第337話 流行り病

 昨日はほとんど貸し切りみたいな状態だったが、今日は他の客も存在したらしい。

 他の客の目もあるということなので、コルティナの補助のために俺とフィニアも一緒にサウナに入ることになった。

 頭と尻尾にタオルを巻き、逃げ場をなくしてからサウナに籠って蒸し焼きにするのだ。

 ノミの生息温度は六十度程度のため、スチーム式サウナの百度近い温度には耐えられない。


 ここに何度も出入りして、生きているノミを駆除し、その後外に出て丁寧にブラシをかけて卵や死骸を落とし、さらにもう一度……というのを繰り返す。

 高温のサウナに何度も入るというのは危険かもしれないということで、体調を見るために俺たちがそばにつくことになったのだ。

 いつもならマリアがそれをやるのだが、今の彼女はフィーナの世話で手が離せない。

 ライエルにはフィーナの世話は不可能に近い。奴は良くも悪くも雑な性格をしている。

 かつて俺を風呂に落とし、足を掴んで逆さに引っ張り出したこともあった。それ以来マリアはライエルの育児に期待を寄せていない。


 それはともかくとして――


「うきゅうぅ……」

「無理して付き合わなくてもいいのに」

「ニコル様、お水、お水持ってきました!」


 案の定、俺はサウナの熱気にやられてダウンしていた。

 フィニアが慌てて水を持ってきてくれ、コルティナがタオルをバタバタ仰いで、風を送ってくれる。

 そのタオルは俺が着けていたものだ。コルティナのタオルは外すわけにはいかない。

 つまり今、俺は素っ裸である。


「それにしても、ニコル様が日焼けするまで健康になられるとは」

「ラウムに来てからは比較的健康だったけど、村ではそこまでひどかったの……?」


 今は夏の盛りを過ぎていて、水練の授業は終わっているが、その時の日焼け跡はまだ残っている。

 こんな跡がつくまで泳げるようになるなんて、確かに村にいる時は考えられなかった。


「わたしはだいじょうぶだけど、コルティナはぁ?」

「うん、さっき髪を梳いてきたけど、だいぶいなくなってるわね。これなら後二、三回で駆除できるわね」

「よかった。これから先はコルティナの尻尾マフラーのお世話になるから」

「ちょっと、冬場に私の尻尾を巻くのやめてよね」


 ぷぅっと頬を膨らませる姿は、先の戦闘で毅然と指揮を執った人物とは思えない。

 だが少し待って欲しい。あのフカフカ具合は他の追随を許さないのだ。

 正直男に戻った時も試してみたいのだが、さすがにそれは彼女が嫌がるだろう。

 耳に触れることすら恥ずかしそうにするのだから。


 こんなやり取りをしつつコルティナは完全にノミを駆除し、再びラウムへと戻ったのだった。





 ラウムに戻ってきた俺たちは、街の異様な空気に圧倒されつつ帰路に就いた。

 どうにも街中に活気がなく、人通りもいつもより少なく見える。

 いつも買い食いする屋台もいくつか見当たらない。

 マリアとフィーナ、それにライエルは直接村に戻ったので、この場にはいない。


「ん?」


 コルティナが玄関の扉に挟まれた手紙を引っこ抜き、中をあらためる。

 そこには魔術学院が閉鎖になったことが記されていた。


「なんですって?」

「ん、どうかした?」

「学院が閉鎖だって」

「えええぇぇぇぇ!?」


 俺とフィニアは驚愕の声を上げた。ついにコルティナが無職になったかと思ったからだ。


「コルティナ、無職?」

「そこまでヒドイ閉鎖じゃないわよ! なんでも病気が流行ってて、授業をしたら被害が拡大しかねないから、らしいわ」

「なんだ、つまんない」

「つまんないってなによ!」


 コルティナが俺のこめかみに拳を押し付け、ぐりぐりと抉ってくる。

 さすがに抵抗することもできず、悲鳴を上げてその場に突っ伏した。

 その俺の背中の上に、今日からまたコルティナの家に復帰したカッちゃんが乗っかる。カッちゃんも北部の村とこの街を、何度も往復する羽目になって忙しい。

 マリアの体調が悪い時など、カッちゃんがフィーナの世話役として派遣されているのだ。


「それにしても、やっぱ疫病が出たかぁ」

「予想してたのですか?」

「そりゃ、ゴブリンがアレだけ街中に乗り込んできたらねぇ。あいつら、不潔だし、死体の始末も時間かかっちゃったし。一応清潔に関しては気をつけるように注意はしておいたけど」


