは、仕事中に抜け出したからか。
「ああ。済んだ」
「そうか。だけどあんまり持ち場を離れるんじゃないぞ? ただでさえ、俺たちは風当たりが強いんだからな」
「わかってるよ」
言葉少なく端的に答え、門を通り過ぎる。あまり饒舌に話すと、声や仕草で気付かれる可能性がある。
もっとも、あまり長くごまかす必要などない。
仕事は今夜中に済ます予定だ。それまでごまかせればいい。時間も既に夕方だし、そう長い時間ではない。
「さて……と」
人目のない場所に潜り込んで、俺は軽く伸びをした。
別に今から暗殺しても構わないのだが、今事を起こすと逃げ出すときが面倒だ。
やはり人目を避けるには、夜の闇が都合がいい。
それに、それまでにやらねばならないことがある。
まず標的のリッテンバーグの居場所。そして屋敷の構造。最後に撤退のための退路の確保である。
退路を確保するためには、まず屋敷をくまなく調べ上げないといけない。
だが貴族の屋敷の構造というのは、貴重品なども多いため極秘にされていることも多い。
さらに有事に備えて抜け道を作っている者もいるから、性質が悪い。かつてタルカシールの一件では、それで痛い目を見ている。
あのときサルワ伯爵を逃がしていなければ、後にコルティナが怪我をすることもなかった。
「それを考えると、あの野郎もっと痛めつけておけばよかった」
ギデオンの乱入でその余裕もなかったのだが、今さらながらそんな殺意が沸き上がってくる。
屋敷の構造を調べるため、うろうろと彷徨っていると、身なりのいい騎士から声を掛けられた。
「フレッド、何をしている。夜になる前に訓練をすると言っただろう!」
「は、え?」
「なにを呆けた顔をしている。主人の顔を忘れたか!」
苛立った声を上げて、こちらを睨む騎士。
主人という単語から、俺は今変装している男が従卒の身分だったことを思い出した。
従卒とは騎士に仕え、自らも騎士を目指す、言わば騎士見習いのような存在だ。
「は、いえその、急な用事ができまして……」
「そんな報告は聞いていない。来い、そのたるんだ精神を叩き直してやる!」
「うぇっ!?」
逃げ出したいところではあるが、ここで逃げ出すのもいろいろ問題になる。
ここは怪しまれない程度にあしらって、状況をごまかすことにしよう。
正面から名乗りを上げて斬り合うなんて、俺の性に合わない。それでも今の俺ならこの程度の騎士をあしらう程度の実力はある。
だからと言ってそれをやってしまったら悪目立ちしてしまうのが、悩ましいところだ。
「このっ、なかなか腕を上げたじゃないか!」
「いや、それほどでも?」
真正面から斬り込んでくる騎士の剣を、軽々と受け流してみせる。
さすがにそのままでは怪しまれると思ったので、わざとらしく体勢を崩して見せたりした。
「ふん、だがまだまだだな。隙あり!」
いや、隙ありじゃねぇよ。と思わず漏らしそうになるのを、ぎりぎりで堪える。
隙があるなら無言で斬り付けろ。そう忠告したくなった。
結構な勢いで斬りつけられる模擬剣をまともに受けたら、今後の活動に支障が出る。
かと言って俺が攻撃を受けないと訓練が終わらないため、どうしたものかと首を捻っていた。
崩した体勢のまま蹴りを飛ばして、騎士の手の甲を蹴る。
これで剣筋を逸らされた騎士はたたらを踏んでよろめく。その首筋は隙だらけだ。
この一瞬で俺は三度は首を落とすことができるだろう。
それにしても、正騎士でこの程度の力量とは、実に嘆かわしい。
防衛戦についていた騎士の実力はそう悪くなかっただけに、リッテンバーグの陣営の層の薄さが透けて見えるようだ。
この程度だからこそ、強硬にミシェルちゃんを欲したのかもしれない。
斬り込まれて避けてを延々と三十分ほど続けたら、騎士が息を切らせていた。
さすがに俺だけ平然としていると怪しまれるので、ここはわざとらしく息を切らせておく。
「な、なかなかやるようになったではないか。この私の手をこれほど煩わせるとは」
「いえ、騎士様、には、まだまだ……」
「騎士様ぁ? いつもはアントニオ様と呼んでいるのに?」
「あ、いえ。騎士になるには、という意味です、はい」
この騎士の名前はアントニオというのか。覚えておこう……今夜だけ。
「だが蹴りや拳を剣の勝負に持ち込むのは感心せんな。正々堂々、剣で語るべきだ。騎士を目指すならそこは直しておけ」
「は、はぁ」
なるほど、リッテンバーグの陣営が手薄になるはずだ。
こんなバカが騎士になっているのは、それだけ人材がいないという証拠だろう。
いや、だからこそこのフレッドという男のように、裏仕事を頼める人材が集まるということか。
「その、アントニオ様。そろそろ失礼してよろしいでしょうか?」
「お、おう。そうだな、そろそろ食事の頃合いだろう」
カクカクと震える膝を押さえながら、アントニオが立ち上がる。
思わずツッコミを入れそうになるが、グッとこらえて沈黙を守った。俺も我慢強くなったものだ。
周囲を見ると驚いたような視線が飛んできていた。
どうやらフレッドがアントニオの攻撃をしのぎ切るのは、珍しい出来事だったらしい。
だがこの訓練も無駄ではなかった。
この訓練場、屋敷の裏に位置しており、意外と騎士以外の人目が少ない。
夜間になれば無人になると言ってもいいだろう。逃亡するときはここを使用させてもらうと心に決める。
こうして俺は騎士から解放され、自由時間のうちに姿を隠すことにしたのだった。
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