第440話 魅了と説得
「くそ、出遅れたか!」
眼下で広がりつつある騒乱に、俺はやり場のない怒りを覚える。
いや、この事態を計画したクファルに対してはもちろんあった。
バーさんによって跳ばされた先は、よくある民家の屋根の上。
その前が広い通りになっていて、そこで半魔人たちの集団と、気の強そうな男たちが揉み合いになっていた。
彼らの表情には、すでに余裕がなく、いつ怪我人が出てもおかしくない状況だった。
「どうする? いっておくけど、僕はもう手伝わないよ?」
「なんでだよ?」
「元々、人間には興味がないからね。同種であるユーリとその眷属の君がいたから、少しだけ手を貸しただけ」
それまでの飄々としながらも愛嬌のある笑顔が消え、代わりにニタリとした心底から凍えるような笑顔が浮かぶ。
それは笑いの形をした仮面のようだった。
まるで爬虫類のモンスターと対峙しているかのような感覚。忘れていたが、こいつもまたあの破戒神の同類。人ならざるモノだ。
「くっ、まあいいさ」
実際のところあまり良くはないのだが、当てにしていたと心情を暴露するよりはよっぽどいい。
いや、今の一瞬までならバレても問題なかったのだが、先の笑みで完全に印象が変わってしまった。
こいつは本当に、人なんてどうでもいいと思っている。自分の身の回りだけ平穏なら、それ以外はなにも気にしないタイプだ。
だからあの白い神が、わざわざ店番に据えているのか。人付き合いのリハビリのつもりなのだろうか?
俺は眼下に再び視界を戻す。
すでに殴り合いに発展しており、中には木の棒のような凶器を持ち出している者もいた。
人目を
もちろん、これはクファルの意図するところなのだろう。それに乗せられた民衆や半魔人たちにも、非は当然ある。
だからといって、彼らが悪かと問われれば、答えは否だ。
彼らはクファルの意図によって、本来争う必要のない争いを繰り広げている。
「そんなの、許されないよな」
こんな争いで怪我人や死人を出すのは、馬鹿らしいとしかいいようがない。
できるならば、穏便に事を収めたかった。
そのためにはまず、話を聞いてもらえる状況を作る必要がある。この混乱では、小娘の俺の言葉に耳を貸すはずもない。
「まずは注目してもらわないとな」
「それだけでいいの? なら僕が本来の姿を見せようか?」
「お前の本来の姿とやらが何か知らないけど、それはやめといてくれ。どうせ碌なことにならない」
あの白いのの眷属だ。こっちの想像の範囲の斜め上をカッ飛んでいくような姿に違いない。
今は争っている民衆だが、パニックになってしまうとさらに状況が悪化してしまう。
「まずは争いを止めないと……な!」
鋭く息を吐いて、手袋の転移術式を起動。即座に両腕に装着された手甲から、ミスリル糸を飛ばす。
糸は狙い過たず、もみ合いになっていた半魔人の一人を引っ張りし上げた。
そのまま民家のバルコニーに放り込み、別の糸を飛ばして縛り上げる。
争いを止めるだけなら一般人の方を縛ってもよかったのだが、それだとその男の身が危ない。
かといって半魔人の男も路上に放置していては、命が危なかった。
そこで引っ張り上げて、人気のない場所で動きを封じる手段に出たのだった。
騒乱の最中にある民衆たちは、一人二人が引っ張り上げられても、その動きを止めようとはしなかった。
そこで俺は、こちらに注目するまで、引っ張り上げては縛るという行動を繰り返す。
その人数が五人を超えたところで、ようやく多数の人間がこちらを指さし、視線を向けるようになっていた。
「おい、あいつ!」
「半魔人ばかりを引き上げているぞ。連中の仲間か?」
「だったらなぜ殺さないんだ? 首を吊るせば俺たちの命はないぞ」
異変に気付いたのは、半魔人たちの方が早かった。
しかし、彼らの視線がこちらに向くことで、一般人の視線もこちらに誘導された。
これで話を聞いてもらう状況は整った。後はどう説得するかだが……
そこで俺は、破戒神の言葉を思い出していた。再生された俺の瞳。そこに宿った新しい力。
それを思い出し、効果を発揮するために、右目の眼帯を取り払う。
「聞いてください、この騒動は仕組まれたものなんです!」
朗々と響き渡る、俺の高い声。
屋根の上に立ち、青銀の髪をなびかせて懇願する俺の姿は、一枚の絵画のように見えただろう。
そして何より、破戒神が持っていた理性の戒めすら破壊する魅了の瞳。
さすがにそこまでの力は宿らなかったようだが、それでも視線を惹きつけ、離さないくらいの力はある。
「思い出してください、この騒動を仕組んだのは誰です? 一人の少年ではないですか? そして彼は、クファルと名乗っていたのではないですか?」
俺は視線を意識しながら、やや芝居がかった仕草で、そう主張する。
もちろん、クファルはスライムなので、自在に姿を変えることができる。
だが、この北部から遠く離れた街で、わざわざ姿を変えるなどという面倒な真似をするとは思わなかった。
それに暴動を起こした半魔人たちは、おそらく容赦なく殺害されて終わっていたはずだ。
つまり彼の正体を知る者は、一人も残らない予定だったはず。ならば、姿を変える意味は全くと言っていいほどに、ない。
現に、クラウドをスカウトしていた時は、姿を変えていなかった。
「無軌道な暴走をした結果、どうなるかはあなた方だって理解しているでしょう?」
「だがこのままでは、俺たちはいつか使い潰されてしまう! 知っているか? 俺たちは荷物持ちとして世界樹に連れていかれ、肉壁として使い捨てられているんだ」
「だからといって、これでは無関係の人々や、無力な子供たちまで巻き込まれてしまう。現にわたしも一人、そんな子供を保護しました」
「多少の犠牲は――」
「必要だ、とクファルから言われたのでしょう?」
反論してきた男の言葉を、俺が受け継いだ。
これもよくある詭弁だ。それが必要な時は確かにある。だがこれでは、多くの無駄な死者を出すだけに終わってしまう。
奴にとって、そういった絶望的な死こそが必要なのだろう。魔神はそういう感情を好むと聞いたことがある。
「だがあんたの言葉はしょせん綺麗ごとだ。俺たちの仲間は明日にも……いや、今この瞬間にも使い潰されている奴がいるかもしれないんだ」
「なら、私がその行為を止めて見せましょう」
一人の女性の声が割り込んできたのは、そんな時だった。
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