第171話 地下室へ
ぴしゃり、と湿った足音がホールに響く。
それなりに装飾に凝った玄関ホールが今や血の海とかしていた。
毛足の長い絨毯は存分に血液を吸い上げ、歩を進めると濡れた雑巾のような感触を返してくる。
周囲にいる五人はすでに息絶え、言葉を発するものはいない。
「ちょっとやり過ぎたか? 一人くらい残しておいてもよかったんだが」
地下室への入り口は、俺にはわからない。
それを聞き出すために一人残しておいた方が良かったのだが、俺もあの獣欲に塗れた視線を受けて、どうやら頭に血が昇っていたらしい。
まあ、そういう事に慣れてなかったという事で、ここは大目に見てもらおう。
周囲は戦場と見紛うばかりの血の海なのに、俺の身体には返り血は一滴も付いていない。
それもそのはずで、実際の俺は結構血塗れなのだが、幻術で作った姿には、返り血は反映されていないからだ。
実際は吐血を上半身に受けた俺は、見るも無残な血まみれ状態である。
見る者が見れば違和感を覚えずにはいられない光景の中で、俺は大きく息を吸い込み、気分を落ち着けていく。
生々しい血の匂いが肺を満たしていくが、その臭いを敢えて意識の外に押し出した。
まず戦闘中に故障した手甲の様子を調べる。
糸は中で絡まっているのか、伸ばす事も巻き取る事も出来ない。それどころか、他の糸まで動きが止まってしまっていた。
これでは使えるのは出していた一本だけ、しかも長さ一メートル程度が限界だ。
左の手甲は大きくひしゃげ、身体に複雑に巻き付いた状態で絡まっており、武器として使用するのは不可能。ここは勿体ないが、切り離して捨てていくしかない。
「……まあ、なんとかなるか」
武装として糸が使えなくなったのは痛いが、短剣がまだあるので戦えない事はない。それに右手の一本も一メートル程度の長さはある。これならば近接戦で使用することくらいはできるだろう。
短剣は、いざという時は伸ばして槍として使えばいい。
とにかく俺は、エリオットの姿を求め、壊れた手甲の糸を両手に保持したまま通路を奥に進んだ。
ピアノ線の方が使い道はいいのだろうが、このミスリル糸の頑丈さと切れ味はやはり魅力だ。
それにこの先の通路や、地下室のような狭い場所で戦うならば、あまり長さは必要ない。
こういう両手に保持した戦い方が主流になるので、問題はないはずだった。
通路を歩いていると、俺は奇妙な『モノ』に気付いた。
それは床から一メートル程度の高さの壁に残された、掠れたような血の跡。
俺の身長だからこそ目に入った高さだが、体格のいい冒険者達からは少し視線を下げねば目に入らない場所。
そこに血の跡が残されていた。
「ふむ……エリオットが残したのかな?」
拉致された時に暴れて擦り傷でも作ったのか、どっちにしろ、この高さは自分の居場所を知らせるために、彼を行動を起こした結果に見える。
俺はその血痕を辿り、通路の奥へと向かっていった。
裏口に近い場所にある厨房の脇。そのそばにある物置に、その血痕は続いていた。
中に人の気配はないので、警戒しながらも扉を開ける。
狭苦しい物置の中には、フライパンや予備の包丁。鍋に壷などが所狭しと置かれていた。
そんな場所なのに、不自然に壁が露出している場所がある。
「いくらなんでも、あからさま過ぎんだろ……」
俺が壁に近付き、周辺を調べると、案の定血痕が残されていた。
「どこかに仕掛けがあり、この壁が動くんだろうけど……」
おそらくは壁のそば、道具にカモフラージュされた場所に仕掛けがある。
かつては貴族の暗殺も行った経験があるため、こういう仕掛けには結構慣れている。
しばらくして俺は、鍋の下に隠されていたスイッチを発見し、それを操作した。
カコンと、小さな音を立てて、壁の一角が外れた。反対側が蝶番でつながっており、扉のように開くようになっている。回転扉のような大掛かりな仕掛けは、さすがにしていなかったか。
扉の向こうは岩が剥き出しになった下り階段に繋がっており、壁面には
この魔道具は一般的にも普及している物で、さほど高額な品ではない。
しかし半年ほどで魔力が切れてしまうため、数を揃えるのは面倒がかかる。
そんな魔道具が一定間隔に、視界が確保されるように配されていた。
「こんな隠し通路にまで魔道具を仕込むとはな。贅沢な」
それだけ経済力のある敵という事か。仮にも旧グリトニル王家に連なる伯爵。その程度の出費は屁でもないらしい。
この先はエリオットが捕らえられている可能性が高い。
場合によっては人質として利用される可能性もある。相手の戦力は上の騒ぎで引っ張り出せただろうが、ここからは慎重に行動せねばならない。
エリオットが人質になっているため、敵戦力を急いで削らねばならなかったので正面突破したが、こういう戦い方はもともと俺には向いていないのだ。できるならこっそりと、安全に倒して回りたいものである。
そう思いながらも俺は隠密ギフトを使用し、気配を絶った。
同時に声も足音も潜め、ゆっくりと階段を下っていく。
壁には定期的に掠れた、真新しい血の跡が残されており、エリオットが間違いなくここを通過した事がわかる。
階段は半円を描くように下へと続いていて、すぐに終点に辿り着いた。
下った深さはせいぜい四メートルあるかないか。かなり浅い。
天井の高さが二メートル程度なので、地下のほぼぎりぎりの場所に地下室を作っている事がわかる。
「これじゃ、人目を避けるだけの部屋になるな」
その浅さのおかげで、俺は地下室の存在に気付けたのだから、感謝するべきだろうか。
下りた先は短い通路が続いていて、その先には扉があった。隙間から光が漏れているところを見ると、そこに部屋があるらしい。
俺は気配を消したまま扉に近付き、今度はこっそりと聞き耳を立てる。
すると中から、野太い男の声と、苦しげな聞き慣れた声が聞こえてきた。
その声の一つは、間違いなくエリオットの物だった。
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