 とはいえあの歓喜の渦の中で、そんな注意事項をまともに聞いていたものがどれだけいたのやら。

 この流行病も当然の帰結と言えた。


「そうだ、わたし、お土産配ってくるね」

「ミシェルちゃんとレティーナちゃんのところね。この調子じゃ体調も気になっちゃうか。いってらっしゃい」


 真っ先に友達のところに駆け出す俺に、軽く手を振って送り出すコルティナ。

 ちなみにクラウドの分もあるのだが、コルティナに忘れられていた。


 俺はお隣のミシェルちゃんの家の扉を叩き、中からおばさんが顔を出すの待った。

 しかし、いつものように顔を出したおばさんは、やつれたような顔をしていた。


「こんにちわ、あの、これお土産……それと、どうかしたんですか?」

「ああ、ニコル様かい。いつもすまないねぇ。ちょっとミシェルが病気になっちまってね、あいにく今は顔を出せないんだ」

「ミシェルちゃんが?」

「そうだよ、今流行ってる病気さ。ちょっと高めの熱が出て、身体に力が入らなくなるやつ」

「そうなんだ……お見舞いしてもいいです?」


 彼女が寝ているのなら諦めるつもりだったが、念のため聞いてみた。

 その答えは予想以上に深刻なモノだった。


「やめておいた方がいいよ。こいつは結構な強さで人に感染するらしいんだ。ニコル様にうつしたとあっちゃ、ミシェルも後悔しちまう」

「そう、ですか。じゃあ今日のところはこれで」

「ああ、せっかく来てくれたのに、済まないね」

「いえ。お大事にって伝えてください」

「あいよ。ニコル様は優しいね」


 手を振ってから扉を閉める。

 それは、外の空気をなるべく入れたくないという気持ちが透けて見えるモノだった。

 俺は次のお土産を渡すため、貴族街のレティーナの屋敷に向かった。

 貴族街の出入りには見張りの門番がいるのだが、いつもレティーナと出入りしている俺はほとんど顔パスの状態だった。

 しかしそこでも、同じように門前払いを食らうことになる。


「お嬢様は、前回の騒動以来体調を崩してしまわれまして」

「そうなんだ……あ、これおみやげです。噂の病気ですか?」

「いつもありがとうございます。どうやらそのようで。お嬢様もニコル様と遊んでいる間は本当に楽しそうで、見ている私たちも幸せな気分になっておりましたのに……」

「そんなに体調が悪いんですか?」

「熱が少々高いようでして、今は解熱剤でどうにか。それも最近は品薄になっているようで、少し心配ですね」

「そっか、みんな熱を出すから」


 レティーナとミシェルちゃんが流行病にかかっているというのに、俺は温泉旅行で舞い上がっていたかと思うと、少し申し訳ない様な気がしてくる。

 とりあえず彼女は高位貴族なので、万が一と言うことはないと思うが、気には止めておこう。

 そのまま孤児院の方に回り、クラウドにも土産を渡そうとしたが――


「あ、ニコル!」

「なんだ、クラウドは平気だったんだね」

「なんだってひどいな。でもそういうことはミシェルとレティーナの状態のことは知ってるんだな」

「うん、どっちも熱がヒドイって」

「下町じゃ解熱剤不足でちょっと空気が悪くなってるんだよな。孤児院も半分くらいの子供が寝込んでいるし」

「それって大変じゃない!」

「シスターもてんてこ舞いだよ。俺は一人でミルドの葉の採取とか受けてたんだけど、全然間に合わなくってさ」


 ミルドの葉は解熱作用のある常緑樹だ。街道沿いにも点在しているので、比較的安全に集めることができる。

 駆け出しや子供の冒険者などは、この葉を集めて小遣い稼ぎをしているくらいである。

 しかし街にこれほど病人が出ているとなると、その数は到底賄えない。


「……ミルドの葉だけじゃなくて、根本的な対策が必要になるかも?」


 俺はクラウドの話を聞き、そう考えたのだった。

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